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バドミントン選手の違法賭博に思う

  • 2016年04月16日(土) 12時00分


 バドミントンのロンドン五輪代表だった田児賢一選手(26)と、リオ五輪でメダルが有力視されていた桃田賢斗選手(21)らが国内の違法カジノ店やスロット店で賭博行為をしたことが発覚し、ニュースになった。主導的立場だった田児選手は日本バドミントン協会から無期限の登録抹消、所属していたNTT東日本からは解雇という厳しい処分を受けた。後輩の桃田選手は同協会から日本代表の指定解除と無期限の競技会出場停止、同じくNTT東日本からは出勤停止30日の処分となった。

 田児選手は2014年の秋から約60回賭博をして1000万円ほど負け、彼の紹介で6回ほど通った桃田選手は50万円ほど負けたという。

 桃田選手はリオ五輪には出られなくなったものの、20年の東京五輪出場への道が完全に閉ざされたわけではないようだ。

 が、田児選手は、競技に関わることができなくなったうえ、会社を馘首された。まだ26歳と、これからの人生のほうがずっと長いにもかかわらず、である。もう充分な社会的制裁を受けてはいるが、知人に借金をして賭けたという報道が事実なら、それはきちんと返さなくてはいけない(そうすることがギャンブル依存症を克服するプログラムにもなるはずだ)。そのためにも、返すことができるよう働く場所を見つける手助けを、協会なり、彼を指導した人たちがすべきではないか。

 今週の月曜日、4月11日に日本バドミントン協会の倫理委員会が行われた。

 そこで提案されたものには、「海外遠征中の合法カジノへの入店禁止」「茶髪やアクセサリーの禁止」といったことのほか、「代表活動中の国内でのギャンブル禁止」というものがあった。

 これらがそのまま採用されるかどうかも、また、「代表活動中」がどの期間を指すのかもわからないが、競馬を含む公営ギャンブルまで「悪者」にされた格好だ。

 酒そのものが悪いわけではなく、酒に溺れて暴言を吐いたり暴力をふるう人間が悪いのと同じように、ギャンブルそのものは悪くないはずだ、と、30年近く日常的にギャンブルをつづけている私は思っている。

 しかし、世間の一般的な見方は違う。合法であろうと非合法であろうと、ギャンブル自体が悪い、まともな人間はすべきではない、と多くの人に思われている。これまでは、うっすらとそう思われている、という感じだったが、「代表活動中の国内でのギャンブル禁止」といったようにルールが明文化されると、その周辺での事情は違ってくる。代表選手や関係者にとっては、ギャンブルと普通に付き合ってきただけの私も、あからさまに「悪いことをしている人、つまりは悪人」と括られかねない。

 もし、バドミントンを含む五輪種目の代表選手全員に公営ギャンブル禁止令が出されたらどうなるのだろう。例えば、代表選手がGIのプレゼンターをしたり、雑誌や新聞などで騎手と対談する、といったことも、各競技の協会に禁じられるのだろうか。

 これを拡大解釈すると、東京五輪では野球が復活すると思われるので、騎手が始球式をするのもよくない、ということになってしまうのではないか。

 だが、それではあまりに窮屈すぎる。

 仮に、「代表期間中の飲酒は禁止」というルールがあったとする。その程度ならありそうだが、だからといって、アルコール飲料を製造しているメーカーとスポンサー契約を結ぶこともダメで、そうした会社が提供している番組に出演することもダメ、というのは、やはり、行きすぎだろう。

 選手たちにギャンブルを禁ずるかどうかは、子供が感染症にならないよう無菌室に入れて外界から隔絶するか、それとも、汚れたところでも遊ばせて抵抗力をつけるか、といったことの違いのようなものか。

 私などは、普通に生活して抵抗力を身につけたほうがいいのでは、と考えてしまう。

 前出のふたりに話を戻すと、14年度までに田児選手は約2000万円、桃田選手は約2700万円の賞金を稼いだという。ほかに給与などの収入があったとしても、その稼ぎに対し、違法賭博だけで1000万円ほども負けた田児選手の金銭感覚は、やはりどうかしている。一事が万事で、バランスが崩れているのは金銭感覚だけではないはずだ。26歳というのは若いが子供ではない。何事に関しても、もう少し広い視野で物事が見られるよう社会常識を叩き込むことが、彼をギャンブルから引き離すことより大切だと思う(それに、完全にギャンブルと縁を切らせるのは難しいような気がする)。そして、今後、彼が馬券を買ったとしても、1日に100万円、200万円と遣っても破綻しないのは億単位の年収がある人だけだと理解したうえで、(かつての稼ぎぐらいなら)1日数千円か1、2万円で楽しめるようになればいいのではないか。

 その点、収入に対して負けが50万円ほどという桃田選手は、ギャンブルを「遊び」の範囲内におさめており、依存症の心配も、金銭感覚の問題もあまりなさそうだ。多くの若者がはしかのようにかかる、ダーティーな世界への好奇心に動かされてしまった、といったところではないか。

 今でも私は、「どうして誰かが彼らに競馬を教えなかったのか」とか、「石原慎太郎か橋下徹が日本に合法カジノをつくっておけばこんなことにならなかったのでは」と思ってしまう。

 ギャンブルそのものがいいか悪いかは見る人の主観によるとして、ひとつ、私にとって確かなのは、「ギャンブルをしていたからこそ得られたもの」がいくつもあった、ということだ。

 競馬をつづけてきたから本を出せたとか、こうしてエッセイを連載できている、といった形になるものばかりではない。

 寺山修司が書いていたように、競馬で自分自身を買う、という感覚でもない。

 それより、「1分後や2、3分後に結果の出る馬の徒競走」という、きわめて単純でありながら不確定なものに、自由に遣える金を賭けてドキドキする「贅沢」を味わえることが、私は嬉しいのだ。

 仕事を始めたばかりのころはギャラが安く、周囲から「貧乏島田」と言われていた過去があるせいかもしれない。

 馬券の収支だけでいうと、私のそれはキャリアが長いぶん田児選手より確実に悪いが、私は、ギャンブルを金銭のプラスマイナスだけで考えたことがない。収支を気にしたことは一度もないし、人に借金をしてまで買ったことも数回しかない。

 こんなことを書くと、「やっぱりギャンブルは悪い」と思う人が増えてしまうかもしれないが、金を賭けることで自分のドキドキやワクワクを増幅させ、朝から晩まで負けつづけてもまだ生きていられるという幸福感は、ほかのことではなかなか味わえない――と、マゾではないが、私は思う。

 田児選手も同じような気持ちで深みにはまってしまったのかもしれないが、そうした気持ちそのものは悪いと思わない。ただ、程度とバランスの問題だ。

「この1万円で何ができるか」を、もっと考えるべきなのか。いや、そうすると、

 ――あんなこともできるし、こんなものも食える。それだけ価値のある1万円を賭けるドキドキがたまらないんだ……!

 となって、余計に悪いか。

 ならば、「この1万円を失うことによって、どんなことができなくなるか」「1万円の負けを10回繰り返すと、10万円のほかに何を失うか」といったように、マイナス方向で考えるといいのか。

 ともかく、今回のことを薬にし、せっかく持って生まれた才能を生かす場を再びとり戻し、次はいいニュースでスポーツ紙に顔を出してほしい。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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