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『絆』にこめた思い

  • 2017年02月25日(土) 12時00分


 本稿がアップされる前日、2月24日に拙著『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が発売された。よりによって、村上春樹氏の4年ぶりの長編『騎士団長殺し』と同じ日だ。向こうは発売前に重版が決まって、2巻合計130万部。早朝販売で対応する書店もあったなど、社会現象にもなった大物と一緒にスタートを切ったわけだ。

 人が毎月本に遣うお金が限られていることを考えると、痛い。しかし、たくさんの人の読書マインドが高揚しているときに世に出る、つまり、書籍のマーケット全体が活性化しているときに売り出されるのだと考えると、大きな歓迎材料である。

『絆〜走れ奇跡の子馬〜』の初出は、当サイト「netkeiba.com」で2012年の初夏から暮れまで連載された競馬小説「絆〜ある人馬の物語」である。

 東日本大震災が発生したのは2011年3月11日のことだった。その翌月あたりから、「被災地」「被災者」のほか、「被災馬」という言葉をしばしば聞くようになった。

 少し調べると、被災馬は福島県の大洋側の相双地区に集中していることがわかった。千年以上の伝統を持つ世界最大級の馬の祭「相馬野馬追」のために飼育されている馬がいるからだ。その9割以上が元競走馬だと知った私は、20年以上競馬の原稿を書いてきた者の責務として、被災馬が置かれた状況や相馬野馬追に出る人馬を取材し、リポートするようになった。

 取材の過程で、津波で亡くなった蒔田匠馬(まきた・しょうま)君という20歳の騎馬武者の存在を知った。何度か相馬と南相馬を訪ねるうちに、この地とここに住まう人たちが大好きになり、匠馬君の父、蒔田保夫さんとも親しくなった。今では、毎年野馬追取材のときお宅に3泊ほどさせてもらっており、本稿でも何度か紹介したことを覚えている方もいると思う。

 独自の馬事文化が根づいた南相馬を舞台にして、震災の日に生まれた馬がダービーを目指していく物語を、匠馬君のような、優しく、まっすぐな心を持った若者を視点人物として描きたい――と思ったことが、この小説を書く動機となった。

 連載時、視点人物の名は「杉下将馬」で、馬名は「キズナ」だった。

 名字を杉下にしたのは、私は俳優の水谷豊さんが好きなので、水谷さんがドラマ「相棒」で演じる杉下右京にちなんでつけた。名を将馬にしたのは、匠馬だと「たくま」と読まれることもあるので、こちらにした。

 以前、この稿に書いたように、プロデューサーの浅野敦也さんから、「絆」の映像化に向けて動きたいと連絡があったのは、2年前、2015年の相馬野馬追初日のことだった。何度か浅野さんや、ほかのスタッフと会ううちにドラマ化が決まり、主人公の名字が、誰もが知るドラマのそれと同じではちょっと……となって、「杉」を「松」に変えて「松下」とした。

 ときは前後するが、実馬のキズナが連載中にデビューし、翌年のダービーを勝つほどのスーパーホースとなった。あれほどの名馬と同じ名を、近い時期のドラマで使うのはどうかと思った。また、私が原作で、馬名がキズナのままだと、実馬のキズナと間違える人が出てくるだろうからと、「リヤンドノール(北の絆)」という馬名に変更した。

 ドラマ化が決まってから書籍化が決まったので、読者と視聴者にとってわかりやすくすべきだろうと、タイトルも登場人物名も統一することにした。

 もちろん、原作とドラマとでは、ストーリーや登場人物など、かなり異なるところがある。打ち合わせの早い段階で、「『絆』の魂というか、私がこの物語にこめた思いを理解して共有していただければ、中身をどう変えてもらっても構いません」と、浅野さんをはじめとするドラマ制作スタッフに伝えておいた。

 ドラマでは、松下ファーム代表の松下雅之を役所広司さん、その娘の将子を新垣結衣さん、息子の拓馬を岡田将生さんが演じる。原作初出の将馬が、将子と拓馬になったわけだ。

 私は、匠馬君に会ったことはないのだが、今はずいぶん前からの友人であるかのように思っている。その匠馬君を物語のなかで蘇らせたいと思ったのと同時に、騎手時代「元祖天才」と言われた田原成貴さんを描きたいと思っていた。作中の上川博貴(かみかわ・ひろき)は成貴さん、武原豊和は武豊騎手、三好晃一は三浦皇成騎手がモデルだ。ただし、年齢を入れ替え、上川は武原の後輩という設定にした。

 小説のキズナのほうが実馬より先に登場してダービーを目指すという、驚くべき「予言物語」となったのに、一部でしか話題にならなかった。あとで気づいたのだが、実馬のキズナがデビューすることを、私があらかじめ知っていたと思われたのかもしれない。が、本当に私は何も知らずにこれを書いていた。11年暮れに編集者に出した企画書に、「キズナのオーナーのイメージはノースヒルズ代表の前田幸治氏」と書いていたので、実馬のキズナがダービーを勝ったときの驚きと喜びはハンパではなく大きかった。

 さて、今週末、武幸四郎騎手と田中博康騎手が現役最後の騎乗を迎え、鞭を置く。

 活躍した騎手のラストライドが近づくたびに、1998年2月21日、田原成貴さんが最後の騎乗に臨んだときのことを思い出す。旧4歳牝馬限定の飛梅賞でメガラに乗り、2着。勝ったのは、弟分の四位洋文騎手が乗ったマックスキャンドゥだった。

 最近、あまりそう表現される騎手はいなくなったが、華のある騎手だった。93年の有馬記念では、1年ぶりの実戦となったトウカイテイオーを勝利に導いて多くのファンを感動させた。97年の天皇賞・春では、それまで先行して好結果をおさめていたマヤノトップガンで後方待機策をとり、鮮やかに差し切ってスタンドをどよめかせた。

 成貴さんの印象的な騎乗のほとんどが、多くの人が無理だと思ったり、諦めていたことをレースという形にして提示し、私たちを驚かせ、熱狂させたものだ。

 ホースマンのキャリアの終え方は残念だったが、私は、騎手・田原成貴の姿から、「諦めずにやりつづけた者だけが得られる何かが必ずある」ということを学んだ気がする。

『絆』に出てくる上川も、諦めずにもがき、戦いつづける。

 これだけネットが日常生活にも業務にも浸透し、SNSが大きな発信力を持つようになった今は、作家が自作を売るための努力をしなければならない時代だと思っている。当サイトのニュースでも告知するなど、こういう本が出ました、と、私の力の及ぶ範囲では、ほぼ知ってもらえたと思う。

 ここから先の評価は読者に委ねるしかない。どう評価されるかによって、売れるか、売れずに終わるかが決まる。怖くもあり、楽しみでもある。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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