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【騎手 それぞれの道】花田大昂元騎手(1)『26歳での引退“最後の1か月は特別な時間”』

  • 2016年03月21日(月) 12時00分
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▲デビュー5年での引退決意、花田大昂元騎手が本音を語ります


毎年3月は新人騎手のデビューの時。特に今年は女性騎手の誕生で、例年以上に大きな注目を集めています。しかし、新たな仲間を迎えるということは、ライバルが増えるということ。生き残っていくためにどんな道を選び、どんな決断をするかは自分次第。今月は、騎手として大きな決断をした2人を直撃します。前回の柴田未崎騎手に続いて登場するのは、今年の1月31日付で引退した花田大昂元騎手。どんな想いで厳しい決断を下したのか。支え続けた妻・未羽さんとともに、想いを語ります。(取材:東奈緒美)


美浦に行った9か月、無駄ではなかった


 調教助手(栗東・吉田直弘厩舎)になって、ちょうど1か月ぐらいですね(取材時)。

花田 ジョッキーの時にはできなかった経験がたくさんできて、充実した1か月でした。これまでとはやることが違うので、最初はしんどかった部分もあったんですけど、ちょっとずつ慣れてきました。ね?

奥様 うん。最初は「疲れた〜」って帰ってきたこともあったんですけど、最近は言わないです。

花田 従業員さん同士がとても仲の良い厩舎ですし、いい馬もたくさん居るので、毎日新鮮な気持ちで勉強させてもらっています。

 順調に新しいステージに進めたんですね。今年の1月末に引退。デビューして5年でというのは、騎手として早い決意だなと思うのですが。今、26歳ですよね?

花田 はい。競馬学校に入学した時の同期が川須、高倉、水口たちで、僕は1年留年しているので、卒業の時は藤懸や森たちが同期になりました。

 みなさん“若手”のイメージですもんね。そもそも騎手を目指したきっかけは何だったんですか?

花田 静岡の生まれなので、競馬にはあまり関わっていなかったのですが、興味を持ったのはゲームからです。ダビスタでジョッキーを知って、かっこいいなと思って。テレビでも競馬中継を見るようになりました。中学の時に競馬学校を受けることも考えたんですけど、気持ちがまだ固まりきっていなかったこともあって、高校に1年通ったんです。

 進学してからの決断というのは、なかなかできないと思います。

花田 ん〜、決断はできたんですけど、むしろ、よく受かったなっていう感じでした。乗馬も、競馬学校を受けるために乗馬クラブにほんの少し通って、かじったぐらいでしたしから。本当にゲームのみで…(苦笑)。

 じゃあ、受かってからが大変でしたか?

花田 大変でした。1年生の時って乗馬が多いんです。そこでついていけなくて留年になってしまいました。でも、技術がないことはよく分かっていましたし、先々のためにも、もう1年ちゃんと頑張ろうと思いました。

 デビューした当時を振り返えるといかがですか? 競馬とは関係のない世界からで、戸惑ったこともあるのかなって思うのですが?

花田 何も知らない世界なので、まずは顔を知ってもらわないといけないなって。営業ではないですけど、いろいろな厩舎に行って顔を出したり、そういうことはしていましたね。ただ、騎乗面で言うと…正直、センスはなかったと思います。それは自分でも感じていました。ずっと悩みながらやってましたね。

奥様 それを感じていたからかは分からないですけど、乗馬苑に行って、1から乗り方を気を付けてみたりしてたよね? デビューしてからと、ジョッキーを辞める最後の年にも。

花田 辞める時も行ったね。最後、障害で乗ることも少し考えたんです。練習はしたんですけど、障害ジョッキーとしての技術は足りないなって思いました。それに中途半端な気持ちでやったら、障害ジョッキーに対しても失礼だと思いますので。そういうのもあって、障害は諦めましたけども。

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▲「騎乗面で言うと…正直、センスはなかったと思います」そう現役時代を振り返った花田元騎手


 技術のことは、新人の頃からずっと考えてきたんですか?

花田 それでも、減量のあるうちは考えてなかったですけどね。いよいよ減量がなくなるってなって、余計に乗り鞍も減ってきて、「このままではいけないな」って考えるようになりました。それもあって一時期、美浦に行ってたんです。2013年だから、デビュー3年目の夏ですね。最初は3か月って決めて、美浦の方たちにも顔を知ってもらおうと思ったんですけど、リズム良く勝たせてもらっていい流れが続いので、もうしばらくいることにしたんです。結果的に9か月ぐらいいました。

 そのまま美浦に移籍しようとは、ならなかったですか?

花田 それはなかったです。やっぱり、両方で頑張りたかったので。栗東に帰ってきてからも、お世話になった美浦の厩舎に乗せていただきましたし、そういうご縁を考えると、無駄なことはないと思いますね。

奥様 「何しに行ったんや?」って、ネットとかで書かれているのも目にしたんですけど、それでも、無駄ではなかったよね。

 ネットはどうしても、きつい書き込みもありますもんね…。ご自身でも見るんですか?

花田 最近は気になって、ときどき見ています。

奥様 傷つくような内容もあるんですけど、たしかにって思うこともありますよね。それに、いつも応援してくださる方もいて。そういうのは、ありがたいなって。

花田 本当にそうだよね。人の温かさっていうのは、ありがたいです。

出来ることなら、辞めたくなかった


花田 それでも、ジョッキーとして厳しい状況はなかなか変わらなくて。小倉に滞在したり、北海道に行ってセリに顔を出したり、そういうこともしましたけど、なかなか結果は出せませんでした。

 14年は1勝、15年は0勝と、勝てない時期が続きましたね。

花田 最後2年ぐらいは、きつかったですね。結局その14年のが、最後の勝利になりましたし。結果が出ないと乗り鞍も減って、たまにいい馬が回ってきても、せっかくのチャンスがいかせなくなるんですよね。

 毎週でも乗っていれば、感覚って覚えてるんですけど、繰り返しになりますが、センスがないので…。間が空いてしまうと、うまいこと乗れなかったりするんです。そうなると悪循環ですよね。このままでは良いパフォーマンスが出来なくなるかなって考えるようになっていって、そうなるともう、プロとしては難しいのかなと。

 騎手を続けるかどうかというのも、考えるようになったんですね。

花田 「辞める」ってはっきり思ったのは、去年の夏前ぐらいです。その前も考えてないことはないんですけど、ジョッキーでいるうちはジョッキーとしてやっていくことしか考えないようにしていましたので。

 憧れて就いた仕事ですし、辞めるのはものすごく覚悟が要りますね。

花田 出来ることならやっぱり、辞めたくなかったです。でも、このままでは…っていうのも、考えないといけない状況になっていましたので。1鞍のために新潟や福島に乗りに行くと、交通費で赤字になってしまうとか、そういう現実的な問題もありましたけど、それでも競馬に乗りたいって気持ちはありました。一番は乗り鞍がないことで、ジョッキーだという感覚が持てなくなってしまったことですね。

奥様 乗り鞍が本当に少なくなってた時期に、柴田光陽先生のところでお世話になっていたんですけど、競馬には乗れないけど調教には乗せてもらっていて。「自分が調教で乗った馬が2着に来た!」って、喜んでることがあったんです。助手さんのように、調教をして馬を良くしていくのが楽しみ、みたいな。

花田 それはあったね。もちろん、助手になるためのことをしてたわけではないですけど、馬乗りとしての喜びを感じていたのはあります。

 最終的に引退が決まったのは?

花田 昨年末ですね。辞める1か月前です。吉田先生のところでお世話になることが決まって。そうなるともう、本当に最後ですからね。戸惑いというか、「もうジョッキーじゃなくなるんだな…」っていう気持ちが強かったですね。特に、調整ルームに行けなくなるのが寂しかったです。

 騎手ならではの場所ですよね。

花田 いつも、家を出て調整ルームに行ってから仕事に行って、仕事が終わって調整ルームでお風呂に入って帰ってきてたので、そのルーティンがなくなるのは、すごく違和感がありました。調整ルームのお風呂に入りながら、みんなで楽しく喋ることもよくありましたし。そういうのも…すごく楽しかったですしね。

 当たり前だったことがなくなるのは寂しいですね。

花田 ものすごく寂しいです。でも、最後だって思ったら、これまで以上にジョッキーであることを意識して、味わっていたなって思います。競馬に行くことが何より実感できますしね。そうやって過ごした1か月間は特別でした。これまでで一番、楽しい1か月でしたね。

(次回へつづく)

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▲パドックでのシーン、引退までの1か月は「騎手」であることをかみしめた



【掲載スケジュール】
■柴田未崎騎手(3月7日14日の全2回)
1977年6月18日生まれ。「花の12期生」として1996年にデビュー。2011年3月31日に一度は騎手を引退し、美浦・斎藤誠厩舎で助手となる。13年に騎手試験に再び合格。14年3月に騎手復帰。その後、所属を栗東に変更。

■花田大昂元騎手(3月21日28日の全2回)
1990年1月1日生まれ。競馬学校27期生として2011年にデビュー。同期は藤懸貴志、森一馬ら。16年1月31日をもって騎手引退。JRA通算676戦11勝。現在は栗東・吉田直弘厩舎の調教助手。

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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