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“失敗種牡馬”とも言われたスマーティージョーンズがケンタッキーに返り咲き

  • 2015年11月25日(水) 12時00分


成績が好転する導火線となったのはケイアイガーベラ

 2004年の北米3歳2冠馬スマーティージョーンズ(14歳)が、来季はケンタッキー州のカルメットファームで供用されることが発表された。

 2005年の初供用から2010年まで6シーズンにわたってケンタッキー州のスリーチムニーズファームで供用された後、2011年からペンシルヴァニア州で種牡馬生活を送っていたスマーティージョーンズにとって、北米におけるサラブレッド生産の総本山への、6シーズンぶりの復帰となる。

 ペンシルヴァニア産馬で、2歳11月に地元のフィラデルフィアパークでデビューすると、無敵の快進撃を見せたスマーティージョーンズ。フィラデルフィア産馬限定戦を2連勝した後、アーカンソー州を舞台としたケンタッキーダービーの前哨戦、サウスウェストS、レベルS、G2アーカンソーダービーの3競走を完全制覇。G1ケンタッキーダービーも2.3/4馬身差で完勝して、シアトルスルー以来27年ぶり史上5頭目の無敗のケンタッキーダービー馬となった。凄まじい競馬を見せたのが2冠目のG1プリークネスSで、2着以下になんと11馬身半という圧倒的な差をつけて8連勝を飾り、アファームド以来の3冠達成は火を見るよりも明らかと、誰の目にも映ったのだった。

 ベルモントSにおける単勝オッズは1.35倍で、今年のアメリカンフェイローのベルモントSにおけるオッズが1.75倍だったことを考えると、スマーティージョーンズがいかに被った1番人気だったかがおわかりいただけよう。当たっても換金せず記念品として保存しようと考えてファンがたくさんいて、これに応えた競馬場側がスマーティージョーンズの単勝馬券専用の発売窓口を設けるなど、まさにスマーティージョーンズ一色に塗りつぶされたベルモントSとなった。

 だが結果は、バードストーンに1馬身及ばぬ2着。3着ロイヤルアソールトはスマーティージョーンズの8馬身も後にいたから、バードストーンが走りすぎたとも言えるが、「この馬でもダメなのか」と、北米の競馬ファンが3冠馬をその目で見ることを半ば諦めかけたのが、この年のベルモントSだった。

 ただし、抜群の能力を持つ馬であることはもとより実証済みで、10万ドルという種付け料が設定されて、スマーティージョーンズは大きな期待を背負って種牡馬入りしたのだった。

 ところが、種牡馬スマーティージョーンズは出だしから大きく躓いた。初年度産駒が2歳となった2008年、登録された81頭のスマーティージョーンズ産駒のうち、勝ち上がったのはわずか8頭で、勝ち星は10勝。ビースマートというG1アルシバイアデスS2着馬は出たものの、ファーストシーズンサイヤー・ランキングの32位という、大不振に終わった。当初から、スマーティージョーンズの牝系の弱さを指摘する声はあったのだが、これが不幸にも的中した形となった。

 2世代目から、G2サンフォードS、G3バッシュフォードマナーSという2つの2歳重賞を制したバックトークが現れたものの、依然として期待値には遥かに及ばぬ成績で、そうなると、生産者の見限りが早いのはいずこの国でも同じである。なおかつ、スマーティージョーンズと同じ年に種牡馬入りした馬には、今や種付け料30万ドルの大種牡馬となったタピットを筆頭に、メダグリアドロー、スパイツタウン、キャンディライドと、その後の活躍種牡馬がズラリと並んでいたこともあって、スマーティージョーンズの人気は急落。2010年には種付け料が1万ドルまで下がったが、翌春に生まれた産駒は29頭まで減少することになった。

 スマーティージョーンズのオーナーブリーダーで、種牡馬入り後も多くの株を保持していたパトリシア・チャップマンさんは、このままケンタッキーで種牡馬を続けていてもジリ貧になるばかりと判断。より多くの生産者のサポートを得るべく、2011年からスマーティージョーンズの繋養地を、彼自身の生まれ故郷であるペンシルヴァニア州に変えることになった。

 産駒成績が少しずつ好転しはじめたのは、スマーティージョーンズがケンタッキーでの種牡馬生活に別れを告げようとしていた頃で、導火線となったのは日本の競馬だった。初年度産駒の1頭で日本に渡ったケイアイガーベラが、2010年7月にG3プロキオンSに優勝。同馬は翌2011年のG3カペラSにも優勝している。2010年の秋には北米でも、G3バーボンSを制してG1BCジュヴェナイルで3着となったローグロマンスが登場。北米では2011年に、G3ラスフローレスに勝ちG1サンタモニカSで2着に入ったギルデッドジェムが出現している。そして翌2012年には、豪州で生まれたスマーティージョーンズ産駒で、シンガポールの高岡秀行厩舎に入ったベターライフが、星G1シンガポールGCに優勝。同じ2012年には、北米で生まれて南米のパナマでデビューしたスマートディーエヌエーが、パナマG1クラシオ・プレジデンテ・デ・ラ・リパブリカを制覇。同年8月には北米でも、産駒のオールドタイムホッケーがデルマーのG2ラホイヤHに優勝。2013年春の段階で、スマーティージョーンズの種付け料は7500ドルまで下がっていたが、そのクラスの種牡馬としては、そこそこコンスタントに活躍馬を送り始めたのである。

 そして遂に2013年6月、パトリシア・チャップマンさんの生産馬セントラルインテリジェンスが、ハリウッドパークのG1トリプルベンドSに優勝。スマーティージョーンズにとって、北米におけるG1勝ち馬第1号となったのである。2014年には、G2ラスヴェガスマラソンSやG3グリーンウッドCを勝ったケアリーストリート、そして2015年には、G3ジェロームS2着馬ナサらが登場している。

 こうした状況を見て、より上質のケンタッキー繋養繁殖牝馬に配合すれば更に活躍馬を出すはずと見込んだのが名門カルメットファームで、パトリシア・チャップマンさんと交渉を持った末、スマーティージョーンズのケンタッキー返り咲きが決まったのである。2015年には4000ドルまで下がっていた種付け料は、2016年には7500ドルとなることが、既にカルメットファームから発表されている。

 一度は失敗種牡馬の烙印を押されたスマーティージョーンズが、ケンタッキーに戻ってどんな産駒を出すか。その行方を見守りたいと思う。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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