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【読者リクエスト】石狩紀行 功労馬トリオを訪ねて(3)『フォーカルポイントをきっかけに数々の出会い』/動画

  • 2017年03月28日(火) 18時00分
第二のストーリー

▲04年京成杯勝ち馬・フォーカルポイントと対面


(前回のつづき)

乗馬で才能開花、ウイルダネス


 斉藤さんにオーフルホースコミューンにいる馬を1頭1頭紹介してもらったのだが、その中にウイルダネス(セン)という馬がいた。聞き覚えがあったので、即座にネットで検索をしてみる。父シンボリルドルフ、母バタイユ。所属が藤沢和雄厩舎となっていた。バタイユといえばキタノカチドキの子で、ビクトリアクラウンの勝った1982年のエリザベス女王杯で4着になっており、新馬戦を圧勝し、藤沢調教師の期待が大きかった未完の大器ヤマトダマシイの母としても知られている。ヤマトダマシイはデビューから2戦目の500万下のレースで故障。その若い命を散らし、ビッグレース制覇の夢ははかなく消えた。そのヤマトダマシイの1つ下の全弟が、目の前にいるウイルダネスだ。耳が小振りで、賢そうな表情をしている。1991年4月6日生まれだから、年が明けて26歳になった。ヤマトダマシイの全弟ということもあり、この馬も期待されていたはずだが、デビューは遅く、5歳(旧馬齢表記・現4歳)の4月に500万下の10着が初陣となった。初勝利は翌年の6月の札幌で、今は亡き青木芳之騎手が手綱を取ってのものだった。500万下で2つ勝ち星を重ねて、19戦3勝の成績で現役を退いている。

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▲シンボリルドルフ産駒のウイルダネス


「シンボリルドルフの子は

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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