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馬たちが経験した東日本大震災(3) ―原発事故は馬たちの運命をも変えた

  • 2015年03月17日(火) 18時01分
第二のストーリー

▲現在は北海道で暮らす、被災馬のウルヴズグレン(左)


(つづき)

震災から2年後、アドマイヤチャンプは北海道へ


 津波にのまれながらも助かったアドマイヤチャンプは、傷が癒えた後もベルステーブルで2年ほど乗馬としての仕事を続けた。

「やっぱりしんどいのでしょうね。震災前とは違って、疲れるのも早くなりました。運動はできましたけど、この環境ではゆっくりできないですし、生まれ故郷の北海道にあるホーストラストさんにお願いしました。せっかく助かったのだから、お前はもう生きているだけで良い、皆の分まで何も考えずに生きて行けって、そういう気持ちで送り出しました」(ベルステーブル代表・鈴木嘉憲さん)

 震災からおよそ2年後の2013年6月4日、アドマイヤチャンプは北海道の地を踏んだ。

第二のストーリー

▲ホーストラスト北海道へ移動したアドマイヤチャンプ


「震災では辛い経験をしたり色々な場面を見ているのでしょうけど、チャンプからは被災した影響はあまり感じませんね」と話すのは、ホーストラスト北海道マネージャーの酒井政明さんだ。

「兄のタイキマーシャルとは、顔のつくりや目が似ています。チャンプを見ているとマーシャルを思い出します」(酒井さん)

 ただし、男前でどちらかというと大人びた性格だった兄のマーシャルと違って、チャンプには多分に子供っぽい面があるようだ。

「馬にはホルタ―(無口)を着けているのですが、他の馬とそれを引っ張り合ったりと、18歳という年齢の割には放牧地でよくはしゃいでいますね。かゆいところがあると、ずっと人についてきては、かゆい部分をこすりつけてきたり…(笑)」

 辛く苦しかった震災の記憶がすっかり癒えているわけではないはずだが、元来明るい性格だったのだろうか。ベルステーブルの鈴木さんの願い通り、あの日、津波によって失われた馬たちの分まで、アドマイヤチャンプは北海道での日々を元気に過ごしている。

原発事故は馬たちの運命をも変えた


 ホーストラスト北海道には、東日本大震災で被災した馬がもう1頭いる。ウルヴズグレンだ。

 父ティンバーカントリー、母はローズS(GII)など重賞2勝したサイレントハピネスを母に持つ同馬は、競走馬時代は美浦の小桧山悟厩舎に所属していた。デビューは3歳の6月と遅かったが、その後はコンスタントに走り続け、51戦5勝の成績を残して8歳で競走馬登録が抹消されている。その後は乗馬として福島県の南相馬市の佐藤功さんのもとで過ごし、相馬野馬追にも参加していた。

 しかし東日本大震災により起きた福島第一原発の事故は、南相馬で飼われていた馬たちの運命をも変える。

 原発から30キロ圏内に位置していた南相馬市の南部には、当時数百頭の馬たちがいたとされる。だが原発から近いこの地の住民たちは、馬たちを置いて逃げざるを得ない状況となっていた。馬の避難先を探していたウルヴズグレンの馬主の佐藤さんは、ネットで見つけたホーストラスト北海道に連絡をした。

「佐藤さんは、南相馬に残って馬の面倒を見ていたんです。残された近隣の馬たちの面倒まで見ていたと聞きました」(酒井さん)

 NPO法人引退馬協会も被災馬INFOを立ち上げ、被災馬の状況把握や救済を始めていた。酒井さんは、被災馬INFOとも連絡を取り合っていた。そして佐藤さんが面倒を見ている馬を引き取るために、南相馬行きを決断した。まだ震災の爪痕が色濃く残り、さらに原発事故による放射能汚染の不安が大きかった時期だった。

 当然周囲から心配の声も上がっていたが、南相馬に取り残されている馬たちのために少しでも足しになればと牧草ロールを馬運車に積み込んで、酒井さんは4月1日に北海道を出発した。

「函館から青森まではフェリーで渡って、青森からは高速道路を使いました。正直、どこまで行けるのかという不安もありました。一般道では瓦礫がまだたくさんありましたし、タイヤが持つかどうかも心配でした」

 実際に被災地の道路状況は悪く、タイヤがパンクする車が多かったようだが、酒井さんは何とか無事に南相馬市にたどり着き、佐藤さんから託されたウルヴズグレンと、青森で引き取りが決まっているもう1頭を馬運車に積み込んだ。まだ南相馬にはたくさんの馬たちが残されていて、さらに放射能にもさらされている。それらの馬たちの1日も早い救出を心から願いながら、酒井さんの馬運車は北上した。青森で馬を1頭を降ろし、ウルヴズグレンとともに青森港に向かった。

「函館行きのフェリーには空きがなくて、すぐに乗ることができずに何時間も待たされました。4月でしたが、途中で雪も降ってきて、僕が寝る時に使おうと持ってきた毛布を馬に着せました。馬も大変だったと思いますけど、頑張ってくれました」

 ウルヴズグレンと酒井さんがホーストラスト北海道に到着したのは、4月3日午前7時。3月11日に被災してからおよそ3週間後、ウルグズグレンは久し振りに安心できる場所を得たのだった。

「飼い葉をしっかり与えられていたようで、馬体は痩せてはいませんでした。着いて2日間ほど大人しかったので、やはり疲れはあったのかもしれませんね。その後は元気が出てきました」

 食欲もあり、健康状態も良好だったために、4月23日には去勢手術が施された。

 そんなグレンにパートナーができた。

「馬房の窓から顔を出して放牧地を眺めていたグレンのもとに、ブランカがやって来て顔を近づけたんですよ。それが2頭の馴れ初めです」

 ブランカの積極的なアプローチにグレンは応えた。やがて放牧地に出てきたグレンとブランカは、いつも一緒に行動するようになった。「グレンのグループには、シルバースワットとマロンというカップルもいて、グレンとブランカを含めて4頭で一緒にいることも多かったので、カルテットと呼んでいました(笑)」

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▲いつもラブラブなウルヴズグレンとブランカ


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▲シルバースワット、マロン、ブランカ、ウルヴズグレンの“カルテット”


 だが元々両前脚の蹄が悪かったグレンは、2014年になると放牧地ではなくパドックで過ごす日々が増えた。

「来た時から蹄葉炎があって、ずっと治療をしていました。脚が痛くてもブランカが一緒ということもあって、頑張って歩いていたんですよ」

生かされたからには、馬のためにできることを


 そのブランカが、(同年)9月23日に突然天国に旅立ってしまう。12月初旬に放牧地へと戻ってきたグレンの横には、もうブランカはいなかった。「本当に2頭は幸せカップルだったんですけどね」と酒井さんの口調もしみじみとしていた。

 東日本大震災で被災して、ホーストラスト北海道にやって来たウルヴズグレンに、かつて島根の馬の施設で虐待を受けた経験を持つブランカが寄り添った。心に傷を持つ者同士、何か引き合うものがあったのかもしれなかった。

 深いところで共鳴し合ったパートナーのブランカを失い、さらには蹄葉炎で歩様も良くないグレンを、放牧地の仲間たちは常に気遣い、温かく接しているという。仲間たちや天国のブランカに見守られながら、今日もグレンは彼らしく生きている。アドマイヤチャンプもまた、前述した通り、無邪気に北の大地を満喫している。

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▲スポンサーさんからのプレゼントの無口をつけて、北海道をイメージしたラベンダーカラー


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▲仲間たちや天国のブランカに見守られながら、ウルヴズグレンは今日も彼らしく生きている


 津波にのまれながらも、アドマイヤチャンプとともに奇跡的に生き延びたトニーザプリンスは、山形県蔵王の牧場でしばらくのんびり暮らしたのち、東京在住のオーナーのなるべく近くでということで、茨城県つくば市にあるツクバハーベストガーデンに移動していた。

「実はトニー君は昨年亡くなったんです。こちらにいる間は、美浦トレセンが近かったので、競走馬時代の厩務員さんが何度も会いに来て下さったり、ファンの方もいらっしゃいました。もちろんオーナーさんも毎週会いに来ていました。トニー君は、気が強くてすごく自分を持った馬でした。だから津波にのまれても生き延びていたのだと思います。弱い気性の馬だったら、そうはいかなかったと思うんですよね。

でも人に対しては、甘えてくる良い子でしたよ。オーナーさんも、本当に愛情を注いでいらっしゃいました。そのオーナーさんが引っ越されるということで、トニー君も別のクラブへと移ったのですが、そちらで亡くなったとオーナーさんから連絡がありました」と、ツクバハーベストガーデンの赤穂恭子さんは残念そうだった。

 ツクバハーベストガーデンにいたのは、ほんの数か月だったが、オーナーをはじめ、いかにたくさんの人々にトニーザプリンスが愛されたのかが、電話口からは伝わってきた。競走馬時代には若葉賞(OP)でのちの天皇賞馬オフサイドトラップの2着となり、あのナリタブライアンが勝った皐月賞(GI)では5着に入るなどの活躍を見せ、乗馬となってからは震災という試練を乗り越え生き抜いたトニーザプリンス。その23年間の生涯に心から敬意を表したい。

 2015年3月11日、ベルステーブル代表の鈴木嘉憲さんをはじめとする関係者が集まり、宮城県名取市のベルシーサイドファーム跡地では慰霊祭が行われていた。あの日津波に流され亡くなった馬39頭と3頭の犬たちの名を記したプレートの前には、たくさんの花や人参が供えられた。

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▲宮城県名取市の牧場跡地でとり行われた慰霊祭


「当時、馬を預けていたオーナーさんたちが東京や大阪からも来てくださって、20人以上は集まりました。午後2時46分に黙祷をした後は、昔の話をしたり、周りの景色を見たりして1時間くらい過ごしました。やはりその場所に来ると、当時を思い出します」(鈴木さん)

 慰霊祭の様子を想像するうちに、先月末の取材時に発した鈴木さんの言葉が甦ってきた。

「津波から僕は生かされましたし、生かされたからには、馬のためにできることをやっていきたいです。どんな馬にも可能性はゼロではありません。1分でも1秒でも長く命があるように、1頭でも多くの競走馬を乗馬として生きていけるようにできればと思っています。そして人のために尽くしてくれる馬たちに感謝しながら、これからも馬と一緒に歩いていきたいですね」

 津波にのまれ、原発事故に翻弄されて、4年前のあの日を境に多くの馬たちの命が失われ、運命が変わった。ともすれば現実に流され、震災があったことすら忘れがちになるが、犠牲になった馬、被害に遭った馬たちの物語を胸にしっかりと刻み、今目の前にいる馬たちの命と向き合っていかなければと、改めて思うのだった。(了)

(取材・文:佐々木祥恵、写真提供:ホーストラスト北海道、ベルステーブル)



※NPO法人 ホーストラスト北海道
〒045-0024
北海道岩内郡岩内町字野束463番地の1
TEL:0135-62-3686
FAX:0135-62-3684

見学期間 3〜4月以外見学可(8月10日〜20日は不可)
見学時間 夏期10:00〜15:00、冬期13:00〜15:00

訪問する際には必ず事前連絡をしてください。

ホーストラスト北海道HP
http://www.horse-trust.jp/hokkaido.html
ホーストラスト北海道Facebook
https://www.facebook.com/horsetrusthokkaido

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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