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【名障害馬の引退】ルールプロスパーへ 関係者からのはなむけの言葉(前半)

  • 2016年06月07日(火) 18時01分
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▲連続勝利年数の最長記録を樹立したルールプロスパー 約8年半の競走馬生活からの卒業(撮影:大恵陽子)


9年連続JRA勝利を挙げ、連続勝利年数の最長記録を樹立、また京都ハイジャンプを連覇(2014、2015年)したルールプロスパーが、6月2日付けで引退した。2011年に障害入りをしてから彼の馬房には千羽鶴が飾られていた。今年満90歳を迎えた馬主の儀賀好子オーナーが一羽一羽、無事完走を祈り折ったものだ。約8年半の競走生活は、担当調教助手に涙の初勝利をもたらし、馬主と厩舎は初重賞制覇の喜びを味わった。馬主、調教師、生産牧場、担当調教助手、騎手…たくさんの愛の中心にいたルールプロスパーの長い長い競走馬生活を、関係者の声と共に振り返る。(取材・文:大恵陽子)


幼い頃、牧柵を飛んだ名ジャンパー


 ルールプロスパーは2007年、ひだかトレーニングセール(現在は休止)で儀賀好子オーナーに落札され、長い競走馬生活のスタートを切った。

 当時を儀賀好子オーナーはこう振り返る。

「何十年と夫婦で馬主をしていましたが、抽選馬や調教師から勧められた馬を所有していたので、自分たちの意思で馬を選んで買ったのはルールプロスパーが初めてなんです。京都馬主協会の懇親会でたまたま同じテーブルになった北出調教師(当時技術調教師)に『一緒に北海道へ見に行ってくれませんか』とお話したんです」(儀賀好子オーナー)

 同じく馬主資格を持つ夫・昭三氏と、同志社大学馬術部出身の息子・昭夫氏の3人で北出師の待つトレーニングセールに向かった。

「馬産地に行くのは初めてで、今では笑い話ですが、空港からみなさんレンタカーで行くところ、私たちは汽車で浦河まで行きました。『そんな人は初めてだ』ってビックリされましたけど、汽車で海岸沿いを走っていたらオットセイですかね、見ましたよ。珍道中ですね(笑)」(儀賀好子オーナー)

 そこで出会った1頭の青鹿毛の馬の印象を北出成人調教師は今でも覚えている。

「真っ黒なキレイな馬で、“ええ馬やなぁ”と思いました。セリ前の展示では足を止める人も多かったんですが、父がダイタクリーヴァということで通り過ぎる人が多くて、ライバルが減りましたね。騎乗供覧で、私はタイムはそんなに重要視していなくて、この馬はフォームが良かったんです」(北出師)

 2〜3回競って、落札することができた。

「トレーニングセール出身だからといって、すぐに使うつもりはありませんでした。もちろん、オーナーのご理解があったからこそです」(北出師)

 2歳12月の新馬戦で勝利を挙げた。

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▲デビュー戦を勝利で飾ったルールプロスパー(C)netkeiba.com


 鞍上の和田竜二騎手はこの勝利がいつも以上に記憶に残っているという。初勝利から約6年半が経ち、京都ハイジャンプで初重賞制覇を遂げた祝勝会の席上でこう振り返った。

「1着でゴールし検量室前に戻ってきたら、担当の調教助手が泣いていたんです。聞くと、彼がトレセンに入って初めての勝利だったようです。特別な勝利に関われたことが嬉しかったです」(和田騎手)

 この年にトレセンに入ったばかりの林右典調教助手だった。

「あの頃はまだ私自身、レースに行くのがやっとで、担当馬で勝ち負けのできるレースも、初勝利を挙げるまではほとんどありませんでした。入厩当初から前向きな馬で、新馬戦を勝った後もその性格ゆえ、抑え切れず馬場を2周してしまったことがありました。もちろん、(北出)先生から怒られて、これからどうしようかとヘコみました」(林調教助手)

 ルールプロスパーの前向きさは、生まれもってのものだった。生産牧場であり、トレーニングセールまでの育成を手掛けた岡崎牧場の大城一樹場長(当時)はこう振り返る。

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