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【菊沢隆徳調教師】スプリンターズSを終えて『復活を遂げたウキヨノカゼ、GI制覇へ夢は広がった』

  • 2015年10月13日(火) 12時01分
激白

▲スプリンターズSで好走したウキヨノカゼと管理する菊沢隆徳調教師


デビューから3戦目でクイーンCに優勝し、東のクラシック候補として名乗りを挙げたウキヨノカゼ(牝5)。だがクイーンCの後に脚部不安を発症し、長期休養を余儀なくされた。およそ1年9か月の休み明けから復帰後の4戦は成績を残せずにいたが、この夏、北の大地で重賞のキーンランドC(GIII)を含めて、スプリント戦2連勝と鮮やかに復活を遂げた。さらには10月4日のスプリンターズSではスローペースの中、後方からレースを進め、直線で大外から脚を伸ばして3着に食い込み、この夏の2連勝がフロックではないことを大きな舞台で証明してみせた。3歳時の重賞制覇の後の脚部不安と長期休養、復帰後の低迷、そして復活、GIレースでの好走と、紆余曲折あったこれまでの道のりについて、ウキヨノカゼを管理する菊沢隆徳調教師が語った。

(取材・文・写真:佐々木祥恵)



桜花賞断念、1年9か月におよぶ休養へ


 ウキヨノカゼが1歳になった春、菊沢は初めてその姿を目にした。

「お母さんのアドマイヤダッシュに乗っていたんですよ。気性がとてもきつい馬でしたけど、スピードがありましたから、その産駒を手掛けてみたいなと思っていました」

 アドマイヤダッシュはダートを中心に1000m〜1400mの短距離で7戦して1勝。菊沢は勝利を収めた新馬戦から4戦目まで手綱を取っていた。ウキヨノカゼは、アドマイヤダッシュの2番仔にあたる。

「(初めて見た時は)冬毛がまだモサモサしていましたけど(笑)、お尻がしっかりした馬だなと思いました。お母さんも筋肉質で立派な馬だったので、それを受け継いでいるようでした」

 2歳になったウキヨノカゼは、11月の東京競馬場でデビューを迎えた。芝1600mの新馬戦だったが、10番人気と評価は低かった。

「ウチはさほど速い時計は出さないので、あまり目立たなかったのだと思います。それに血統的にも地味な方ですし、冬毛も生えていて常歩時の歩様もガニ股気味ですから、決して見栄えが良い馬ではなかったですからね。でも速い調教を始めてからの動きが軽かったですし、内心は少し自信はあったんですよ」

 結果は1着。

「まだ当時は体が緩くて、ゲートも上手に出られなかったんですけど、思いのほか強かったですよね」と菊沢は当時を振り返る。

 2戦目に陣営が選択したのは、年明け1月のフェアリーS(GIII)、中山競馬場のマイル戦だった。「(直線で)仕掛けてからの反応がモサモサしていて、坂を上がってからまたグーッと伸びてきました。緩さもありますし、トビが大きくて小脚を使う器用さもないですからね」

 それでも逃げたクラウンロゼにゴール前はアタマ差まで詰め寄って2着と、十分手応えを感じるレース内容だった。

 続く3戦目はクイーンC(GIII)。新馬勝ちした時と同じ条件の中、スイートサルサをクビ差退け、重賞初制覇となった。

「この時もスタートはあまり速くはなかったのですが、何せ東京ですからバックストレッチである程度ポジションを取って、あとは直線での追い比べの競馬になりました。抜け出すとフワッとするところがあるので、最後は詰め寄られましたけどね」

 この勝利で、桜花賞(GI)への視界が一気に開けたはずだった。しかしアクシデントがウキヨノカゼを襲った。

「桜花賞には直接向かうつもりでしたが、放牧先で左前脚に脚部不安を発症しました。症状としては軽いものでしたが、生産牧場とも相談して無理はさせずにじっくり治すことにしました。大きい馬ですし、馬体を軽くして脚元に負担がかからないよう餌は草だけにして、1年くらい舎飼で休ませました。素質のある馬ですし、時間をかけて次のチャンスに賭けるということですね。馬体もガリガリでしたし、この期間が我慢のしどころだったと思います」

マイル路線からの転向


 我慢の時を経てウキヨノカゼが復帰したのは、クイーンC優勝から1年9か月後の2014年11月。だが

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GIの注目馬にスポットを当て、主戦騎手や管理調教師を独占取材するnetkeibaのスペシャルインタビュー。GIに向けた意気込みや中間の調整過程、レース後に直撃し、戦いの舞台裏にあった知られざる真実を語っていただきます。

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