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【重賞初制覇】中内田充正調教師(2)『競馬大国イギリスの大学“経済学部馬学科”とは』

  • 2016年10月10日(月) 12時01分
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▲海外競馬に精通している中内田調教師のルーツに迫ります(撮影:高橋正和)


先日の凱旋門賞も現地フランスまで足を運んだ中内田調教師。海外競馬に精通している背景は、先生の学生時代へと遡ります。高校生の時にアイルランドへ留学し、そのまま向こうで大学受験。イギリスの大学へ進学しました。日本では馴染みの薄い「経済学部馬学科」とは、いったいどのようなところなのでしょうか? (取材:東奈緒美)


(前回のつづき)

“豊さん”と“オグリキャップ”で競馬の世界に


 中内田先生は、ご実家が関西初の育成牧場の信楽牧場。学生の頃に留学されて海外に精通していて、まさに競馬界のエリートというイメージがあります。

中内田 いえいえ、そんなことはないですよ。ご存じかわからないですけど、生まれ育った信楽は何もないところですから(苦笑)。小さい頃はチャリンコ乗り回して、鼻水垂らしながら遊んでた普通の子どもでした(笑)。

 そうなんですか!? 私も田舎育ちなのでわかります。自然の中でのびのびと育ったという感じですね。

中内田 そうです(笑)。田んぼの中に裸足で入って、カエル捕まえたりとかね。そんなことばかりしてました。馬は身近にいましたけどね。初めてまたがった時の記憶はないんですけど、小さい頃の写真を見て「こんな頃から乗ってたんや」というのは思いました。

 おいくつくらいだったんですか?

中内田 たぶん3歳くらいなのかな。親父が馬を曳っ張って、僕が上にちょこんと乗っている写真で。子どもの無邪気な笑顔で写っていたので、怖くはなかったんでしょうね。それでもしばらくは競馬に興味がなくて…。本格的に馬に乗り始めたのは12歳の時です。最初は騎手になりたいと思ってました。

 どなたか憧れの騎手がいたんですか?

中内田 それはもちろん、僕らの世代は“武豊”ですよね。“豊さん”と“オグリキャップ”、僕もそれを見て競馬の世界に入ったうちの1人です。

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▲2008年に東京競馬場でお披露目されたオグリキャップ(撮影:下野雄規)


 ただ、中3の時で既に体重オーバーだったんです。競馬学校を受ける人は40キロくらいだと思うんですけど、その時点で50キロ近くありまして…。それで滋賀県内の高校に進学して、高1の時にアイルランドにホームステイに行って、その後に留学という形に。

 アイルランドに行ったきっかけというのは?

中内田 今はもうないんですけど、当時トレセンの関係者を集めてホームステイをするプログラムがあったんです。そこに参加したんですけど、まずは英語を覚えなくてはいけないので、最初の半年は語学学校へ行って、その後にそのままアイルランドの高校に編入しました。

 大学も向こうですよね?

中内田 そうです。何校か受かってたんですけど、そのうちの1つのイギリスのウエストオックスフォード大学の馬学科というところに行きました。

 2年で向こうの大学に入れるぐらいのレベルに達したというのがすごいです。

中内田 最初は全然ついていけなかったですよ。未だに覚えてるんですけど最初のテスト、10点だったんです。100点中の10点(苦笑)。それも、科学のテストで「ミトコンドリアの絵を描け」という。それで10点です。

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▲「英語には苦労して…最初のテスト10点でした。しかも絵を描くだけの問題で」


 面白い(笑)。日本では学校の成績は良かった方ですか?

中内田 いやぁ…たぶんそのまま日本の高校に行ってたら、不良で終わってたぐらいの成績でした。なんせ向こうでは、他にすることがなかったですからね。友達もいなかったし、勉強するしかなかったので。

 馬には乗っていらしたんですか?

中内田 馬には乗ってました。ジョン・レノンという調教師さんを紹介してもらって、週末の土日に乗せてもらって。そこで初めて競走馬というものに携わって、基本的なことは全部その人から教わったんです。日本人って恥ずかしがり屋なので「対・馬」なんですけど、向こうは「馬は友達」という感覚なんですよね。

 距離がぐっと近いんですね。

中内田 そうそう。だから「常に話しかけろ」って言われます。「何かあったら話せ。馬房にいても乗ってても、常に話しかけろ」って。話してることによって、自分もリラックスしますしね。馬と人の信頼関係というのはそこからなんだなって。当時は言われた通りにやっていただけですけど、今思うとそういうことだったのかなと思います。

 大学ではどんなことを学ばれたんですか? 馬学科というのは日本にはあまりないですよね?

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▲「馬学科というのは日本にはあまりないですよね? どんなことを学ばれたんですか?」


中内田 獣医学科はたくさんあると思うんですけど、馬専門のコースというのはないですよね。やるのはもう、馬に関すること全般です。馬の生態学、運動科学、獣医学も入ってきて解剖もありました。牧場も併設されていたので、生産から競走に行くまでの全過程を学んだり。

 ちなみに馬学科は経済学部の一部なんですよ。「経済学部馬学科」で、卒業証書も2つあるんです。経済学部を出たのと馬学科を出たのと、2つの資格をもらえるんです。

 卒業すると、幅広い仕事に就けるんですね。

中内田 そうですね。生産に興味がある人、中期育成に行きたい人、調教師になりたい人、いろいろな人が来ていて、いろいろな分野の勉強をさせてもらいました。そこを卒業して実際に調教師になった人もいれば、大手牧場のマネージャークラスであったり、活躍している方は多いですね。

 先生ご自身もそうですもんね。その当時は、どのような未来を思い描いていたんですか?

中内田 大学時代はまだはっきりと、調教師になりたいというのはありませんでした。毎日馬に乗っていることが幸せでしたし、とにかくいろいろな経験をしたいというのが強かったんです。その時にしかできないことがあると思って、いろいろな人に会ったり、セリにも行ったり。今思えば、本当におもしろかったです。

 すごく刺激的な大学時代を過ごされたんですね。

中内田 そうなのかもしれないですね。大学時代は楽しかったイメージしかないです。アイルランドにいた時の方が苦しかったですね(苦笑)。ホームシックにもなりましたし、英語も通じなかったですし。アイルランドに比べたら、大都会のイギリスはまさに天国みたいでした。世界にはまだ自分の知らないおもしろいことがたくさんあるんだって、希望でいっぱいでしたね。

(文中敬称略、次回へつづく)

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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