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【注目ルーキー】荻野極騎手(3)『隠れた特技!“空手”世界第4位の実力』

  • 2016年08月24日(水) 18時00分
空手一筋だった荻野騎手はなぜ騎手になろうと思ったのでしょうか?


実は! 空手の世界大会で第4位という実績がある荻野ジョッキー。空手一筋だった彼はなぜ騎手になろうと思ったのでしょうか? そのきっかけとなった出来事を語っていただきます。
(取材・文/大薮喬介)


名前も「極(きわむ)」ですから(笑)

――小学6年生の時に、競馬を観てジョッキーを目指したんですよね?

荻野 そうですね。ただ、実際はその前から競馬のレースは観ていたんですよ。

――ご両親が競馬が好きだった影響ですか?

荻野 両親は競馬にまったく興味がなかったんです。学校が土日休みだったので、テレビで何となく観ていたというのが始まりです。最初は、ただ馬に人が乗ってレースをしているという印象でしたね。ジョッキーを意識したのは、ドリームジャーニーが勝った2009年の有馬記念です。

 ちょうど将来自分が何になりたいかという道徳の授業があって、僕も将来のことを考えている時期でした。その時に有馬記念関連のニュースや新聞の記事を読んで、すごく大きなレースだということを知って興味がわいたんです。だから、あの有馬記念の時は、ゲート裏から正座をして観ていました(笑)。真剣に観たら、ジョッキーってこんなにかっこいいんだと思ったんです。

――正座をして競馬を観る人はなかなかいないですよ。

荻野 空手をやっていたので、真剣な時は正座するクセがあって(笑)。

――ドリームジャーニーがきっかけで、ジョッキーを目指したわけですね。

荻野 はい。もともと空手をやっていましたし、競い合うことは好きだったので、すごく魅力的に感じました。

――騎手になるために、何を始めたんですか?

荻野 東京出身なんですが、まずは千葉まで行って、乗馬に行きました。月に1、2回ですかね。往復4時間かけて行って、1時間だけ乗るということをしていました。たまたま、その乗馬クラブでは騎手になるための対策をしてくれるところだったので、トレーニングや勉強など、いろいろと教わりました。

――往復4時間はキツいですね。

荻野 苦ではなかったですよ。ジョッキーになるためのことだったので、むしろ楽しかったくらいです。

――その間もずっと空手は続けていたんですよね。空手はいつから習っていたんですか?

荻野 2つ上の兄がいて、空手をやっていたんです。僕も幼稚園の頃からしていて、週4回通っていましたね。

――空手家になろうとは思わなかったんですか?

荻野 う〜ん、中学は空手の部活があるところを選びましたけどね。部活が終わった後、道場にも通っていて、もう空手一色でした(笑)。

――確か同期の藤田菜七子ジョッキーや森裕太朗ジョッキーも空手を習っていたんですよね。

荻野 そうなんです。僕の期は空手をしていた人が多いですよね(笑)。

――空手は世界大会にも出場したんですよね。しかも、4位!

荻野 「型」ですが、出場することができました。その時はもうジョッキーを目指していたので、大きな大会で結果を出せば、スポーツ特待生として競馬学校に入れるのではないかという思いがあったんです。ちょうど中学2、3年だったので、結果を出すのはここがラストチャンスだという思いで、必死で練習をしましたね。そのかいあって全国大会で3位に入り、世界大会の出場権利を手にすることができました。

――今の荻野ジョッキーがあるのは、空手のおかげですね。

荻野 ええ、空手のおかげで今の僕があります。関係者の方々も空手をやっていたことで覚えていただけることがありますし、名前も「極(きわむ)」ですから、空手と少しだけ関係がありますから(笑)。

――確かに世界大会4位はインパクトがありますよね。今年は注目される新人騎手が多いですが、荻野ジョッキーも肩書は負けていません。

荻野 すべて空手のおかげです!
キシュトーーク

すべて空手のおかげです!



【次回のキシュトーークU25は!?】
荻野ジョッキーのインタビューも次回で最終回。同期のことや尊敬している先輩ジョッキー、師匠である清水久詞調教師について語っていただきます!

元祖「キシュトーーク」のレギュラー陣、国分恭介、国分優作、松山弘平、川須栄彦、高倉稜を中心に、栗東・美浦・地方からも幅広く、これからの競馬界を担うU25の若手ジョッキーたちが登場します!

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