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中山大障害&中山グランドJ優勝馬 ブランディスの穏やかな日々/動画

  • 2015年12月15日(火) 18時01分
第二のストーリー

▲春秋障害GIを制したブランディスの今


(前回のつづき)

「低い障害だとなめて飛ぶんです(笑)」


 暮れの名物レース、中山大障害(J・GI)が、今年も有馬記念の前日の12月26日に行われる。大竹柵、大生垣を人馬が一体となって飛び越えるたびに歓声が上がり、過酷なコースを無事ゴールした人馬たちには場内から惜しみない拍手が送られる。平地のレースにはない独特な雰囲気と感動がそこにはある。

 2003年、その中山大障害が降雪のために延期となり、年が明けた2004年1月10日に行われたそのレースに優勝したのが、関東馬のブランディスだった。

 ブランディスは、1997年3月20日、早来町(現・安平町)のノーザンファームで生を受けた。父はサクラバクシンオー、母メゾンブランシュという血統だ。美浦の藤原辰雄厩舎の管理馬となり、1999年7月18日に函館競馬場でデビューをしている。

 1993、1994年とスプリンターズSを連覇したサクラバクシンオー産駒ということもあり、芝1200mもこなせるかと思われたが、初戦、2戦目は8着、4着と敗れている。初勝利は3戦目、舞台を札幌に移してのものだった。

「初戦はついていけなかったですからね。札幌で距離を1800mに延ばしたら、楽勝でした」と藤原辰雄調教師は当時を振り返った、2勝目は4歳(旧馬齢表記)12月の500万下、ダート1800mで、3勝目は2001年12月に同じく500万下のダート2400mで挙げている。しかし1000万条件に昇級してからは、成績が伸び悩んだ。

「それで試しに障害をやってみたら、これが意外にうまかったんですよ」(藤原調教師)

 気性的にも「結構やる時にはやるんですよ(笑)」と藤原師が言うように、激しい面もあったので、障害入りを機に去勢された。

 2002年12月の中山で障害デビューして4着となり、2003年1月の中山で初勝利を果たした。1か月後の春麗ジャンプS(OP)でいきなり2着。ちなみに優勝したのは、その年の中山グランドJ(J・GI)を制したビッグテーストだった。春麗ジャンプSの後は、オープン戦を3連勝とジャンパーとして着実に力をつけていった。

 11月の秋陽ジャンプSでは3着と連勝は止まったものの、前述通り、年明けの1月施行となった中山大障害では、終始先頭でレースを進めて、2着のウインマーベラスに2馬身半差をつける完勝。4月の中山グランドJでは好位でレースを進め、メルシータカオーに5馬身差をつけて圧勝し、J・GIで2連勝と、ハードル界の頂点に昇りつめた。

「飛越はものすごくうまかったですよ。レースも安心して見ていられました。ただ低い障害だとなめて飛ぶんですよ(笑)。だから練習では、本馬場の大きめの障害を飛ばせたりしていました」(藤原師)

 さらに活躍が期待されたが、結局、2004年の中山グランドJが最後のレースとなった。

「暮れの中山大障害を目指して調教をし出したのですが、繋靭帯が腫れてしまいました。1月に大障害、4月にグランドジャンプでしたから、それが負担になったのかもしれません」(藤原師)

 この時期のハードル界には、ギルデッドエージ(2002年中山大障害)、メルシータカオー(2004年中山大障害)、ビッグテースト(2003年中山グランドJ)ほか、強豪がひしめいており、互いにしのぎを削っていた。藤原師も「あの頃は強い馬がたくさんいて、障害レースが本当におもしろかったですよ」と懐かしむようにつぶやいた。

歌を忘れたカナリヤならぬ、飛越を忘れた障害馬


 競走馬登録を抹消されたブランディスは、生まれ故郷から近い苫小牧市のノーザンホースパークで乗馬としての馬生を歩んできた。最後のレースからおよそ11年という歳月が流れた。現在18歳、まもなく19歳になろうとしている。

 厩舎から引き出されてきたブランディスは、鼻の先が白くて、瞳も優しく、可愛らしい表情をしていた。藤原師が話していたような「やる時はやる」という激しさは微塵も感じない、全体的に柔らかな雰囲気を醸し出していた。それも歳月のなせる業なのかもしれない。

第二のストーリー

 今年で入社9年目となる乗馬営業課・観光乗馬部門統括の太田和明さんがノーザンホースパークに就職した時には、ブランディスは既に乗馬としてすっかり馴染んでいた。ここでは観光に訪れた人を乗せる観光乗馬のほか、乗馬クラブも営業している。太田さんによると

「いつも決まった会員さんが乗っています。僕は残念ながら騎乗したことはないのですが、乗りやすそうな感じですね。性格もものすごく穏やかですよ」とのことだ。

 中山競馬場の大障害コースを難なくこなしてきたのだから、ここでも障害を軽々飛んでいるかと思いきや、「いっさい飛んでないんですよ」(太田さん)という意外な答えが返ってきた。

「競馬場の障害と馬術の障害はまた違うんですよね。競馬はスピードに乗らなければならないので、低く飛んできますよね。でも馬術の世界では、脚を当てて障害を落とすと減点になりますので、競馬のような低い飛越はしません」(太田さん)

 確かに障害レースの場合、馬たちは竹柵をかきわけ、脚や腹を竹にこすりながら飛越する。あのような飛び方をすれば、馬術の障害飛越競技では一発でバーを落としてしまう。

「多分、障害を見せても飛ばないと思いますよ(笑)。もう何年も飛んでいませんしね(笑)」(太田さん)

 歌を忘れたカナリヤならぬ、飛越を忘れた障害馬といったところだろうか。


 ブランディスのエピソードを聞きながら、普段彼がスタッフに何と呼ばれているのかが気になってきた。ちなみに前2回で紹介したフォゲッタブルは「フォゲ」、アロンダイトは「アロン」と呼ばれている。ブランディスは? と質問すると

「ブランディス!」と、太田さんと入社1年目のスタッフ細沼宏行さんが、同時に答えた。

 健康状態も、至って良好だ。「たまに立ち上がったりしているのは見かけますけど、サラブレッドですし、それも元気があるということで良いと思いますね」(太田さん)

 ブランディスの馬房の前に1枚のパネル写真が飾ってあった。ゼッケンには「3」という番号と英語の馬名、正しく中山グランドJに優勝した時のものだった。手綱を取った大江原隆元騎手のサイン入りだ。

第二のストーリー

▲中山グランドJ優勝時の、大江原隆元騎手のサイン入りパネル


「ここではいくつかの厩舎に分かれていて、各厩舎に番号がついているんです。サラブレッドが多くいるのが3厩舎と呼ばれている所なのですが、ブランディスはそこではなくて、他の種類の馬もいる2厩舎にいるんです。そのせいなのか、ブランディスのお部屋の前にあるパネル写真を見て初めて『この馬はサラブレッドなんだ』と気づかれるお客さまも結構いらっしゃいます」と太田さん。

 栄光のパネル写真をデジカメに収めて外に出ると、ブランディスはのんびりした様子で窓から外を見ていた。「ブランディス」と呼ぶと、耳がかすかに動いた。

 大竹柵、大生垣を華麗に飛び越え、歓声と拍手の中で頂点を極めたあの日、あの時は、多分、彼にとって過去の出来事。だから、ブランディスはもう障害を飛ぶ必要はないのだ。日差しの下でまどろみ始めたブランディスの前で、そんなことを考えていた。(つづく)

第二のストーリー

(取材・文・写真:佐々木祥恵)


※ブランディスは見学可です。

ノーザンホースパーク
〒059-1361
北海道苫小牧市美沢114-7
電話 0144-58-2116

開園時間
夏(4/23〜10/31) 9:00〜18:00(10月は9:00〜17:00)
冬(11/1〜4/22)10:00〜16:00
入園料:大人500円(冬季は無料です)
新千歳空港から無料シャトルバス有り

公式HP http://www.northern-horsepark.co.jp/

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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