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黛弘人騎手(1)『3代目のプライド!“絶対に叶えたい目標でした”』

  • 2015年02月02日(月) 12時00分
おじゃ馬します!

▲(左)黛弘人騎手 (中)父・幸弘厩務員 (右)師匠・中野栄治調教師、3人で叶えた悲願


今月のゲストは、フェアリーSで初重賞制覇を果たした黛弘人騎手。デビュー10年目の節目に、元騎手で厩務員である父・幸弘さんの担当馬、師匠・中野栄治調教師の管理馬で掴んだ、実にドラマチックな一勝でした。今週はレースの模様と感動を振り返るとともに、黛騎手にとっての、この勝利の“本当の重み”が明かされます。(取材:赤見千尋)


“度胸あるな!”父も師匠も驚いた逃げ


赤見 昨日はちょっとしたアクシデントがあったそうで。今日の取材が無事にできそうでよかったです。

 ご心配をおかけしてすみません。昨日まで北海道の牧場に行ってたんですけど、大雪で飛行機が欠航になってしまって。今朝は追い切りもあったので、何としても帰ってこないといけないなと。

北海道には1か月に1回くらい行くんですけど、この時期は欠航が怖いですね。この間も行きの飛行機が飛ばなくなってしまって。せっかく馬を用意してもらっているのに迷惑をかけてしまいますし、帰って来られなくて調教に出られないというのも大問題ですからね。気を付けなければいけないです。

赤見 向こうで馬に乗るんですか?

 乗せてもらいます。今回も明け2歳馬に乗ったんですけど、しっかりと調教されていてすごく乗りやすかったですよ。

赤見 へぇ。でも、交通費自腹でしょう??

 えっ…(苦笑)。まあ、そこはそうなんですけど。調教師の方々もされてますしね。足を運んで顔を出したりしないと、競馬に乗ることって難しいんじゃないですか? 僕だけじゃなくて、みんなそうしてると思います。

赤見 騎手の営業って、トレセンの中だけのイメージでした。

 それも大事ですし、他にもできることはしたいですからね。北海道の冬って本当に寒くて、そういうマイナス何度の世界で一生懸命馬を育てている方たちがいる、そういうことを再確認できる機会にもなりますよね。みなさんの尽力があって、自分が競馬で乗せてもらっているんだなって。

おじゃ馬します!

▲「マイナス何度の世界で馬を育てている方たちがいて、そういうなかで自分が競馬に乗せてもらっているんだと」


赤見 そういう陰の努力が、今回の初重賞という実を結んだ、1つ1つの努力の結果ですね。

 ありがとうございます。本当にうれしいです。レース前はどうしても緊張してしまって…。今回に限らず、どのレースでもそれは変わらないんですけど。人間の気持ちがそれ以上強くなり過ぎないように、自分をセーブしていく感じで臨みました。

赤見 パドックに出てきた時、ノットフォーマルが本当にピッカピカで。牝馬はこの時期、どうしても毛が伸びちゃうけど、あまりにピカピカなので、追加で馬券買っちゃいました! 馬を曳いていたのはお父様ですよね? その辺りは心理的に影響しましたか?

 全く影響しない、と言ったら嘘になっちゃいますね。足を上げてもらったのも師匠でしたし。ここ2戦は乗ったのが僕ではなかったので、競馬で乗るのが久しぶりだったんです。返し馬に出て行った時「あぁ、ずいぶんとすごい馬になって来たな」って、いい手応えを感じたんですよね。トモの感じとか、少し頭が高いところも変わっていたので。

赤見 この2戦は何で違ったんですか?

 直接は聞いてないんですけど…、何ででしょうかね? ジョッキーを変えてみたかったんだと思うんですけど。他の人が乗ってると、「どういうふうに乗るのかな?」って見ちゃいますよね。勝浦さんが乗られた時、「いい競馬だな」って思ったんです。中団でのレースはこれまでなかったので、「なるほど、こういう脚も使えるんだ」って。そういった面が見られたのはよかったですし、手を離れた期間があってまたお話をいただいたというのも、うれしいですよね。

赤見 そういう気持ちを背負って、ゲートの中に入って。どんな展開をイメージしていたんですか?

 先生からは「3番手ぐらいでの競馬を」と言われていて、僕も「2、3番手がいいかな」と思ってたんですけど、スタートがよかったので、それなら出して行こうと思いました。ひっかかる馬ではないですから、出して行っても問題ないので。

外からも馬が来たんですけど、内の(田中)勝春さんがスッと引いたので、それだったら行こうって。そこで無理に引っ張ったりしたら、リズムを取り戻すのが大変ですけど、自然にハナに立つ感じになったので、あれはうまく行ったのかなと思いますよね。

赤見 3、4コーナーも落ち着いてましたよね。逃げ切る上では、大事なポイントかなと思いますが?

おじゃ馬します!

▲「中山で逃げ切るには、3、4コーナーは大事なポイントかなって」


 中山の最後の坂は変わりやすいですからね。平坦なうちに早めにジワ〜っと流して行って、後ろとの距離を稼ぎたいなというのは頭にありました。まぁ、坂に行ってからは結構長く感じました。「何とかもってくれ」「誰も来ないでくれ!」って。登り切ってからは、さすがにちょっとスピードは落ちてしまったんですけど。

赤見 それでも、最後までしぶとく粘り切ってのゴールでしたもんね。

 僕はもう必死ですから、ウワーッって追ってたんですけど、最後に外から来てたのが見えてたので、「大丈夫かな? 差されてないかな?」って。他のジョッキーとか先輩と「どうだった? 勝ったか?」「勝ったとは思いますけど…、ちょっとわからないですね」って話してました。

赤見 そんなにわからなかった?

 というか、自分自身が必死過ぎたので(苦笑)。掲示板を見て勝ったのがわかって、「あぁ、よかったな」って。初めてのことなので、「重賞を勝ったんだ」っていう実感が、なかなか沸いてこなかったですよね。なんていうか、デビューしての初勝利と似たような、浮き足立っちゃうような感じでした(笑)。

赤見 初々しい!「1着」のところで待ってるのが、お父様と師匠なわけじゃないですか。そこに帰って行く時は、どんな気持ちでしたか?

 う〜ん、うれしかったですけど、どのレースでもやっぱり「1着」のところに行くとうれしいですよ。そこは、父でも他のお世話になってる厩務員さんでも、みんな同じですよね。まぁ、父には「ハナ行くと思わなかったわ」って言われましたけど。先生にも「お前、度胸あるな」って。きっと「行っちゃった、あいつ…」って、ハラハラしながら見てたんでしょうね(苦笑)。

赤見 でも、重賞で本当に度胸のいい騎乗で。先生もとても褒めてましたし、「黛で勝ててよかった」っておっしゃっていました。重賞を勝って、結構反響もあったんじゃないですか?

 そうですね。うちも実は競馬一家なんです。祖父がジョッキーで、父もジョッキーでした。だから、この勝利は祖父もすごく喜んでくれたんです。

“競馬一家”って言うと、“名門”みたいなイメージがあるじゃないですか。GIジョッキーで、調教師になってもGI勝って、息子も活躍してみたいな。でもうちは、そういう感じとは違います。それだけに、重賞の重みというのはかなり感じていました。父もきっとジョッキーの時に勝ちたかったと思いますし、だからこそ僕も「重賞を勝つ」というのは、絶対に叶えたい目標でした。(つづく)

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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