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清水久詞調教師/ダービー『キタサンブラック 兄弟タッグで狙う厩舎初GI』

  • 2015年05月28日(木) 12時01分
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▲開業して丸6年、頂点日本ダービーに挑むキタサンブラックと清水師


トライアル・スプリングSを制し、皐月賞では2番手から3着に粘り込んだキタサンブラック。4戦3勝、3着1回。安定した走りで、皐月賞からの逆転を狙うキタサンブラックの清水久詞調教師を直撃した。(取材・文:大恵陽子、撮影:大恵陽子、下野雄規)


遅かったデビュー


 キタサンブラックがデビューしたのは3歳の1月31日。デビュー3戦目で日本ダービーを制覇したフサイチコンコルドのそれよりも、26日遅いものとなった。

「どこか悪いところがあったわけではないんです。ただ、1歳の時から500kgを超える馬で、能力以上に大きくなった体をもてあそぶところがあったんです。無理に強い負荷をかけずに育成牧場でじっくり育ててもらいました」

 栗東・清水久詞厩舎に昨年末に入厩し、デビュー戦(東京・芝1800m)を勝利で収める。関西馬なのになぜ関東デビューだったのか。

「うちの厩舎は関東によく遠征をするのと、大きな跳びの馬なので広い馬場が合うと思いました」

 同時期に京都では芝・外1800mの新馬戦もあったが、騎手の都合もあって東上した。レースはすんなりとゲートを出たが、中団を追走。直線で追い込み、初戦をものにした。

「エンジンのかかりが遅く、小脚が使えるタイプじゃないのでイメージ通りの競馬でした」

 2戦目は2月22日、3歳500万下(東京・芝2000m)。デビュー戦とは対照的に二の脚で2番手につけ、直線では大きく逃げていた馬を捕まえ勝利。

「2戦目でガラッと変わってビックリしました。調教で大きく変わったところはなかったんです。たった1回のレースで自分で競馬を覚えるところが、走る馬なんでしょうね」

 走る馬は自分で競馬を覚え、自分で体も作るという。かつて調教助手時代に担当したGI3勝馬ファレノプシスや、厩舎に初重賞をもたらしたトウケイヘイローもそうだと言う。

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▲「たった1回のレースで競馬を覚えるところが走る馬」と清水師


 続く3戦目は3月22日、スプリングS(GII、中山・芝1800m)。

「体調には自信を持っていました。あとは相手関係と、中山コースに不安がありました。でも、中山はいつかどこかで使わないといけませんから」

 2戦目同様2番手につけると、直線入口で先頭に立ち後続を突き放しにかかった。リアルスティールや2歳王者ダノンプラチナが追い詰めるが、クビ差粘ってゴール。小回りコースへの不安を払拭し、3戦3勝で皐月賞へと駒を進めた。

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▲スプリングSを制したキタサンブラック


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▲キタサンブラックを愛撫する、オーナーの北島三郎さん


完敗の皐月賞


「無敗で挑むからといって、プレッシャーはありませんでした」

 1番人気はもう1頭の無敗馬サトノクラウン。リアルスティール、ドゥラメンテに続きキタサンブラックは4番人気でレースを迎える。

 すっかり板に付いた先行策で、逃げるクラリティスカイの2番手を確保。直線に入ったところで直後にいたリアルスティールに並びかけられるが、坂で再び盛り返した。

 しかし、リアルスティールと後方から末脚を爆発させたドゥラメンテに交わされ、3着。初めて土をつけられた。

「前の2頭(1着ドゥラメンテ、2着リアルスティール)には完敗ですね。理想的なレースができた中で、きっちり交わされて、勝ち馬にいたってはあの末脚ですから。しょうがないです」

弟との強力タッグ


 清水師は1972年、大阪市で8人兄弟に生まれた。師が生まれた年に父・貞光さんが馬主資格を取得。2004年のスプリンターズSを制したカルストンライトオなどを所有した。

「幼稚園の頃から父親と色んな競馬場に行って、ひらがなよりもカタカナを先に覚えました(笑)」。生まれた時から競馬に囲まれた環境ゆえに、「他の仕事は一切考えたことがない」という。

 8人兄弟のうち競馬の世界に入ったのはもう1人いる。

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GIの注目馬にスポットを当て、主戦騎手や管理調教師を独占取材するnetkeibaのスペシャルインタビュー。GIに向けた意気込みや中間の調整過程、レース後に直撃し、戦いの舞台裏にあった知られざる真実を語っていただきます。

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