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【中央移籍から3年半】岡田祥嗣騎手(1)『9年越しの悲願成就 福山のトップからJRAへ』

  • 2016年09月05日(月) 12時01分
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▲今月のゲストは中央移籍から3年半を迎えた岡田祥嗣騎手、廃止になった地元福山への思いとは


毎年この時期にJRA騎手試験の一次が行われます。安藤勝己元騎手をはじめ、小牧騎手や岩田騎手など、これまで数々の騎手が地方からJRAへと移籍しました。なかでも、岡田祥嗣騎手は9年受験し続けてきた苦労人。福山競馬のトップ騎手が移籍を決意したのはなぜだったのか。さらに、時を同じくしてその福山が廃止に。地元への思い、移籍から3年半経っての現状…知られざる胸の内を語ります。(取材:東奈緒美)


もう一回まっさらな立場になってみるのもいいかなと


 今年も騎手試験(一次)の日が近づいて来ましたが、ご自身が合格された2012年当時のことは思い出されますか?

岡田 そうですね。毎年試験の時期が来ると、「今年もこの時期が来たな」と思います。僕は9回目でようやく受かったので、あまり思い出したくないことではあるのですが…(苦笑)。今でも試験が終わると、どんな問題だったのか、資料をもらって目を通しています。

 そうなんですか。受験する方からアドバイスを求められることもあるんですか?

岡田 地方時代の後輩から、連絡をもらうことはありますね。どんな問題か、どのくらい勉強したかとか、答えられることは全部答えるようにしています。でも、話をしていく中で、「えっ、そこまでですか?」と言われることもあって。想像以上に準備が必要ということですよね。足りないなと思う時は「それでは無理だよ」って、はっきり言うようにしています。

 経験から伝えられるアドバイスですね。岡田騎手がJRAへの移籍を考えたきっかけは何だったのですか? 最初に受験された2004年は、まさに福山競馬のトップに立たれていた頃ですが。

岡田 福山でリーディングを獲ったから、考え始めたというのはありますね。福山は小さな競馬場ですが、トップに立ったことで初めて見える景色があったり、考え方も変わったり。そういう中で「このままでいいのかな…」って、何か満足できないものがあって。

 (安藤)勝己さんとか先駆者的な方がJRAに挑戦していましたし、「僕も次はそこへ行こう」というふうに変わっていった感じです。ただ、受け始めて最初の4、5年は準備が足りなくて、突破するにはまだ無理だなという気持ちがありました。それに負けないように、挑戦し続けていた感じですね。

 それでも、ひとつのことに9年も挑戦し続けるのは、並大抵なことではないと思います。諦めようと思うことはなかったですか?

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▲「ひとつのことに9年も挑戦し続けるのは、並大抵なことではないと思います」


岡田 正直、ありました。特に辛かったのが8回目の時です。初めて一次に受かって、過去の流れだと、一次に受かったら大体二次も受かっていたんです。だから地元でも「おまえ、絶対に受かったな」って言われたんですけど、結局二次で落ちてしまって。その時は全部を放り投げたかった。「もう受けても無理かな」という気持ちになりました。

 長いこと気持ちを張り詰めてきて、それがぷつっと切れてしまうと…。そこでもう一度チャレンジできたのは、なぜだったんでしょうか?

岡田 周りからの言葉に救われましたね。こういう取材を受けると、(岩田)康誠と笹田先生の名前を出させてもらうんですけど、康誠に「努力が足りなかったら、その上の努力や!」ってビシッと言われまして。たった一言ですが、深いなと。

 岩田騎手とは地方競馬教養センター時代の同期なんですか?

岡田 僕は養成課程が半年で康誠が2年なので、厳密には同期ではないんですけど、訓練の過程が一緒だったので、ほぼ同期みたいなものですね。

 笹田先生とは高校時代の先輩後輩という。

岡田 そうです。世代は違うんですが、共通の知人に「おまえの高校の先輩やぞ。同じサッカー部で、しかも部長。丸々先輩や」って紹介してもらいました。二次で落ちた時に、笹田先生に「また一からやり直します」と言ったんです。そしたら「いや違う。一からじゃなくていい。一次は受かってるんだから、もうちょっとパワーアップさせろ」って。

 その時に気持ちが晴れたというか。自分を落とすような見方をしなくていいんだなって、ちょっと楽になれたんです。「もう一回やってみよう。それでもダメだったら諦めよう」って、その言葉で決心しましたね。

 9回目を受けるにあたってはリベンジであり、ご自身の中で最後という覚悟でもあったんですね。

岡田 そうですね。リベンジといっても、自分の中では「一次を受かって当たり前、二次からが本当のリベンジだ」と思っていたので、一次は絶対にクリアしないといけないなと。

 それはかなりのプレッシャーですよね。

岡田 そうですね。「JRAで乗りたい」という強い気持ちがあったので、乗り越えられたと思うんですが、もともと逆境をモチベーションにするタイプでもあって。それに何より家族が、「自分の好きなように、後悔のないようにすればいい」と言ってくれたことが大きかったですね。

 その9回目の試験ですが、福山競馬の存廃問題も重なりました。結果として、岡田騎手がJRAデビューする2013年3月に廃止となりましたが、いつかその日が来るのでは…というのは感じられていたんですか?

岡田 騎手部会で役員をやっていましたので、何年か前からそういう危機感はありました。その9回目の時、一次の合格発表が10月で二次が年明けだったんですけど、市長が福山の廃止を公言したのが、ちょうどその間の11月だったんです。福山がなくなってしまう辛さ、落ちたら戻る場所がない怖さ、その葛藤はかなりしんどかったですね。

 抱えるものが大きいですよね。そういう様々なことをはねのけて、ついに合格。大井のトップだった戸崎圭太騎手も一緒に合格されましたね。

岡田 圭太の場合は、その時点ですでにJRAのGIも勝っていましたし(2011年安田記念、リアルインパクト)、環境は全然違いますよね。「岡田さん、頑張ってね」って言われました(笑)。

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▲2013年5月11日、リュンヌ号で準OPを制し、移籍後初勝利を飾った(C)netkeiba.com


 岡田騎手は「41歳のルーキー」と呼ばれましたが。

岡田 受け始めたのが30代前半だったので、もうちょっと早く受かればよかったんですけど(笑)。勝己さんのように「年間20勝を2回」をクリアして入る方とは全然違いますし、JRAでの経験もなかったので、不安なことは多かったです。

 でも、それを踏まえても、もう一回まっさらな立場になってみるのもいいかなと思いました。自分も若い時はこんな感じだったなというのを、この年になってまた経験できている感じなんです。いくつになっても常にチャレンジ。前を向いている限り、満足することはないですね。

(文中敬称略、次回へつづく)

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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