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【JRA通算500勝】柴山雄一騎手(2)『念願のJRAジョッキーに“ここにはいろんな夢がある”』

  • 2017年03月20日(月) 12時00分
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地方競馬教養センター時代からの旧知の仲、柴山騎手と赤見さんのスペシャル対談


JRAの競馬学校を3度不合格。笠松競馬からデビューし念願のジョッキーとなったわけですが、安藤勝己元騎手が先駆者となり、地方からJRAへの移籍の流れが生まれるという好機が到来。再度、JRAを目指すことを決意します。しかし、笠松の人たちからは「絶対に受からない!」と言われ続けたと言います。自分を信じたチャレンジの軌跡をたどります。(取材:赤見千尋)


(前回のつづき)

安藤勝己さんに移籍の相談


赤見 柴山さんは、JRAの試験に一発で合格されたんですよね。正直、ビックリしたんですが……柴山さん、勉強得意でしたっけ(笑)?

柴山 まったく(笑)。地方競馬の免許更新試験もいつもあんまりできなくて、10年くらいずっと受け続けてた(高得点を取れば3年で筆記試験は免除)。確か地方ではそういうやつのことを“10年戦士”とか言ってたよね。

赤見 何を隠そう、この私も10年戦士です!

柴山 あ、同じだ(笑)。そんな俺がJRAを受けるなんて言い出したものだから、最初は笠松の人たちもビックリ。みんなから「絶対に受からない!」って断言されたよ。でも、(安藤)勝己さんに相談したら、「何度でも受ければいいんだ」って言われてね。

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地方からJRAへの移籍の流れを作った安藤勝己元騎手 (C)netkeiba


赤見 そうだったんですね。相当勉強されたんでしょうね。

柴山 うん、めっちゃ勉強した。名古屋には乗りに行かず、笠松だけ乗って、毎日最低6時間はやってたね。とにかく過去問題を必死に暗記したよ。実際、試験はものすごく手応えがあってね。みんなに「どうだった?」って聞かれたときも「俺、全部書けちゃって。やっべぇ、これ受かっちゃうかも」って答えたんだけど、なぜかものすごく笑われた覚えがある(笑)。その時点でも、誰も俺が受かるなんて思っていなかったんだろうね。

赤見 じゃあ合格の知らせを受けたときも、自信があったぶん、あまり驚かなかった?

柴山 いや、さすがに「ウソでしょ」って思った。周りなんて俺以上にビックリしていて、それはもう「考えられん!」みたいな(笑)。すぐに飯干先生と勝己さんに報告に行ったよ。

赤見 一次試験から受けて合格したのは、赤木(高太郎)さんに次ぐ2人目でしたよね。

柴山 そうそう。そもそも赤木さんが受かったから、俺も受けてみようと思ったのがきっかけ。それまでは、それこそ勝己さんや小牧さんのような本当のトップじゃないと受ける資格すらないと思っていたから。そんななか、当時兵庫リーディングで3、4番手だった赤木さんが合格したのを見て、ああ、チャレンジはできるんだと。

赤見 柴山さんが合格したあたりから、一気に受験者が増えましたよね。

柴山 増えた増えた。赤木さんはもともと、いい高校に入るか、それとも地方競馬に行くか悩んだくらい、頭がいいっていう噂があった人。だから合格しても何の不思議もなかったんだけど、翌年俺みたいなのが受かっちゃったからね。

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「同じ一次試験からの受験でも、赤木さんは頭がいいっていう噂があった人。それが翌年、俺みたいなのが受かっちゃったからね」


赤見 自分も挑戦したい! みたいな。

柴山 そうそう。そりゃあ思うよね。何しろ俺は、笠松で「サマージャンボバカ」とか言われてたんだから(笑)。

移籍初年度から82勝の活躍


赤見 (笑)。でも、合格は柴山さんの努力の賜物ですよ。それ以上に、JRAでは初年度から82勝ですものね。

柴山 今思うと、本当にすごい数字だよね。でも、当時はJRAにきたばかりで、その数字のすごさをまったくわかっていなかった。

赤見 ああ、なるほど。単純に環境がガラリと変わったわけですが、最初から楽しめました?

柴山 うん、楽しかったね。それ以上に、なんかその環境がありがたかった。笠松では存続問題があって、いつまで乗っていられるんだろう…っていう不安が常につきまとっていたから。だから、JRAにきてまず思ったのは、「ここにはいろんな夢があるな」ということ。夢が広がったなって。

赤見 JRAは、夢の規模が大きいですものね。当然、GIを勝つ可能性もあるわけで。正直、関東圏ではとくに“柴山雄一”という名前は浸透していなかったと思うのですが、騎乗馬の確保などは最初からスムーズでしたか?

柴山 そのあたりは、最初からエージェントがいて、すべて任せていたからね。スムーズだったのかどうかはわからないけど、とにかく与えられた仕事を一生懸命に頑張ったよ。それにしても、2005年は82勝もしたんだなぁ…。なかなか勝てる数字じゃないよね。今ならその重みがわかる。

赤見 本当にすごい数字です。環境はもちろん、レース自体もガラリと変わったわけで、騎乗経験はあったにせよ、すぐに適応できたのもすごいなって。

柴山 いやいや、やっぱりこっちは多頭数だからね。なかなか自分の思うような競馬はさせてもらえなかったよ。なにしろ「芝のスピードってこんなに速いんだ!」っていう、そこからだから(笑)。とにかくがむしゃらで、毎週毎週、何かに追われてたっていう感じかな。

赤見 そうだったんですね。初年度から重賞も勝って(中日新聞杯・グランリーオ)、そのまま順風満帆に進むのものと思っていたんですが、実際は年を追うごとに成績に陰りが出始めて…。そのあたりは、ご自分でどう分析されていますか?

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グランリーオで中日新聞杯を制覇、初年度から重賞勝利というインパクトを与えた (C)netkeiba


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柴山 う〜ん…、まずは主戦場をローカルから本場に移したことが大きいよね。あとは、人間関係でちょっと躓いたことも大きかったなと…。腐りそうになったこともあったけど、自分が頑張るしかないのはわかっていたから。

(文中敬称略、次回へつづく)

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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