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競走馬はペットではないけれど…“一番良い厩務員”とは何か/動画

  • 2016年08月16日(火) 18時01分


(前回のつづき)

競走馬を引き取る行為は、間違った道ではない


 吉備ひだまり牧場の森光範子さんは、園田競馬の厩務員時代から引退した馬たちの牧場を作るという夢を胸に秘めるようになっていた。

「担当していたストロングゲイル(前回も登場)がホンマ大好き過ぎて、一生一緒におりたいなと。そうや、この子の居場所を作ろうとずっと心の中で温めてはいたんです」(範子さん)

 だがレース中に腰を痛めたストロングゲイルは、休養先で腰をさらに悪化させてしまい、引退が決まった。牧場を作るという構想もまだ夢の域を出ていない段階で、かと言って近くに安心して預けられる牧場もなかった。引退馬協会とも関係が深く、信頼できる北海道浦河町の渡辺牧場へと範子さんは愛馬を託したのだった。

「牧場の渡辺はるみさんから電話を頂いて、状態がかなり悪いことを知ってビックリしました。はるみさんの所に行って1か月くらいたった頃に休みが取れたので、飛行機のチケットを手配したら、全部満席。厩務員は休みが少ないですし、やっと浦河に行った時には亡骸になっていました。それがすごく辛くて、もっと近くに牧場があったらもっと会えたのにって思いましたし、何かあっても近くいないとすぐに駈けつけられないですから」

第二のストーリー

▲ストロングゲイルのお墓(提供:渡辺牧場)


 一生一緒にいたいほど愛した馬を失った悲しみは、それから何年も癒えなかった。ただこの死によって、牧場を作りたいという気持ちがさらに高まっていった。

 その後も範子さんには、引き取りたい馬が次々に現れた。それがサマニターフであり、ストロングフローラであり、ダンツシンガーであった。吉備ひだまり牧場代表の森光康裕さんも言う。

「厩務員の仕事をしていましたし、自分で飼うわけにはいかないですから、どこかに預かってもらおうと養老牧場を探しました。会いに行きたいからできるだけ近くを探しましたけど、ほとんどなくて、あっても自分の中でピンと来る所がなかったんです。そのうち近くに預託したくても牧場がないという悩みを持っているオーナーさんもいらっしゃることが徐々にわかってきて、養老牧場をやってみようかと考え始めました。お金が潤沢にあるわけでもないですし、土地の目星がついているわけでもないですから、その時はまだやれたらいいなというくらいの気持ちでしたけどね」

 森光さん夫妻は、いつの間にか養老牧場を作るという同じ夢を見始めていた。


 引退馬協会のフォスターホースとなったサマニターフの次に引き取ったふっちゃんことストロングフローラは、2006年4月に中央競馬でデビューしている。エルコンドルパサーを父に持つ同馬は、中央で4戦したものの未勝利に終わり、その年の秋には園田競馬へと移籍した。そこからふっちゃんは、月に2、3回の割でコンスタントに走り続けた。

「実はふっちゃんは、ほんの2、3か月しか担当していないんですよ。ふしぎちゃん(ダンツシンガー)が休養行っている間に他の厩務員さんから回って来た馬で、球節があまり良くなかったんです」(範子さん)

 球節の不安を抱えながら走るふっちゃんに「引退したら面倒をみるから、頑張って」と範子さんは伝え励ましていた。ふしぎちゃんが休養から戻ってきて、ふっちゃんは他の厩務員さんへと手替わりした。そしてある朝、とうとうふっちゃんの引退が決まった。ふっちゃんが運ばれていく馬運車がもうすぐ来ると聞き、範子さんは慌てた。

「ああ私、ふっちゃんと約束してたしなと思って、先生に間に合うんやったらもらいたいんですけどと伝えて、馬代を払って渡辺牧場さんへと送り出しました」

第二のストーリー

▲ふっちゃんことストロングフローラ(提供:吉備ひだまり牧場)


 7歳まで現役を続けたふっちゃんの生涯成績は、75戦2勝だった。競走馬時代のふっちゃんは、クールであまり人に懐いてくるというタイプではなかった。だが牧場では違った。

「渡辺さんの所に行ったら、可愛くて仕方ないですよとはるみさんに言って頂いて。あっ、本当はそんな子やったんやと思いました」(範子さん)

 牧場というリラックスできる場所では、競走馬時代とは別の素顔を見せるのかもしれない。

 一方、数奇な運命を辿ったのが、ふしぎちゃんことダンツシンガーだ。

第二のストーリー

▲前にいるハテナマークがついている馬がダンツシンガーで後ろがストロングフローラ(提供:吉備ひだまり牧場)


 デビューは2005年10月の浦和競馬場。しかしたった2戦で競走生活に終止符が打たれ、気が付けば行方不明になっていた。

 渡辺牧場の生産馬だったダンツシンガーは、クリスタルC(GIII)に優勝したセントミサイルの妹で、渡辺牧場の功労馬ケイウンファストの最後の子供だった。渡辺はるみさんは、何とかダンツシンガーを引き取りたいと願い、その結果、肥育場で奇跡的に発見された。馬名はわからなくなっていたが、額の特徴的なハテナ模様のおかげで間一髪のところを買い戻され、生まれ故郷の渡辺牧場へと帰ってきた。やがて再び競走馬として走らせてくれる馬主が現れ、園田競馬場で競走馬として復活し、範子さんの担当となった。

「ふしぎちゃんは悪くてどうしようもない子でした(笑)。耳も大きいんで音もよく拾うみたいで、耳が小さい子はそんなんでもないのですけど。ちらっと聞きなれない音が聞こえたら飛んでいくし、見慣れないものが目に入ったら飛んでいくし、鹿が鳴いたら飛んでいくし…。とにかくビューッて前に飛ぶんです。もう必死でした。

 この馬が来たばかりの頃は、1人で運動もできなくて、主人に上に跨ってもらって待機馬場まで行かないと待てないぐらいの、本当に恐ろしい馬で、そんなやから当然馬場に入ったらハロン棒の影を見て飛んで、馬場に結構鹿がおるんですけど、それ見てまた飛んで、ジョッキー放り出して放馬して…。そんな馬やから、3時くらいの早い時間に乗っていたんです。だからこっちもちょっと寝ぼけてるし、また何か放馬してるわとよく見たら、ウワッ、ウチやって慌てて走って行ったりとか、そんな毎日でした」

第二のストーリー

▲ふしぎちゃんことダンツシンガー(提供:吉備ひだまり牧場)


 そんなふしぎちゃんも、徐々に大人になっていった。

「5歳、6歳と年を重ねて…、まあそんなにかかったんか(笑)という話なんですけど、段々落ち着いてきました。成績は底をなめるような感じでしたけど」

 馬たちのエピソードを語る範子さんは、本当に生き生きとしていたし、馬をよく観察していることが伝わってきた。だがそれだけ馬への愛情が深過ぎて、競馬の世界の現実と折り合いをつけるのが難しい場面も多かったようだ。

「よくふしぎちゃんのことで、ジョッキーには怒られてました。ペットちゃうでーって。わかってるってーと答えてましたけど、よう怒られていましたね。その馬のために一番良いことをしてあげる、走る馬を作り上げるのが、きっといい厩務員さんやと思います。成績が良ければ長く走れるし、長く走れば誰かとの出会いがあったり。なおかつ性格が良ければ乗馬クラブに行って、そこでまた出会いがあるかもしれない。きっとそれが私が思う一番良い厩務員なのではないかと。

 どうやって大事にしようばかり考えてたんで、腕はあんまり良くならず、ほんとに出来そこないで厩務員失格やと思うんですけどね。それでも担当した馬に大きなケガをさせずに厩務員生活を終えることができたので、それだけはちょっと自慢かなと思います。一緒にレースに行って一緒に戻って来られへんというのが、ホンマ一番悲しいことですからね」(範子さん)

 競走馬のために何が一番いいことなのか。競馬の取材を現場で続けながらも、これまで自分の中で明確な答えは出せなかったが、範子さんの話を聞き、なおさらわからなくなった。ただ範子さんのように馬を引き取るという行為は、競馬の世界では歓迎をされないだけで、決して間違った道ではない。それだけはわかった。

(次回へつづく)


※吉備ひだまり牧場
(現在、一般見学は中止しています)

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Facebook https://www.facebook.com/吉備ひだまり牧場-551011321631051/

※吉備ひだまり牧場応援団 おひさま会
現在はストロングフローラ(ふっちゃん)とダンツシンガー(ふしぎちゃん)を会で支援します
http://mauka.web.fc2.com/ohisama.html

※認定NPO法人引退馬協会
http://rha.or.jp

※渡辺牧場
http://www13.plala.or.jp/intaiba-yotaku/

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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