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JRA発走委員(1)『枠入り躊躇 なぜすぐに目隠しをしないのか』

  • 2015年09月14日(月) 12時00分
おじゃ馬します!

▲JRA審判部、スターターの長島隆樹氏


大勢いるJRA職員の中でたった13名という、選ばれし存在の発走委員。代わりのいない専門職であり、「事故のない安全で公正なゲート」を常に守るために日々努力をしています。競馬でスターターが赤い旗を振るシーンが印象的ではありますが、「発走委員の業務は平日こそ大事だ」と言います。実は、そこにこそ「ローブティサージュのムチ問題」の最大の理由がありました。

(ゲスト:JRA審判部 長島隆樹氏、取材:赤見千尋)



(前回のつづき)

安全なスタートは複数の目で


赤見 今の発走委員は、どういう方がなっていらっしゃるのですか?

長島 馬について詳しい人間ですね。大学の馬術部出身者や競馬学校の元教官、あとは獣医師の資格を持った者です。いずれにしても馬をしっかり理解していること。そうでないとできない部分がありますから。

赤見 となると、JRAに入ってすぐにスターターというのは難しいんですか?

長島 いきなりはないですね。最低10年程度は他の部門で経験を積んで、その中から一本釣りする感じです。私の場合ですと、大学は馬術部で、卒業して平成2年にJRAに入りました。最初の4年は獣医師として栗東トレセンの診療所に勤務して、その後は宮崎と日高の育成牧場、本部の生産育成対策を合わせて、9年ぐらい育成の仕事を。その後は本部の馬事振興課に1年いて、今に至ると。

赤見 と言うことは、JRAに入られて14年目でスターターになって、現在はスターター歴12年。お声がかかった時はどうでした?

長島 「来たか!」、と(笑)。やはり、入会当時は憧れみたいなものはありましたからね。実際にスターターとなったら、厩舎との信頼関係を築くことが大事ですので、一度なったら長く務めることが多い職種でもあります。代わりがいない仕事でもありますので、体調管理にも気を遣います。

 発走委員の仕事で、皆さんが馴染みがあるのは開催日だと思います。開催日の仕事は、「馬場入場から、発走後にゲートを引き込むまで」。発走してもう一度馬が戻ってくることもありますから、ゲートをしっかり片付けて、馬場埒を元通りにするところまで確認しています。

赤見 発走業務は何名でされているんですか?

長島 発走委員が4名。馬を引く整馬係が10名。発馬機の設置や移動、後扉を閉めたりするスタッフ、これはJSS(関連会社であるジャパン・スターティング・システム)の方々ですけれども、こちらが16名。計30名体制です。

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▲○で囲まれた方が発走委員


赤見 スタート直前は、ファンの興奮が一番高まる時ですよね。スターターが赤い旗を振って、ファンファーレが鳴って…

長島 実は、このようなスタイルって日本だけなんですよ。皆さんにはセレモニー感満載かもしれませんが(笑)。スタート前に赤い旗を振るのは200m先にいる白旗係に「これからレースが始まりますよ、準備は良いですか」と確認するためなんです。あとは発走がやり直しになった時にも、白旗係に合図を送ります。

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▲(写真:JRA)


長島 枠入りの順番は、よくご存じだと思うのですが、まずは「先入れ」と言って枠入りが悪い履歴のある馬、その後に馬番が奇数番の馬、続けて偶数番の馬が入りますよね。最後に枠入れするのは、基本的に大外の馬となります。全頭がきちんと入ってスタッフが離れたら、ゲートイン完了と。

赤見 その瞬間を壇上のスターターが確認して、スタートが切られる?

長島 最終的にはそうなのですが、壇上だけでは後方の危険を見落とす可能性もありますので、そこは複数の発走委員の目で確認されているんです。最後の馬が入る前に騎手達には声をかけて、その旨を伝えます。最後の馬が枠入りしたら、後方にいる発走委員が「後扉が全て閉まったこと」「前に人がいなくなったこと」を確認して手を挙げます。そして、ゲートの前面にある赤いランプがつきます。それを確認して、壇上のスターターが速やかに扉を開けると。

赤見 ランプがつくのは、どういう仕組みなんですか?

長島 手を挙げる人間が、リモコンを持っているんです。ランプだけでは機械なので故障することも考えられます。その点、手は絶対ですからね。そういう意味では、万が一ランプがついていない時でも、手が挙がっていることが確認できればゲートを開けます。

主催者が原因になることはあってはならない


長島 ゲートでの緊急対応も、我々のやらなければいけないことです。それは「競走除外」「外枠発走」「発走再行」という3つのパターンですね。

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▲(提供:JRA)


長島 ひとつ、過去に外枠発走になった事例をご紹介します。馬を落ち着かせるために騎手から「ゲートの前に誰か立ってください」と言われることがあります。これ自体はよくある事なのですが、この時はそのまま馬がゲートを飛び出してしまい、危険だと判断して外枠発走になったのですが、前に立っていた職員が馬に突き飛ばされて、気を失ってその場に倒れ込んでしまいました。我々の仕事って、実は非常に危険でもあるんですね。1馬力なんて人間の力ではどうにもならないですから。それは忘れてはいけないところです。

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▲(提供:JRA)


長島 これは、いわゆる「カンパイ」ですね。どういった場合かと言いますと、「フライング発走であった場合」「発馬機が正常に作動しなかった場合」「明らかに当該人馬以外の外的要因により発走に支障があった場合」、例えば、人が飛び出して来た場合などですね。

 カンパイの場合は、我々の持っている赤い旗を振って、先ほどの白旗係に知らせるわけですが、白旗係は目の前から馬が走ってくるところに旗を振ってやり直しの合図をしなければなりません。

赤見 これも命懸けですね。

長島 おっしゃる通りです。さらに、やり直しとなると、走りだした馬をすぐに止める事が出来ないこともあります。人気馬が場合によっては、心悸亢進などで除外になってしまうかもしれません。発走できたとしても、発走のやり直しが致命的なマイナスになることもあります。だから我々にとって発走のやり直しは「極力起きて欲しくない」出来事なんですね。

 これがもし、機械の故障でとなったら、これはもう完全にJRAの責任になるわけです。我々が原因になっての発走のやり直しは、絶対にあってはならない。ですから、発馬機の整備にも万全を期しています。幸いここ20年近く、カンパイは起きていません。これは一定の成果であると思っています。

平日の仕事こそ何より大事


赤見 実は…、競馬の発走委員とトレセンで調教審査をされている方が、イコールだとは知りませんでした。

長島 そうでしたか。むしろ我々にとっては、普段の日の方が大事なんですよ。普段の発走練習で馬の状況をしっかり把握出来ていれば、競馬の時にそれが活かされてきます。逆に把握しきれていない状況があると、競馬の時に思わぬことが起こったりもします。ゲートに関しては、馬の癖とか特徴が出るものですから、普段から厩舎関係者とはコミュニケーションをよく取るようにしています。

 平日我々がやっている事というのは、「発走練習」「審査の実施」「各馬の発走状況を把握」「厩舎関係の方への助言や指導」。これ(下の画像)は「発走台帳」と呼ばれるもので、各馬の発走の様子を全て記録に残しているんですね。

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▲「発走台帳」(※ページの一部)各馬の競馬・調教でのゲートの様子が全て記載されている(提供:JRA)


 上段が競馬での成績やその際のゲートの様子、下段が練習の日付とその時の特記事項です。何も書いてないところは、枠入・駐立・発進に特に問題はなかったということです。例えば「入モ」というのは入りがもたついた、「後開」は主に枠入りと駐立の練習をしたということです。

 競馬の時は、これを出走する馬別に並び替えて、「競馬でどういう癖がある」「この馬は入りが悪い」「この馬は中でうるさい」ということを、皆で予め打合せをしてから臨んでいるんです。

赤見 そういう下準備があるんですね。調教審査のポイントはどういうところですか?

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▲(提供:JRA)


長島 ポイントは3つです。「枠入」では「騎乗者の扶助に従い、補助具を使うことなく、躊躇せずに枠入りすること」、「駐立」では「四肢を着地した状態で、一定時間静かに駐立状態を保持できること」、「発進」では「発走合図(開扉)に速やかに反応し、スムーズに加速しつつ、直進すること」。競走馬として特別難しいことではないと思っていますので、合格したら晴れて競馬に出られますよということですね。

赤見 何秒間入っていられたら、という規定はあるんですか?

長島 明確な規定はないです。と言うのは、例えば30秒って決めたら、31秒はよくて29秒はだめなのかという話になりますので。ジッとできていれば長くはなりませんし、ゴソゴソっとしたらもう少し見極める時間が必要になります。その辺りは臨機応変にですね。

赤見 普段からの積み重ねが、安全なゲートにつながっているわけですね。

長島 そのはずなんですけど…そこは、やはり馬ですのでね。10回何もなかったから11回目もそうかというと、そんな保証はないわけで。先日の小倉で枠入り拒否で競走除外になった馬も、30戦近くしていて目立った悪さはしたことがなかったんですよ。

赤見 今まで何にもしていない馬が急に…。

長島 ええ。ですから、出来る限り普段からの練習で、不安は取り除いておくべきです。例えば、発走練習に来た中にうるさい馬がいれば、「この馬は今週使うの?」「使います」「じゃあ明日も練習に来てください」とか、「しばらく使いません」「それなら根詰めてやらなくてもいいけど、週に1回はちゃんと来るように」と声掛けをしたり。あとは、毎レースのゲートの様子をビデオに撮っていますので、入りが悪かった馬、中でうるさかった馬、発進が良くなかった馬などを全て記録して情報として蓄積し、その馬の練習や次の競馬の参考にしてします。

なぜすぐに目隠しをしないのか


赤見 ここ最近のゲート問題で、枠入りを嫌がる馬への対応の仕方が話題になっていますが、順番とするとロープを使ったり、尾っぽを取ったり、前扉を開けたり、目隠しをしたりということになりますか?

長島 前扉を開けるとか目隠しは、最初からではなく、最後の手段となります。最初は見せるだけのムチですとか、なるべくプレッシャーのかかり過ぎない方法をとりますね。騎手の「前に行きなさい」という合図が大事なので、その段階ではあくまで騎手の扶助が主体です。

 それが効かない時に、我々が補助することになります。先ほどの発走台帳に「ムチで入る」という履歴があれば、比較的早めにムチを使うこともあります。ひと通りの手段がダメな場合には前扉を開けるとか、目隠しという方法になります。

赤見 ここでも発走台帳の情報が役に立ってくるんですね。

長島 「もっと早く前扉を開ければいいのに」とか、言われることもあるんですが、前扉を開けるというのも、実は危険をはらんでいるんです。過去にこんなことがありました。枠に入ったものの中でうるさくなってしまったので、一度馬を外へ出して外枠発走にしたんです。

 馬がさらに枠入りを躊躇するようになってしまったので、早めに前扉を開けたんですね。そうしたら、すごい勢いで飛び出してしまって。引いている整馬係も振り払って騎手も落ちてしまいました。

 幸いこの時は騎手が馬を離さなかったので大事には至らなかったんですけど、「前扉が開いたらダッシュするのは競走馬の条件反射」という部分もありますし、こういう危険な場合もありますので、我々は前扉を開ける場合には細心の注意を払います。すぐに前扉を開ければ良いとは限らないことをご理解いただきたいと思います。

 同じように、反抗した馬に目隠しをしたら、逆に怖がってひっくり返ってしまったこともありました。目隠しをしたことのない馬にいきなりすると、そうなることがあるんですよね。もし、目隠しをしたままパニックになって逃げてしまったら、最悪の事態が待っています。目隠しも、やはり危険はあるんですね。

赤見 効果的な場合もあるけれども、同時に危険もあるという。

長島 目隠しを十分に馴致していて慣れている馬だったら、最初からするのもいいんですけどね。前扉の件と同様に「ムチを使わずに早く目隠しをすればよかったんじゃないか」というご意見もいただきます。先ほどお話したように、我々は普段から各馬の発走状況の把握にも努めています。そのような中で「安全に目隠しが出来るという履歴がない」のであれば、あらゆる結果を考慮したうえで判断しなければなりません。例えば人間に著しく反抗しているような状況では、早くから目隠しをすることが必ずしも正解とは限らないのです。

 我々は人馬の安全を脅かすような危険な事例をたくさん見てきています。中央競馬だけでなく、地方競馬や海外競馬も。もちろん目隠しをしてスッと入る馬もいるんですよ。ただ、全部が全部ではないですから。「臨機応変」のつもりが「軽率な判断」になってしまってはダメなんです。我々は人馬の安全を最優先に、そのうえでさらに迅速かつ正確な判断を求められます。馬という動物を扱っている以上、その辺の難しさというのはあると思います。

(次回へつづく)

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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