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ファンに愛され続けるボンネビルレコード〜誘導馬としてのプロローグ/TW30周年SP企画

  • 2017年02月14日(火) 18時01分
第二のストーリー

▲的場文男騎手本人が思い出の一頭に挙げたボンネビルレコードの“第二のストーリー”(全2回、撮影:高橋正和)


大井を代表する名馬に白羽の矢


 的場文男騎手を背に、帝王賞、かしわ記念などビッグレースを制したボンネビルレコード。その競走馬生活は8年にも及び、2012年12月29日の東京大賞典(GI・9着)を最後に、10歳で現役生活に別れを告げた。

 そのボンネビルレコードの第二の馬生は、主戦場だった大井競馬場が舞台となっている。大井競馬の広報の方に案内されて向かった先は、見上げると東京モノレールがすぐ斜め上を走る場所にある厩舎だった。厩舎の扉は開いており、正面の馬房には大きな馬が2頭いた。聞けばこの2頭は馬車を引く馬たちだという。この厩舎に、誘導馬となったボンネビルレコードが暮らしていた。

第二のストーリー

▲東京モノレールに隣接する厩舎で、ボンネビルレコードら誘導馬たちは暮らしている


 ボンネビルレコードは、2002年3月12日に北海道門別町(現・日高町)の浜本幸雄さんの牧場で生まれた。父はアサティス、母はダイワスタン、その父マルゼンスキーという血統だ。

 大井の庄子連兵厩舎の管理馬となったボンネビルレコードの競走馬生活の幕開けは、2004年10月の大井競馬場での2歳新馬戦。的場文男騎手が手綱を取り、ダート1000mで見事に初陣を飾った。明けて3歳になった同馬は南関東の三冠にも出走し、三冠最後のジャパンダートダービーではカネヒキリの3着と好走。続く黒潮盃で初めて重賞を制すると、東京記念に優勝して重賞2連勝を飾り、南関東の強豪の1頭に名を連らね、交流重賞の常連となっていった。

 大井から中央の堀井雅広厩舎に移籍したのは、金盃に勝ったのち、5歳春のことだった。中央に移籍してから3戦は、後藤浩輝、武豊などが手綱を取っていたが、4戦目の帝王賞では再び的場文男騎手とのコンビが復活し、1番人気のブルーコンコルドを破り、GI初制覇を成し遂げている。帝王賞以後は、しばらく勝ち星から遠ざかっていたが、6歳時のダイオライト記念(GII)では、中央移籍後2度目の的場騎手とのコンビで2着となり、3度目のコンビとなったかしわ記念で優勝、4度目の帝王賞2着、5度目の日本テレビ盃で優勝と、的場騎手とのコンビでは、抜群の成績を残している。思えばデビュー時から中央移籍前まで、ボンネビルレコードの鞍上にはずっと的場騎手がいた。相性も良かったのだろうが、互いに培ってきた信頼関係が強固なものだったと想像できる。

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▲コンビ22戦目で迎えた07年帝王賞。堀井雅広厩舎(JRA)所属時のため、的場騎手はお馴染みの勝負服とは違った勝利に


 2010年春、8歳のボンネビルレコードは、中央から古巣の大井競馬場、庄子連兵厩舎へと戻り、冒頭の通り、2012年12月29日の東京大賞典で競走馬生活にピリオドを打った。

 引退したボンネビルレコードには、オーナーである馬主の塩田氏から特別区競馬組合に寄贈する形で、誘導馬という新しい道が用意されていた。それまで大井競馬場ではアメリカから輸入したパロミノ種が誘導馬を務めていたが、その馬たちが高齢となったため、引退した元競走馬を誘導馬に導入することが決定された。

 その第一号となったのは、2歳時に準重賞のゴールドジュニアーで2着となった芦毛のナイキスターゲイザだった。

「当初は芦毛を中心に考えていましたが、お客様からのニーズもありますし、いわゆる大井競馬場で走った名馬を毛色に関わらず導入するのは、競馬場にとってもプラスになるのではないかということで意見がまとまりました」

 と、特別区競馬組合の競馬事務局、笹本美穂さんは元競走馬を誘導馬として導入した経緯を説明。ナイキスターゲイザに続き、ボンネビルレコードに白羽の矢が立ったのだった。

「今もボンちゃんに会いたいからと、競馬場に来て下さる方がいます」(笹本さん)

 かつて応援していた馬の元気な姿を目の前で見ることができる。これはファンにはたまらない魅力の1つになっているのは間違いなく、ひいては大井競馬場自体にもプラスにもなっているはずだ。


 ボンネビルレコードは、最後のレースを終えた翌日には、所属していた庄子厩舎から同じ敷地内にある誘導馬厩舎へと移動した。誘導馬と馬車を引く馬の管理責任者は、特別区競馬組合から業務委託された有限会社イネッツ・ツーの代表取締役の坂口昇さんだ。  

 日々レースに向けて調教が積まれ、実戦ではライバルたちとしのぎを削ってきた競馬場という同じ敷地内での第二の馬生。心身ともに切り替えが難しいのではないかという疑問がよぎり、坂口さんに質問してみた。

「やはり難しいですね。競馬が開催していない日は皆大人しいですけど、開催日になると場内の雰囲気も変わるので、テンションが上がって普段は暴れない馬が、暴れてしまうこともあり、開催中における馴致は非常に重視しています。そこで納得しない限りは、非開催の日にどんなに大人しくても誘導馬になれません」(坂口さん)

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▲誘導馬たちの管理責任者を務める坂口昇さん


 これまで開催中の雰囲気や音にどうしても反応してしまうために、誘導馬への道を諦めざるを得なかった馬も1頭いたという。

「誘導馬のいる厩舎のすぐ裏手が1400mのレースの発走地点なので、馬によってはゲートが開いてドーッと馬たちが走っていく音で発汗したり、暴れることもあります。イライラはしてもそこまで暴れない馬もいますけどね」

 日々、過ごす場所に慣らすことをはじめ、それまでは走るのが仕事だった馬たちに、誘導馬として必要なことを一から教え込んでいく。

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▲取材中もボンネビルレコードと頻繁にコミュニケーションを取る坂口さん


「引退した翌日からすぐに乗り出します。まだ現役の競走馬とほぼ同じですし、そうしないと馬が張って(元気が余っているような状態)しまいますからね。それまでのトレーニングとは違いますし、最初は馬たちも動揺していますので、まずはその馬なりのことをさせてあげます。乗っていてどのあたりで落ち着いてくるかなど、馬の癖を掴みます。噛む馬なら噛ませてあげて、噛んでも絶対怒らないですしね。ここにいる僕やスタッフは安心だよと、まずは馬にわかってもらうようにします」(坂口さん)

 ボンネビルレコードはこうして、坂口さんと二人三脚で誘導馬への道を歩き始めた。

(次回につづく)


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また15日(水)は、大井競馬では最長距離の重賞・金盃(SII・2600m)を開催! ここ数年、JRA勢相手に奮闘を続けるユーロビート(セン8、大井・渡邉和雄厩舎)や、転入初戦ながらJRAのOP競走であるブラジルC・ペデルギウスSで、ともにミツバ(牡5、JRA・加用正厩舎)の2着となったオリオンザジャパン(セン7、大井・的場直之厩舎)らが出走します!(⇒「金盃(SII)」の見どころ)

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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