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2大会連続金メダリスト、ヴィクトリア・ペンドルトン氏の“夢”は叶うのか?

  • 2016年02月24日(水) 12時00分


彼女が競馬の魅力に打ちのめされたのは13年のロイヤルアスコット

 ヴィクトリア・ペンドルトン(35歳)の、「チェルトナムフェスティヴァルで騎乗する」という夢が、潰えかけている。

 ヴィクトリア・ペンドルトンは、オリンピックで2大会連続して金メダルを獲得しているトップアスリートだ。種目は自転車競技で、08年の北京五輪では個人スプリントで、12年のロンドン五輪ではケイリンで、表彰台の真ん中に立ち、会場にイギリス国歌を響かせている。

 ボート競技で、00年のシドニーから12年のロンドンまで4大会連続で出場し、金メダル1つ、銀メダル3つを獲得したキャサリン・グレインジャーと並び、「オリンピックで最も活躍した英国人女性」と称されているのがペンドルトンである。

 アスリートとして秀でているだけではないのが彼女で、全英選手権で3つの銀メダルを獲得した01年当時、彼女はノーザンブリア大学に在学中で、競技を続けつつ学業にも精励し、スポーツサイエンスの学位を取得して卒業している。

 そして彼女は、スイスのコスメブランド「パンテーン」がブランド・アンバサダーに起用するほどの、超絶美人なのだ。「ハーパーズ・バザー」といったファッション誌で特集が組まれる一方で、「FHM」のような男性誌のグラビアにも登場するヴィクトリア・ペンドルトンは、強くて、賢くて、美しいという、天が二物も三物も与えた特別な存在なのである。

「大きなレースをテレビで観る程度」だった彼女が、競馬の魅力に打ちのめされたのが、13年のロイヤルアスコットだった。スポーツ功労者として、王室入場の馬車の1台に乗る栄誉に浴した彼女は、サラブレッドの美しさと、パッションに溢れた場内の雰囲気に惹かれ、虜になった。そして「乗馬を覚えたい」と考えた彼女にサポートを申し出たのが、ブックメーカーのベットフェア社だった。

 馬に乗るのなら、アマチュア騎手としてチェルトナムフェスティヴァルに出場するレベルを目指しませんか、という申し出が、ペンドルトンのアスリートとしての魂を揺さぶり、「スイッチング・サドル」と銘打たれたプロジェクトがスタートしたのが、昨年の3月だった。オクスフォードのウッドウェイ・ファームを拠点とする女性調教師ロウニー・ヒルがコーチとなり、総合馬術の英国代表チームの監督を務めた経験のあるヨギ・ブレイスナーと、リーディングトレーナーのポール・ニコルスがアドバイザーに就任。ヴィクトリア・ペンドルトンを騎手にするための猛特訓がスタートしたのである。

 自転車も馬も、お尻の下にあるのはサドル(鞍)だが、乗り方が全く異なることは言を俟たず、卓越した身体能力を持つペンドルトンをして、レースに騎乗出来るレベルに到達するのに、半年を要した。

 アマチュア騎手としてのライセンスを取得したのが8月26日で、その5日後の8月31日にリポン競馬場で行われた、平地の距離10ハロン190ヤードのアマチュア騎手戦でデビュー。騎乗したロウニー・ヒル厩舎のロイヤルエチケットは7番人気だったが、これを勝ち馬から頭差の2着に持ってきて、ペンドルトンはやんやの喝采を浴びることになった。

 だが、そこから先はトントン拍子というわけには行かなかった。9月22日にビヴァリー競馬場で行われたアマチュア騎手戦で、再びロイヤルエチケットに騎乗し13着に敗れると、3度目の騎乗となった10月24日のニューバリー競馬場で、彼女は挫折を経験することになった。この日の騎乗馬はフィル・ミドルトン厩舎のサタニックビートで、同馬は14頭が出走した女性アマチュア騎手戦でオッズ5倍の1番人気に推されていた。道中好位を進み、初勝利を目指したペンドルトンだったが、苦手の道悪にスタミナを消耗したか、サタニックビートは直線に向くと後退。しかも残り100m付近で馬が躓き、既に追うのを止めていたペンドルトンは、落馬の憂き目に遭ってしまったのである。

 幸いにもペンドルトンに怪我はなく、11月に入ると彼女の挑戦は新たな段階に突入した。いよいよ、障害戦に騎乗することになったのである。11月29日にブラックフォレストロッジで行われたポイントトゥポイント競走に、ロウニー・ヒルの夫であるアラン・ヒルが管理するミネラシアターに騎乗して出場。残念ながら完走は出来なかったが、巧みな障害飛越を披露し、サポーターたちを喜ばせた。

 1週間後の12月6日にバーバリーキャッスルで行われたポイントトゥポイント競走に、アラン・ヒル厩舎のアコーディングトゥサラに騎乗して出場したペンドルトンは、最後から2つ目の障害まで無難にレースを運んだのち、馬が疲れて勝機を失ったとして、ここも完走せずに終了。そして、年が明けた1月17日、ブラックフォレストロッジで行われたポイントトゥポイント競走に、アラン・ヒル厩舎のシュプリームデインヒルに騎乗して参戦したペンドルトンは、4番手で入線。障害3戦目にして初めて、完走を果たした。

 ちょうどこの頃、チェルトナムで彼女が騎乗を目指すのが、フェスティヴァル最終日(3月18日)に組まれた、「アマチュア騎手のゴールドC」と称されるフォックスハンターチェイス(芝26F)で、騎乗馬はポール・ニコルス厩舎のパチャドゥポールダー(セン9)になりそうとの報道があり、国民的スーパースターのチェルトナム騎乗がいよいよ現実味を帯びることになった。その後も、各地のポイントトゥポイント競走で経験を重ねたペンドルトンは、1月31日にそのパチャドゥポールダーに騎乗して、ミルボーンセントアンドリューのポイントトゥポイント競走に参戦。写真判定の末に2着という、これまでで最高の結果を残すことになった。

 ところが、である。2月14日にバーバリーキャッスルで行われたポイントトゥポイント競走で、ウォーキングタイトルに騎乗したペンドルトンは、飛越に失敗して生涯で2度目の落馬を経験。そして5日後の2月19日、フォークナムで行われたアマチュア騎手限定のフォックスハンターチェイス(芝24F)に、ペンドルトンはパチャドゥポールダーに騎乗して参戦。オッズ1.62倍の圧倒的1番人気に推されたが、なんとここでも7号障害で飛越に失敗し、またしても落馬という結果に終わったのである。

 この日の騎乗ぶりを見て、ペンドルトンのチェルトナム参戦は「1年待った方が良い」と示唆したのが、障害の元トップジョッキーで、現在は英国競馬学校で騎手のコーチを務めるスティーヴ・スミス・エクレス氏だった。エクレス氏は、当該レースのパトロールビデオを確認した上で、「落馬そのものは不運なものだった」とコメント。パチャドゥポールダーの半馬身ほど前を進んでいたバルティックブルーが飛越に失敗して転倒し、バルティックブルーの後肢が直後にいたペンドルトンの体に接触。ペンドルトンは蹴落とされるようにして落馬しており、「あれは避けようがない」とペンドルトンを擁護。だが一方で、ペンドルトンの騎乗を見て「騎座が安定していない」と指摘。「チェルトナムで乗るのは、まだ少し早いように思う」とコメントしたのである。

 その辺りは、当の本人もよく分かっており、メディアのインタビューに対し「私は、自分がチェルトナムで乗る準備が出来ていると、信じたい」としながらも、「プロジェクトチームのエキスパートたちが『まだ早い』と判断するのなら、それに従う」とコメント。その場合は、今後もポイントトゥポイント競走での騎乗を重ねて経験を積み、「来年」に備える意向を示している。

 果たして来月、ペンドルトンに挑戦の機会が与えられるのかどうか。英国民は今、大きな関心とともにその行方を見守っている。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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