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高知から移籍、新たな舞台へ

  • 2015年08月07日(金) 18時00分


◆「園田競馬を盛り上げていけるような馬を育てられれば」

 8月1日付けで調教師免許を受けた、兵庫の新・調教師3名を紹介する2人目は、北野真弘調教師。ほかの2人が、所属していた競馬場が廃止されたことによっての移籍だったのに対して、北野さんは高知からの移籍。2003年1月4日が高知所属としての最後の騎乗で、2004年9月29日付けで兵庫所属として騎手免許を再取得した。

 北野さんは1992年から2001年まで10年連続で年間100勝超を達成し、そのうち1992〜94、96、97、99〜2001年には高知リーディングを獲得。移籍を決めたのは高知での絶頂期だ。しかしこの頃、高知ではリーディング上位騎手の何人かが他地区に移籍している。高知では馬券の売上が落ち込み続けていた時期で、このあと2008年度に1日平均の売上が約4千万円となって底を打つまで落ち込み続けることになる。若い騎手ならともかく、家族のことなどを考えたときに、北野さんだけでなく、移籍は止むに止まれぬ事情での決断だったようだ。

 移籍した兵庫では、2008年に一度だけ、年間ちょうど100勝を挙げている(兵庫リーディング6位)。

「高知では怪我したことなかったんやけど、こっちに来てから怪我が多かったんでね。4回くらい、続けざまに。ただそれ以外は順調にやってきました。まあまあ楽しくやらせてもらったと思います」

 調教師への転身は、2つの思いが重なってのこと。

「高知にいるときも、園田に来てからも、ずっとジョッキーでおるつもりやったんやけど、2年くらい前から(調教師になることを)考えるようになって、マナブ先生(所属していた野田学調教師)が倒れたこともあったのと、だんだん乗り数も少なくなってきて、自分の気持ちが(騎手から)離れていくということがありました。1回目(の試験)は落ちたんやけど、2回目で受かりました」

 高知時代の思い出の馬を聞くと、真っ先にリバーセキトバを挙げた。1998年、第1回として行われた交流重賞の黒船賞を勝利。いまだ高知所属馬が交流重賞(ダートグレード)を制したのはその一度だけ。一方で、兵庫に移籍して新たな経験もできたという。

「中央で乗ってみたいというのもあったので。園田でも重賞(園田プリンセスC)を勝たせてもらったアートオブビーンでは、阪神(ダート1200m、500万下)で3着がありました。あとは新潟の直線1000mでの2着(2005年8月28日、稲妻特別、オールザコスモ)。1番人気が隣の枠の(安藤)勝己さんやったんです。それについていけばと思って横にずっといたら、ゴールがわからないんですよ、初めてだから。どこがゴールなんや?って(笑)。外枠だったんで外ラチ沿いを走っていて、あっちもこっちも見なあかんなと思っているうちに、ゴールしたら2着だった(笑)。おもしろかった。一度乗ってみたいと思っていたんですよ、直線競馬は」

 すでに免許は受けているので、肩書きは調教師だが、実際に厩舎を開業するのは、馬房が空く順番待ちとなっている。目標をうかがった。

「とりあえず今は馬を集めるのにたいへんです。その先ですか? 1頭でもいいから、中心になる馬、園田競馬を盛り上げていけるような馬を育てられればと思います」

 北野さんの家は高知にあり、ときどきは高知競馬にも顔を出しているという。自身の管理馬で、高知の交流レースに出走できたら、ということも考えているのではないだろうか。

地方競馬に吠える

2015年7月24日の引退セレモニー。当日の交流レースに管理馬を出走させていた高知の雑賀正光調教師から花束が贈られた

1964年生まれ。グリーンチャンネル『地・中・海ケイバモード』解説。NAR公式サイト『ウェブハロン』、『優駿』、『週刊競馬ブック』等で記事を執筆。ドバイ、ブリーダーズC、シンガポール、香港などの国際レースにも毎年足を運ぶ。

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