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心筋梗塞から奇跡的に生還“命の恩人”ならぬ“命の恩馬”

  • 2016年01月19日(火) 18時01分
第二のストーリー

▲馬とともに生き続ける、乗馬クラブアリサ代表の中山光右さん


プレシャスシチー、病と付き合いながらも穏やかな日々


 1月17日に群馬県の乗馬クラブアリサを訪ねた。キョウエイボーガン(セン27)の取材で昨年秋に伺わせていただいて以来、2度目の訪問となる。馬場には代表の中山光右さんが馬の傍らに立ち、優しく声をかけながら手にした鞭で馬の体を撫でていた。これは鞭が怖いものではないということを教えるための調教だ。
→キョウエイボーガンの記事はこちら

 続いて中山さんは、プレシャス(セン)という名のサラブレッドに跨った。父ボーザム、母ホコタレオの間に、静内町(現・新ひだか町)の林秀雄さんの牧場で生まれた同馬は、プレシャスシチーという競走馬名で、栗東の大沢真厩舎からデビューした。

 主にダートの中距離路線を走り、25戦1勝の成績を残している。5歳で引退して乗馬となり、障害馬としての調教を受けたのちに、売りに出された。現在のオーナーSさんに伺うと、当時障害練習をしていた娘さん用の愛馬として購入したというが、プレシャスはまだ若くて元気一杯だった。

「私たちも障害の経験が少なかったですし、バーッと走り回ってしまうんですね。危ないということで、馬場馬術をやり始めたら歩様がとても良かったんです。障害はいつでも飛べますし、まずは馬場をじっくりとやることになりました。それ以来ですから、プレシャスとの付き合いは13、4年になりますね」(Sさん)

 乗馬クラブアリサに移動したのは、フラつきが出るようになったのがきっかけだった。なかなか診断がつかなかったが、アリサに来てから寄生虫が原因だと判明した。治療をして症状の改善も見られ、試合にも出られるほどまで回復した時期もあった。

「年を重ねてきて気温の変化についていけなくなってきたようで、時々フラフラッとするんです。そういう時は無理をしないようにしています。体調を見て治療もして、中山先生も慎重に慎重にやってくださっていますし、今は安定しています。ただ春先や秋口など季節の変わり目になると、馬房から出てくる時にフラッとする時もありますから、今日はどうかな、大丈夫かなと、毎日気にかかりますね」(Sさん)」

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▲今年で20歳となるプレシャス、愛らしい瞳でカメラを見つめる


第二のストーリー

 ここのところ体調は安定していて、この日も中山さんが騎乗して常歩での運動を30分ほど行った。

 運動を終え、洗い場に繋がれたプレシャスの顔はとてもあどけなかった。1996年4月15日に生まれた同馬は今年で20歳になるが、年齢よりもずっと若く見える。

「よく女の子ですか?と聞かれるんですよ」とSさんの言葉通りに、瞳がクルンとしていて愛らしい。

「普段はプーやんとかプーちゃんと呼んでいます(笑)。性格は甘ったれですね。ガブガブ甘えて噛んできたり、私にはすごく甘ったれです。他の人にはよそ行きの顔はできますけど私には結構、感情を露わにぶつけてきます(笑)。最初に持った馬でしたから、怒るところでも怒れなかったですし、すごく甘えさせちゃって失敗したかなと思いますね」(Sさん)

 洗い場から馬房に戻ったプレシャスは、運動後ということもあって座ってくつろいでいた。リラックスしている馬の姿を目にすると、なぜかホッとした気持になる。病気との付き合いはこれからも続くが、Sさんの愛情に包まれて、ゆったりのんびりこの地で過ごしていくことだろう。

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▲プレシャスを持っているSさんのもう1頭の愛馬ミグエル、サラブレッドではなくハノーバー種。愛称はミッキー


屠殺間近で救うことのできた命


 昨年秋に対面したキョウエイボーガンは、相変わらず小柄で、冬毛がかなり伸びていたが元気そうだ。

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▲27歳のキョウエイボーガン、元気な姿を見せてくれた


 厩舎の中の1頭1頭に挨拶をしていると、栗毛の馬が目をキッと見開いて耳を伏せた。その馬の名は賀風(よしかぜ・セン8)。

 競走馬名はツルマルヨシカゼといい、2008年4月14日に父メジロベイリー、母ビューティオペラとの間に青森県の野々宮牧場で生まれている。大井競馬の堀千亜樹厩舎の管理馬として走り、4戦未勝利で引退した。そしてもう少しで屠殺というところで、中山さんのもとへとやって来た。中山さんにとって賀風は、命の恩人ならぬ、命の恩馬だという。

 実は中山さんは約3年前に心臓発作で倒れ、ドクターヘリで病院に運ばれている。

「あれは夢だったのかなあ。アリサをはじめ、亡くなった馬や犬、猫たちが、浮島でバーベキューをやっているんですよ。そこには僕と(キョウエイ)ボーガンの席が用意されていてね。それでアリサがおいでおいでと呼ぶわけですよ。ボーガンはその頃、あまり体調が良くなかった時期でしたからね。今は肉付きも良くなって、元気になりましたけど」(中山さん)

 アリサというのはアングロアラブ種の牝で、クラブ名の由来ともなった芦毛の馬だが、病気で天に召されていた。

「僕がアリサたちがいる浮島に向かって泳いでいると、『そっちはダメだ』って賀風が後ろからロープをポンと投げたんですよ。それが僕の体に巻き付いて、賀風が引っ張ってくれたんですよね」(中山さん)

 賀風に水の中から陸に引き上げられたと同時に、止まっていた中山さんの心臓が動き出した。「だから賀風は、命の恩人」と中山さんは何度も繰り返す。これは屠殺間近で命がつながった賀風の、中山さんへの恩返しだったのではないか。そう思えてならない。

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▲中山さんと強い絆で結ばれている賀風


 人に対して耳を伏せて攻撃を仕掛ける賀風は、中山さんにだけは懐いていて何も悪さをしないが、焼もち妬きでもある。

「例えば僕が姫ちゃん(牝7・愛姫・競走馬名ケイビイネイチャー)の馬房に顔を出してから賀風のところに行くと、匂いを嗅いで怒るんだよね。先に他の馬のところに行ったらおもしろくないんだよ。姫ちゃんは平気なんだけどね。賀風はちょっと女の子みたいな性格だよね。それに試合に行くと餌を食べられなくなって、痩せてしまうんですよ。だから競技には連れていけないんです、ウチでは威張っているんだけど…(笑)。最近はお客さんを乗せられるようになってきたけど、以前は僕以外の人が乗ると暴れていたしね。でも賀風がいたから、僕は戻ってこれたかなあと思うので、あいつだけは憎めないんですよ(笑)」(中山さん)

 ここで暮らす11頭の馬たちと3匹の猫は、中山さんにとって家族同然だ。しかしこの世に引き戻してくれた賀風は、家族同然には変わりないが、その中でも特別な存在のようだった。

 退院時に主治医から半年は馬に乗ってはいけないと言われていた中山さんだが、その翌日には馬に乗っていた。

「病院のベッドの上で少しでもうまくならなきゃ、勉強しなきゃと思いました。自分がやろうとしていることに対して、熱くなきゃね。死ぬ時に悔いをなるべく残さないように。だから退院した次の日には3頭、2時間半乗りましたよ」(中山さん)

 子供の頃に祖父の家にいた馬に乗り、大井競馬場で調教に跨っていた時代もある。板前をしながら馬に乗っていた時期もある。馬事公苑でドレッサージュ(馬場馬術)を初めて見て、馬が優雅にダンスする姿に魅せられ、日本と海外を行き来しながら勉強を重ねた。映画に登場する動物の演技指導や、馬とともに舞台にも登場して俳優としても活動したこともある。様々な経験を重ね、心筋梗塞から奇跡的に生還し、今の中山さんがある。

 1月17日は、偶然にも中山さんの66回目の誕生日だった。中山さんを慕う会員さんが持参したケーキを囲んで、小さなお祝い会が始まった。3年前の大病から蘇った中山さんには、馬たちのためにも、馬について学びたい人のためにも、まだまだ元気でいてもらわなければ…。集まった人々の思いは一つだった。

 ケーキを食べてしばし会員さんと談笑した後、再び中山さんは馬上の人となった。(次回へつづく)

第二のストーリー

▲会員さんが買ってきたケーキでお祝い、隣の女性は奥様の千賀子さん



※キョウエイボーガンは見学可です。

乗馬クラブアリサ

〒377-0302 群馬県吾妻郡東吾妻町岡崎1642-1
電話 090-1610-4668
展示時間 9時〜17時
見学の際は、前日までに連絡をしてください。

乗馬クラブアリサ HP
http://www.riding-stable-arisa.com/

引退名馬 キョウエイボーガン
https://www.meiba.jp/horses/view/1989104392

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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