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自ら戦いのさなかへ 野馬追戦士マーベラスタイマー【動画あり】

  • 2015年04月21日(火) 18時01分
第二のストーリー

▲大瀧馬事苑の大瀧康正さんとマーベラスタイマー(左)ロードエルドール(右、父スペシャルウィーク)


数百という騎馬武者の間を突き進み


「相馬野馬追」という伝統行事が毎年開催される南相馬市周辺には、競走馬を引退した馬が多く繋養されている。今回訪ねた南相馬市にある大瀧馬事苑にも、1999年のアルゼンチン共和国杯(GII)と2000年の日経新春杯(GII)に優勝したマーベラスタイマー(セン21)が暮らしている。

 マーベラスタイマーは、1994年4月24日に北海道新冠町のヤマオカ牧場で誕生した。父モガミは、ダービー馬シリウスシンボリや牝馬三冠を達成したメジロラモーヌなどを輩出したが、一方で気性が難しい産駒を出すことでも知られていた。母のシマノリマンドは、マーベラスタイマー以外にも、1994年の中京記念(GIII)を勝ったシマノヤマヒメや、2000年の新潟ジャンプS(J・GIII)優勝のチアズニューパワーと3頭の重賞ウイナーを送り出してている。

 美浦の矢野照正厩舎から1997年1月に4歳(馬齢旧表記)でデビューしたマーベラスタイマーは、関係者がクラシックを意識するほどの素質を持ちながらも、脚部不安から競走馬としては必ずしも順調ではなかった。だが九十九里特別(900万下)に優勝後に格上挑戦したアルゼンチン共和国杯(1998年)で5着に入り、能力の片鱗を見せると、6歳(馬齢旧表記)になった翌年の1月に中山2500mの準オープン戦を勝利。

 その後は前述通りアルゼンチン共和国杯(2500m)と日経新春杯(2400m)に優勝するなど中長距離を得意にしていたマーベラスタイマーだったが、GIには手が届かないまま、2001年3月の日経賞(GII)7着を最後に競走馬登録を抹消した。

第二のストーリー

▲現役時代のマーベラスタイマー(1998年九十九里特別、撮影:下野雄規)


 引退後のマーベラスタイマーが引き取られたのは、福島県原町市(現・南相馬市)にある乗馬施設の大瀧馬事苑だった。代表の大瀧康正さんによると、東日本大震災前は農業と馬事苑と兼業での生活だったが、震災後は福島第一原子力発電所の事故による放射能汚染のため米の作付け制限を受けた影響もあり、農業は休業状態。現在は馬事苑1本で生活しているという。

「マーベラスタイマーは、知り合いの紹介でウチに来ることになって、美浦に引き取りに行ったんですよ。ウチの馬運車は馬を横にして積むようになっているんだけど、トレセンでは馬を縦にして積むでしょ? だから縦に積んでほしいという話になって、仕切りを外して縦にマーベラスタイマー1頭を積みました。福島までの道すがら、中で暴れたり蹴ったりしていてましたね」

 と大瀧さんは、マーベラスタイマーとの初めての出会いを振り返った。

「そしたら、まあ気の強い馬でね。洗い場などで馬が隣にいるとダメなんだね。威嚇して蹴散らすような勢いで(笑)。さっきも言ったように馬運車も普段は横積みだから、この馬1頭しか積めなかったんだよね。だから馬事公苑(南相馬市馬事公苑)あたりに野馬追の練習に連れていく時には、他の馬を一緒に積めなくてこの馬1頭で行っていましたよ」

 大瀧馬事苑に来てから早い時期に去勢はしていたが、それでも2、3年はうるさかった。

「他の馬に対してはなぜかダメだったんだけど、人には最初から大丈夫でした。乗ってみたら強くてね。ハミをガクッと外そうとして。だけど人を乗せるとやっぱり優秀でしたよ。来た年から野馬追も大丈夫でしたしね。神旗争奪戦(花火で打ち上げられた神旗を何百という騎馬武者が争奪し合う)では、だいぶ旗も取りました。僕も取ったけど、僕が出なくなってからこの馬に乗っている人も結構取ってますよ。多い年で3本くらい取ったんじゃないかな。去年も取ってるしね」

 神旗争奪戦では、花火1発につき2本の旗が打ち上げられる。花火は計20発だから、計40本の旗が打ち上げられる計算になるが、落ちてくる旗に殺到する数百という騎馬武者たちの間に突っ込んで行くには馬に勇敢さが必要だし、その中で3本の旗を取るというのはかなりの猛者と言って良いと思う。

「マーベラスタイマーの場合、馬自体が中に入って行くからね。他の馬をやっつけるくらいの強い気性だから、中に入って行けるんじゃないかなと思いますよ。それに最初っから、旗にも全く驚かなかったしね。普通の馬は初めて旗を見るとビャーッと向こうに飛んで行ったりするんだけど、この馬は旗を差したままでも乗れましたから。こういう走った馬というのは、度胸があるんでしょうね」

 騎馬武者が身につける旗に慣れるのも、野馬追に参加するための必須条件だが、ことマーベラスタイマーに関しては、旗には全く苦労はなかったようだ。

 また福島競馬開催中に福島競馬場でエキシビションとして行われていた相馬野馬追の甲冑競馬にも、同馬は何度も参加していた。

「他の馬とは脚色が違うんですよね。後ろから行っても、ゴール前で全部追い抜いちゃって。他の馬が止まってみえたくらいです」

 気が強くて度胸があり、走らせれば重賞勝ちの貫録を見せつける、男前のマーベラスタイマーにも、苦手なものがあった。それは障害飛越だ。

「モガミの子は馬術の障害飛越競技で結構成功しているので、一時、障害の練習をさせてみたこともあったんですよ。でも飛ぶというよりは壊していっちゃうんだよね(笑)。障害には向かって行かないわけじゃないんだけど、バーッと障害を壊していっちゃうから。ああこれはダメなんだなと思って、障害練習は止めました(笑)」

原発の影響で一時は北海道へ疎開


 気が強いと聞いたので恐る恐る馬房の前に行ってみると、そこには穏やかな表情の馬がいた。「これですよ」と大瀧さんに教えられても、にわかには信じられない。

 それほど馬房の中のマーベラスタイマーは、おっとりとした風情だったのだ。大瀧さんから人参をもらうと、嬉しそうにかぶりついた。だがそのかぶりつき方も、凶暴な感じは一切ない。マーベラスの向かいにいる派手な風貌のスペシャルウィークの子・ロードエルドールも、人参につられて顔を出す。大瀧さんがエルドールに人参を差し出しても、マーベラスは至って平静だった。以前、他の馬を威嚇していたというのが嘘のように穏やかだ。


「うちには2001年に来ましたが、大人しくなったのは7〜8年前くらいでしょうかね。今では女の子が運動で乗っても平気なくらいです。本当に何もしなくなりました。馬に対しても、今は全く問題なくて大丈夫ですよ」

 そんなマーベラスタイマーも、一時期、南相馬を離れていた時期があった。

「ウチから海までは2.5か3キロくらいだけど、場所的にちょっと高いみたいで津波は大丈夫でした。でもやっぱり原発が爆発しましたからね。すぐに避難ということになって、親戚のいる郡山とか那須に避難しました。馬たちは会津の知り合いに頼んで、そちらで預かってもらったりしていたんですけど、4月末か5月の連休の頃、大丈夫ということでここに戻ってきました。でも馬の餌がなくて困ってしまってね。そこへ北海道で馬を預かってくれるということで募集があって、それに申し込んで預かってもらいました」

 預託先は日高町家畜自衛防疫組合(旧五輪共同育成センター)。当時、大瀧馬事苑にいたナイスナイスナイス、タマモヒビキらとともに、2011年8月末に海を渡って北海道の地を踏んだ。放牧地で草を食む日々を過ごして、翌年の4月に住み慣れた南相馬に無事戻ってきた。

 それから3年の歳月が流れた。その間、一昨年6月にナイスナイスナイスが老衰で亡くなり、昨年6月にはタマモヒビキが疝痛で亡くなっている。一緒に北海道に疎開していた仲間を失いはしたが、マーベラスタイマーは至って健康に毎日を過ごしている。

「元気で別に悪いところもないですけど、年が年だからコズミが出てきましたね。ゴツゴツゴツゴツという感じで」と大瀧さんが、マーベラスにまた1本人参を差し出した。

第二のストーリー

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 そして「この馬は、野馬追が近くなってきたら、またその時期が来たってわかっていると思いますよ(笑)」と優しい笑顔でマーベラスの方を見た。

 2015年度は、7月25日〜27日まで相馬野馬追が開催される。神旗めがけて数百という騎馬武者の中に突っ込んで行くマーベラスタイマーの勇姿が、今年もまた見られることだろう。(つづく)

(取材・文・写真:佐々木祥恵)


※マーベラスタイマーは見学可です。

大瀧馬事苑
〒975-0037 福島県南相馬市原町区北原字平11
電話 090-3642-1095

展示時間 10時00分〜15時00分
(見学申込方法 要事前連絡7日前まで)

引退名馬(meiba.jp)のマーベラスタイマーの頁
https://www.meiba.jp/horses/view/1994106946

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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