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当たり前のありがたみ

  • 2017年02月11日(土) 12時00分


 先日、4人の調教師と、2人の騎手――武幸四郎騎手、田中博康騎手が引退することがJRAから発表された。幸四郎騎手、タナパク騎手ともに、昨年12月、調教師免許試験に合格したことよって、この時期に引退することは既定路線となっていたわけだが、それでもやはり、こうして正式に通知されると、寂しく感じてしまう。

 しかし、彼らにとって、騎手引退はゴールであると同時に次のキャリアに向けてのスタートでもある。勝負服をスーツに着替えて、パドックに姿を見せてくれる日を楽しみに待ちたい。

 彼らと入れ違いに騎手としてのキャリアをスタートさせる、5人の新規騎手免許試験合格者が発表された。

 そのなかに、JRA現役最年長の木幡初広騎手(51)を父に持つ木幡育也さん(18)の名があった。長兄に木幡初也騎手(21)、次兄に木幡巧也騎手(20)がいる。親子4人が騎手としてJRAに所属するのは初めてのことで(親子3人の時点で初めてだった)、3兄弟の同時在籍は、「柴田政見・政人・利秋」「津曲忠美・幸夫・浩二」につづく3組目となる。

 父の木幡初広騎手は、世界最大級の馬の祭「相馬野馬追」の舞台となる福島県南相馬市原町区の出身だ。野馬追は、現在、7月最後の土、日、月に開催されているのだが、かつては曜日によらず、7月23、24、25日に開催日が固定されていた。木幡騎手は、レースのない平日、甲冑競馬に出場したことがあったという。

 しかし、故郷は、2011年3月に発生した東日本大震災と原発事故の被災地となった。津波で被害を受けた実家は、福島第一原子力発電所から20キロ圏内にあるため、事故後は警戒区域に指定され、立ち入りが制限された。

 震災直後、大型免許を持っている木幡騎手はマイクロバスを借り、家族が避難していた福島県本宮市に向かった。そこで14人を乗せ、大渋滞のなか往復15時間かけて茨城県美浦村の自宅に連れてきた。14人のなかには親族以外の人もいたという。

 その翌月、長男の初也騎手が競馬学校に入学した。

 木幡初広騎手にとってホームグラウンドと言える福島競馬場も、スタンドの天井が広範囲にわたって崩落するなど、震災で大きな被害を受けた。施設の復旧と耐震補強工事、さらにコースの砂を入れ替えたり芝を張り替える除染などの工事を終え、震災後初めて福島で競馬が開催されたのは2012年の4月7日。実に1年5カ月ぶりの開催となった。

 福島に競馬が帰ってきたその日、開門前に1500人を超えるファンが並んでいた。百年近く前、1918(大正7)年に福島競馬場が開場してから、開催期間中、福島の街は多くの関係者やファンで賑わってきた。競馬が根づいている土地だけあり、たくさんの人が、強い気持ちで競馬の再開と仲間との再会を待ち望んでいたことが伝わってきた。

 もちろん、と言うべきか、その日は木幡初広騎手も参戦していた。

 ファンも彼が「ご当地騎手」であることを知っている。

 第1レースのパドックに姿を現すと「コワター、頑張れよー!」と声援が飛んだ。

 その日は10鞍に騎乗し、2、16、6、3、3、5、9、4、6、10着という結果だった。

「1年5カ月ぶりの開催ということで、この寒いなか、お客さんも大勢来てくれて、よかったです。楽しみにしていたファンがいっぱいいたんだと思います。自分なんかそんなファンはいないけど、地元ということでパドックで声をかけていただいたのは、本当にありがたいことです。久しぶりの福島だからと、あまり特別視せず、プロとして普通に迎えようという気持ちももちろんありました。ひとつでも勝って、いいところを見せたかったんですけど、残念でした。復興まではまだまだ時間がかかると思います。競馬の力といっても知れているし、競馬をやったからといって復興するわけではないのですが、楽しみにしてくれている人がいるのは嬉しいことですね」

 最終レースの騎乗を終え、囲み取材でそう話した木幡騎手は、その時点でまだ警戒区域にあった実家の様子を見に行くことができずにいた。

「申し込めば何カ月かに1回は入れるらしく、ぼくも一度は見に行きたかったんだけど、そのときは金曜日だったので入れなかったんです。姉と妹は行ったみたいです」

 4月になれば福島で開催がある、というひとつの日常が戻ってきた。

「そうですね。毎年、福島、そのあとは新潟というパターンで乗ってきました。ぼくは、いつもどおり騎乗依頼をいただいて、いい結果を出せるようレースに臨むという意味で変わっていません。競馬では自分のために頑張っているのですが、レースを見てくれて、楽しんでくれた人が、それによって力をもらえたように感じてくれたら嬉しいです」

 あれから5年になろうとしている。

 震災からはもうすぐ6年だ。

 こうして木幡騎手について書きながら、競馬が当たり前に行われていることのありがたみを、自分が忘れかけていることに気がついた。

「木幡初広・初也・巧也・育也」の親子4騎手が一緒に福島競馬場で騎乗して、多くの人々の目が福島に集まれば、「当たり前のありがたみ」を再認識するいい機会になるのではないか。美しい地での揃い踏み、ぜひ実現してほしいと思う。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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