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松田大作騎手(2)『やっと普通のジョッキーになれたかな』

  • 2015年05月11日(月) 12時00分
おじゃ馬します!

▲「人より早く腐ってしまった」、今週は不甲斐なかった若かりし頃の自分を振り返ります


毎年20勝30勝をコンスタントに続け、一昨年には自身最多の47勝をマーク。安定した成績を挙げている松田騎手にとって、足りなかったものが「JRAの重賞タイトル」でした。ついに今年、その悲願を達成。「やっと普通のジョッキーになれたかな」と表現した松田騎手が、不甲斐なかった若かりし頃の自分を振り返ります。(取材:赤見千尋)


(つづき)

あふれる思いを受け止められなくて申し訳ない


赤見 お話はファルコンSでの勝利に戻りますが、デビュー19年目での初重賞勝利。何かお祝いはされました?

松田 いえ、特にはしていないですね。いろいろバタバタしていて、まだ時間が取れていないんです。

赤見 レースが終わってからまだ日も浅いですしね。少し時間が経ってみて、改めて感じることってありますか?

松田 重賞を勝ったっていう実感みたいなものはあまり感じてないんですけど、やっと普通のジョッキーになれたかなという思いはありますね。その前にマカオの招待競走でマカオの重賞は勝たせていただいたんですけど、「JRAの重賞」となると、ちょっと違いますからね。

赤見 やっぱり「JRAの重賞」というものはご自身にとって…。

松田 大きいですよ。正直、勝てると思っていなかったんで。19年間ジョッキーをやってきて1回も勝てていなかったわけですし、勝つチャンスのある馬が回ってくる事も難しいかなと思っていましたから。だからこそ、重みがありすね。

赤見 レース後に涙を流されることって、普段はありますか?

松田 僕の場合はないことではないんですけど。なんて言ったらいいですかね、難しいんですけど…、プライベートなことでいろいろあって、涙を流すこともたくさんあったので。それでちょっと、泣き虫になっていたのかもしれないですね。

赤見 今回はうれしい涙?

松田 もちろんです。素直にうれしかったですね。千田先生も、開業されてから初めての重賞勝利だったんですよね。てっきりもう勝たれているものだと思っていて。千田先生は、僕が勝ってないことはご存じだったと思うんですけど。

赤見 どんなふうに喜び合ったんですか?

松田 先生は中山に行かれていたので、中京にいなかったんです。だから口取り写真、僕と厩務員さんの二人だけだったんですよ。19年間で初めてのことなのにこれかいっ! みたいな(苦笑)。なんとも寂しいなと。

赤見 ちょっとシンプルな感じの…

松田 いやいや。シンプルすぎましたよね(笑)。撮られる人よりも撮る人のほうがいっぱいいたんですもん。すごく不思議な感じでした。そんな状況だったのでウウッ…て感情を出しきれなくて、ちょっとドギマギしてました。

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▲ファルコンSのレース直後、厩務員さんと二人で喜びあった


赤見 千田先生も本当はその場にいたかったでしょうね。

松田 それはそうでしょうね。レースの後、先生と話したときの第一声が、「お前のあふれる思いを受け止めるやつがいなくて申し訳ない」でしたからね。「本当ですよ、先生」って言いました(笑)。

赤見 感動的な場面だったのに。厩務員さんも、ある程度したら馬と一緒にいなくなってしまいますもんね。

松田 まあ、関係者の方があの場にたくさんいたら僕はもっと泣いてたかもしれないので、ちょうどよかったのかもしれないですね。先生も僕のこといろいろ知っていてくださるので、あの場にいたら絶対泣いてたと思いますし。でもまあ、ジョッキーをやっている以上、重賞を勝つことだけが目的じゃないですから、これからもいい馬と巡り合えて、GII、GIとステップアップしていきたいなという思いはありますね。

人より早く腐ってしまった


赤見 ここで結果が出たというのは、これまで積み重ねてきた成果でもありますよね。

松田 積み重ねてきたというか、僕は若い時、あまり考えずに仕事をしてきたので。もちろんまったく考えていなかったわけではないですが、今思い返すと、遊ぶことの方に夢中になっていたなって思います。今なら、デビューした頃にもっとやっておけばよかったなって分かるんですけどね。

赤見 武幸四郎さんとか秋山真一郎さんが同期ですよね。

松田 同期の中でも、最初からうまくいく人とそうではない人とで分かれましたね。初勝利を重賞で決める同期がいる一方で、なかなか勝てない僕らみたいなのもいて。

赤見 さらに上の期がすごい人たちですもんね。

松田 ひとつ上が“花の12期生”ですからね。減量の時に一緒に乗っていたわけです。そういうこともあってか、なかなか乗り馬にも恵まれなかったですし、周りがほとんど競馬サークル出身のなかで、僕は外から入ってきた人間だったから、そういう面でもうまく立ち回るのが難しかったというか。そういう環境の中で、人より早く腐ってしまいましたね。

赤見 ジョッキーにあこがれた少年時代とは、現実は違ったというか?

松田 予想していたのとは違いましたよね。理想と現実はかけ離れていました。そんな状況から逃げたかったのもあって、だんだんと遊びの方に向かってしまっていましたね。

赤見 また、ジョッキーってモチベーションをそがれる出来事もたくさんあるじゃないですか。馬との巡り合わせとか、乗り替わりとか。

松田 心が折れますね。今回みたいに大きな結果が出たり、期待している馬がいてくれるときは、わくわく楽しく仕事ができるんですけど、そうでない時にモチベーションを維持するのは本当に大変ですね。

赤見 それを立て直すのは、どうやってやっていらっしゃったんですか?

松田 何かを大きく変えたっていうことはないかもしれません。地道にこつこつですね。まあ、ひとつ大きなきっかけになったのは、結婚ですね。

赤見 2009年にご結婚。

松田 はい。結婚をきっかけに自分の意識も変わっていったと思います。遊びに向かっていた気持ちが、もう一度競馬の方に向き直ってきて。こつこつ頑張ったことが結果として出てくれることに、喜びも感じられるようになりました。やっぱり、気持ちが一番大きいですよね。気持ちがついてこないとダメですね。

赤見 そういう意識の変化の中で、2010年に2度目のイタリアへの武者修行へと。この時って、結婚してすぐですよね。そのタイミングで長期で家を空けることを許してくださるなんて、寛大な奥様ですね。

松田 そうですよね。「やりたいことは何でもやって」と言ってくれるんです。しかも、半年間も無収入だったのに、文句一つ言わずに、本当によく頑張ってくれたなって。もう、何も言えないですね。感謝してます。

赤見 さかのぼると、結構それまでも海外にはよく行かれてましたよね。最初にイタリアに行かれたのが2001年でしたが、海外に行こうというのはどういうお気持ちからだったんですか?

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▲「海外に行こうというのはどういうお気持ちからだったんですか?」


松田 2001年って、デビューして5年目の年なんですよね。6勝しかできてないんです。まさに腐りかけていた時で、自分の気持ちを持ち上げるために海外に行こうと。

赤見 一度環境を変えてみようと。

松田 やっぱり、ずっと同じ場所でずっと同じ人たちの中で戦うというのは、良くも悪くも慣れてしまうじゃないですか。そういう時に少し環境を変えると、すごくフレッシュな気持ちで仕事に臨めるんですよね。僕、すぐ調子に乗るタイプなので、自分で自分に刺激を与えないと(笑)。

赤見 調子に乗るタイプ(笑)。若かりし頃の武勇伝、結構いっぱい持ってそうですね。

松田 武勇伝ですか? いやいやいや、人様にお話できるようなことは何もないですよ(笑)。

(つづく)

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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