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【引退馬を引き取る(2)】命を繋げるために力を貸してくれた人々 その恩に必ず報いる/動画

  • 2017年03月07日(火) 18時01分
第二のストーリー

▲キリシマノホシと元担当厩務員の川越さん、7年を経て奇跡の再会


(前回のつづき)

肥育牧場にいたキリシマノホシの居場所が判明


 キリシマノホシのラストランは、2016年12月16日。8頭立ての殿だった。ほどなくしてキリシマノホシが競走馬登録を抹消され退厩していることを園田競馬場のホームページで知った。資金の調達が厳しかったために迷いもあったが、友人らの後押しもあり、キリシマノホシ探しに本格的に動き出した。

 関西の知人の力を借りて、肥育の業者をいくつも当たってもらったが、そのような馬は来ていないという返事だったらしい。年末年始が近いという時節柄、馬肉の需要が高い九州に渡ってしまっていたら、もう処分されていると覚悟した方が良いと教えてくれたのは、別ルートから相談に乗ってもらった関東の業者さんだった。

 引き取りたい馬がいるなら、厩舎にいるうちに何とかしないと難しいとも忠告された。それでもその業者さんは、横のつながりを通じてキリシマノホシという馬がいたら知らせてほしいと各所に声をかけてくれていた。

 実際、関東の業者さんの仰る通り、こちらは完全に後手後手に回っていた。資金面のこともあって厩舎に手紙を送るのが遅くなった。調教師だけではなく、馬主にも連絡を取っておくべきだったのかもしれない。

 本当にキリシマノホシを引き取りたなら、もっと手を尽くすべきだったのだ。後悔がよぎったが、くよくよしていても仕方ない。今できることをしよう、そう決心した。

 暮れも押し迫った12月27日、関西の知人から居所がほぼ特定できたという連絡が来た。九州には行っていなかった。はじめはいないという返事だった某県の肥育の牧場に確実にいるということが判明したのだ。知人の持つネットワークが、閉ざされたかに思えたキリシマノホシの未来の扉を開いた。

 幸い年末の出荷は終わっていて、まだ時間はあった。川越さんと私は、その牧場宛にキリシマノホシとの関係や馬に対する強い思いと、買い取りたい意志を手紙にしたため、年明け早々速達で送った。

 先方からは1月4日に電話が来た。その業者は快く買い取りに応じてくれた上に、預託先が見つかるまで牧場に置いてくれるとまで言ってくださり、感謝の気持ちでいっぱいになった。

 キリシマノホシの無事を確認したところで終わりではない。川越さんと私はまず、預託先を探し始めた。

 なるべく会いに行きたいし、自分たちでできることはしたいので、住まいのある茨城県内で数か所見学をした。その中でも、預託料が良心的な乗馬クラブに決めた。当面かかるお金をかき集め、馬運車を手配し、馬着や無口などとりあえず必要な馬具を揃えた。

 そして1月16日、キリシマノホシが茨城県にやって来ることになった。

 折しも14、15日は西日本方面は大雪に見舞われ、15日には京都、中京競馬が中止になっていた。西方面からやって来るキリシマノホシを乗せた馬運車も、前日までの雪の影響で時間がかかっているのか、14時という到着予定時間を過ぎてもなかなか到着しなかった。乗馬クラブのクラブハウスで窓の外を穴のあくほどじっと見つめながら、まだかまだかと到着を待った。

 15時半も近くなった頃、馬運車から乗馬クラブの場所の確認の電話が入った。間もなくだ。乗馬クラブの門の外に出て、馬運車を待ち構えた。やがて数十メートル先の曲がり角から、横長の馬運車の車体が姿を現わし、ゆるゆるとこちらへ向かってくる。あの中にキリシマノホシがいる。胸が熱くなった。

元担当厩務員の川越さんと再会「お前、よく生きてたな」


 クラブの敷地内に入ってきた馬運車がピタリと止まり、後ろ扉がゆっくりとおろされた。川越さんは馬車の横扉から中に入ると、キリシマノホシの無口に曳き手をかけた。


 川越さんに曳かれて、周囲を見回しながらゆっくりと降りてきたキリシマノホシ。九州の生まれ故郷の牧場から育成場、栗東トレセン、美浦トレセン、小倉に札幌などJRAの各競馬場、そして園田、肥育の牧場とこれまで幾度となく移動を繰り返してきた彼女だが、馬運車から降り立ったこの場所をどう理解しているのだろう? 馬房に収まったキリシマノホシの少し落ち着きのない様子を眺めながら、そんなことを思っていた。

 川越さんは、キリシマノホシの肩をポンポンと叩きながら「お前、よく生きてたな」とつぶやいた。

第二のストーリー

▲茨城県の牧場に到着したキリシマノホシ


第二のストーリー

▲笹を美味しそうに食べている


 ラストランを終え、長年走り続けた園田競馬場を去ってから、ちょうど1か月。キリシマノホシがここまで来るのに、本当にたくさんの人のお世話になった。フェイスブックの私のコメントに目をとめて、相談に乗ってくれてさらには背中を押してくれた友人、園田競馬場事情に詳しい方にも引退後に向かった先を探ってもらった。

 関東の業者もあちこちの知り合いに連絡を取ってくれた上に、引退馬を引き取りたい時にどうしたら良いのかのアドバイスも頂いた。そして関西の知人はその人脈を駆使して、とうとうキリシマノホシの居場所を探し当ててくれた。そしてキリシマノホシが運ばれた先の肥育業者さんは、無視することもできたはずなのに、手紙を読んでわざわざ連絡をくれて、快く買い取りにも応じてくれた。

 思い返しても、川越さんと私だけでは、絶対にここまで辿り着けなかった。10歳まで188戦も闘い抜いてきたキリシマノホシが、この先彼女らしく心地良い第二の馬生を過ごしていけるように精一杯努力をする。これが川越さんと私が担った大きな責任でもあるし、力を貸してくれたたくさんの人々の恩に報いることにもなる。キリシマノホシを前に、身が引き締まった。

 川越さんは「キリシマ」とか、時折ふざけて「キリタンポ」と呼んでいるが、私は着いたその日から「キリちゃん」だった。川越さんと私を特別な存在であると、キリちゃんはすぐに理解したようだが、クラブに来た当初はまだ完全にはこちらを信用していないようでもあった。

 フケ気味のせいもあり、少しでも触れるとヒステリックな声をあげる。人参を差し出すと食べはするが、耳は伏せたまま。時々パクッと噛みつくような仕草も見せた。隣の栗毛には歯を剥いて、時折ケンカもしている。無口をかけるとなぜか素直に言うことをきくが、外すとまるで無視。ボロを拾いに馬房に入ると、テリトリーに入ってくるなとばかりに耳を伏せて怒ることもあった。

 それでいてキリちゃんに背中を向けてボロを拾っていると、私の体にくっつかんばかりにすぐそばまで来ていることもあった。こうやってキリちゃんは日々、私たちの様子を窺いながら、この人たちは信用できる人なのかどうかを判断していたのかもしれない。

 キリちゃんが茨城に来て2、3週間ほどたった頃だろうか。厩舎に入っていくと「ブフフ」と鳴いて、頭を2、3回ブンブンと上下させて挨拶するようになった。この姿を目にした時に、ああやっと認めてくれたのだ、キリちゃんと家族になれたのだと感じた。

第二のストーリー

▲リンゴを食べさせる筆者、ふたりは家族になれた


 用事があって数日クラブに顔を出さないと拗ねてすこぶる機嫌が悪いが、続けて通うとご機嫌な様子。このあたりもわかりやすくて可愛い。

 顔を固く絞ったタオルで拭いてもらうのが、無上の喜びのようで、目を細めて気持ち良さそうにしているのも、愛らしい。川越さんの手つきにはかなわないが、私が拭いても目を細めているのだから、よほど顔をゴシゴシされるのが好きなのだろう。


 またある時、クラブで飼っている犬がキリちゃんの放牧地に飛び込んできた。キリちゃんの目がキラッと光ると、グッと体勢を低くすると同時にその犬を嬉しそうに追いかけ始めた。犬の方は突然大きな馬に追いかけられたのだから、たまらない。必死の形相で全力疾走し、何とか放牧パドックの外に逃げおおせた。キリちゃんは逃げた犬をしばらく探していた。時折、呼ぶような仕草も見せていた。犬を追いかけるのが、よほど楽しかったに違いない。

第二のストーリー

▲逃げ出した犬を探しているところ


 このように自分の馬がいると、誰に気兼ねすることなくコミュニケーションを密にはかれるし、意外な素顔を発見することもある。それに馬の扱いも覚えられる。特に川越さんという馬のプロとキリちゃんが先生になってくれるという相当贅沢な環境なのだが、昨日やったことを今日忘れている上に動きも鈍く、私はいつまでたってもキリシマノデシ状態。いつになったら一人前の仕事ができるのか、考えただけで気が遠くなりそうだ。

 今回キリシマノホシを引き取るにおいて、様々な人と交流を持ち、知らなかった現実を教えてもらった。キリシマノホシの命を繋げるために、たくさんの人が手を貸してくれた。それは本当に心に沁みた。

 キリシマノホシが助かったこと以外にも、得たものはたくさんあったし、勉強をさせてもらった。競走馬は引退したらどうなるのか。今は十分過ぎるほど理解しているつもりだ。

 経済的には、正直言って決して楽ではない。それでもキリちゃんの顔を見るたびに、勇気を出して引き取って良かったとつくづく思う。一歩間違ったら、この馬の命の灯は消えていたと考えただけでもゾッとする。

 それは川越さんも同じはずだ。そして藤沢和雄厩舎時代に担当してきた華々しい血統や成績の馬たちではなく、半年の短い付き合いだった九州産のキリシマノホシを引き取ることになったのにも、何か意味があるのだろう。

第二のストーリー

▲2009年の札幌での未勝利戦のゼッケンを手に…


 競走馬としては高齢の部類まで走っていたキリちゃんだが、11歳という年齢は馬としてはまだ若い。現在、川越さんが主宰する馬のグルーミング教室のモデルホースをはじめ、キリちゃんの今後を模索中だ。今はともかく模索しながら歩みを進めていくしかない。

 そのはるか先に、キリシマノホシを引き取った本当の意味を理解する日が来るのかもしれない。

(了)


※キリシマノホシの近況は以下で見ることができます

ノーザンレイク ブログ
http://amemasu4023.blog41.fc2.com

ノーザンレイク Facebook
https://www.facebook.com/umagrooming

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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