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黛弘人騎手(4)『努力を惜しまず、仕事を大事に ―父の背中から学んだこと』

  • 2015年02月23日(月) 12時00分
おじゃ馬します!

▲元ジョッキーであり、現在は中野栄治厩舎の厩務員である父・黛幸弘さん


黛騎手インタビューの最終回。今週は「尊敬してる」と語る、元ジョッキーであるお父さんとのエピソードを明かします。「騎手」という仕事の厳しさや危険さは感じていたものの、それでもなりたい気持ちが募っていった黛少年。しかし、父親の答えはNO。どうしてもなりたければ……、父からの意外な課題とは?!(取材:赤見千尋)


(つづき)

1年間、不合格通知と向き合いながら


赤見 お父さんが騎手をされていた時って覚えてますか?

 覚えてますよ。落馬しないで帰って来て欲しいな、という気持ちがいつもありました。母親からもよくそういう話をされていたので、「危ない職業なんだな」という認識はありましたね。

赤見 ご家族にとっては、それが一番心配ですもんね。

 そうですね。怪我で入院してる時にお見舞いに行ったんですけど、ベッドで辛そうに寝てたのもよく覚えてますよね。

赤見 そういう姿を見ていても、自分もジョッキーになりたいって?

 初めてレースを生で見たのが小学校4年生の時だったんですけど、その時に騎手が「憧れ」になりました。それがどんどん「なりたい」という気持ちに変わっていって、父親に「騎手になる!」って言ったんです。そうしたら「いや、無理だから辞めた方がいい」「今のお前の考えじゃ、やって行けないぞ」って言われました。

赤見 厳しい世界だというのを、よく分かっていらっしゃるから。どうやって説得したんですか?

 それでもなりたいって言ったんです。そうしたら、「じゃあ、まずは野球をやれ」って。

赤見 野球を??

 はい。それまでスポーツをやってなかったので、体力を付けてというのもあったみたいで。「中学校に上がるまでずっと続けられたら、考えてもいいよ」って言われたので、小学校5年生から始めて、中学校の3年間も続けました。まぁ、ずっと補欠でしたけどね。試合、ほとんど出たことないですよ。中学校の時なんて、フルで出たこと1回もないですから。ベンチから「ウオーーイッ!!」ってずっと応援してました。

赤見 試合に出られないんじゃつまらない。

 上級生になっても補欠っていうのは、さすがに辛かったですよね。本当は辞めたかったですけど、クリアすれば競馬学校を受験させてくれるっていうことだったので、なんとしても辞められないなと思ってました。

赤見 追い込まれて力を発揮するタイプですね。

 そうかもしれないですね。競馬学校で1年留年したって言いましたが、実は、入学試験でも1回落ちてるんです。だから、同世代の人達より2年遅れてるんですけど。落ちてからがもう、とにかく悔しくて悔しくて。「次は絶対に受かってやる」って、不合格通知を自分の部屋の壁にバシッと貼って、それを見ながら1年間がんばりました。まぁ、それくらいの気持ちを野球にぶつけてたら、レギュラーになれてたかもしれないですけど(苦笑)。

赤見 まぁ、野球は続けることが大事だったわけですもんね。競馬学校でも苦労したし、デビューしてからも苦労したし、だったんですね。

 その苦労も全部、自分の技術のなさからですからね。運が悪いとかじゃないですし、むしろいろんなことがありながら、ここまで競馬にも乗せていただいてるということは運がいいと思うし、人にもすごく恵まれていると思うんです。

赤見 なんだか、すごい達観してますね。

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▲赤見「黛騎手って、なんだかすごい達観してますね」


 そうですか? そういうふうに言われることは、たしかにあるかもしれないです。何を考えてるか分からないっていうのも、よく言われるんですけどね。そんな変なことは考えてないと思うんですけど…。たぶん、あんまり表情が変わらないからですかね。

赤見 感情の起伏はないんですか?

 あります、あります。けど、あんまり表には出さないですね。昔からそうらしいです。子どもの頃からそうだったって、父親が言ってました。

赤見 ちなみに、お父さんも勝負の世界に身を置いてきて、教えというのはどんな感じだったんですか?

 言葉で何か言われたことはないですけども、どちらかと言ったら、背中を見て育ったという気持ちはありますね。父は仕事を大事にする人で、そのための努力もとてもしていました。そういうところを、子供の頃からずっと尊敬してましたね。

赤見 子供の頃からしたら、土日はいつも家にいないわけでしょう?

 たまにいましたけどね(苦笑)。そういう時って、ずいぶん機嫌が悪いなって思ってたんですよ。今思えば、騎乗馬がいなかったんだとか、騎乗停止だったんだってわかりますけどね。相当荒れてましたよ。

馬に気迫を与えて最後まで追う


赤見 こんなふうに、お父さんの担当馬で重賞を勝つ日が来ると思いました?

 いつかは勝ちたいなという気持ちは、もちろんありましたけどね。でも、いざ実現すると、すごい事なんだなって思いますよね。オーナーや先生(中野栄治調教師)にも感謝の気持ちです。ありがたいですよね。特に先生には、幼少の頃から可愛がってもらっているので。

赤見 中野調教師のこと、小さい頃から知っていたんですか?

 そうなんです。当時、同じ社宅に住んでいたのもあって、先生の家に遊びに行ったり、泊まったりしてました。「おじちゃん、おじちゃん」って呼んで、家族に近いくらいの関係ですよね。先生のご子息は僕の幼馴染ですし。今は「師匠」という存在ですけど、今でもすごく優しいですね。調教でもいろんな厩舎で乗れって言ってくださるし、たくさんの厩舎も紹介してもらいました。

赤見 厩舎によっては、自厩舎の調教を優先しなさいというところもありますけども。

 お給料をもらって、厩舎の一員としてやっているから、本当は当たり前のことなんですけどね。でも、今はなかなか、所属厩舎の馬に全部乗せてもらうことってできないじゃないですか。「時代」という言葉はあまり好きじゃないですけど、騎手にとって厳しい時代ですからね。

赤見 黛騎手を育てることに、重きを置いてくださったんですね。

 そうだと思います。フリーになったのも早かったんですよ。デビューの次の年だったんですけど、減量のあるうちに、いろいろな厩舎を手伝った方がいいって。減量は3年間ですけど、できるだけ早い方がいいということで、先生と相談した結果ですね。

赤見 大きな決断ですよね。お父さんとも、競馬の話はしますか?

 もちろんしますよ。でも、祖父とすることも多いですね。祖父もすごくよく見てくれていて、「そうそう、その通り!!」みたいな、僕の考えてることを見抜いていて、全部わかってくれてる感じがします。長年競馬をやっていただけあるなと思いますよね。

赤見 親孝行と、おじいちゃん孝行もしてますね。すごいね、三代目!!

 いやいや。むしろデビュー1、2年目の頃は、「こりゃダメだ、三代目…」って自分で思ってましたよ(苦笑)。「三代目で終わるんじゃないか…」って。

赤見 でも、結果が出ない時は焦りますよね。何をすればいいのかもわからなくなったりして。

 本当に、焦っちゃいますよね。そういう結果が出ない時に、気を付けていることがあるんですけど。たとえば前走が15着とか14着とか、あまり良い成績じゃない馬でも、どうやって(賞金圏内の)8着以内に持ってこられるかっていうことを考えるようにしてます。結果のことは1回頭から消して、目の前の出来ることをまず考える。

赤見 そうすると次の競馬にもつながりますし。

 それもありますよね。やっぱり「勝ちたい、勝ちたい」だけじゃ、勝てないと思うので。どうやったら馬が走るかなということに重点を置いて、頭の中で組み立てるようにしています。

赤見 すごく考えていますね。

 周りから「考え過ぎだ」って言われることもあるんですけどね。結構、悩んじゃう方なんです。でも、この仕事をしていると、毎週が毎週が勝負ですからね。今年は年明けに重賞を勝てましたけど、それで安心しないで、ちゃんと気を引き締めてがんばらないとだめだと思っています。

赤見 今年はどんな年にしたいですか?

 まずは、人馬共に無事が第一で。その中で去年の数字よりも勝ちたいですし、もっとシンプルにもっともっとうまくなって、もっと勝てるようになりたい。そうしていく中で、またグレードレースも勝ちたいですね。

赤見 黛騎手自身が、今ここをもっと良くして行きたいなという部分はありますか?

 あります。今考えていることは、もっと冷静に、最後までしっかり追うことですね。馬上での騎手の気迫というのも大事なんですけども、そこでバランスを崩してはいけないと思うんです。馬の負担にもなってしまいますから。なので、ちゃんとした良いバランスの中で、馬に気迫を与えて最後まで追う。そういうことが大事だと思いますし、そこをもっともっと良くしていきたいです。

 あとは、競馬の進め方ですね。自分の気持ちが先走ってしまうのではなく、それぞれの馬の個性に合った乗り方をすることとか。そういうことも考えています。

おじゃ馬します!

▲「ちゃんとした良いバランスの中で、馬に気迫を与えて最後まで追うことが大事ですね」


赤見 そうやって騎手としての理想に近づいて行って。

 そうですね。「超一流」と呼ばれる先輩方って、まだまだレベルアップしていっていますし、どんどん進化しているように思います。僕はまだまだ10年目ですけど、そういう先輩方に少しでも追いつけるように、僕もいつかそのレベルになれるように、日々がんばります。(了)

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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