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通算勝利数日本記録達成!高知・雑賀正光調教師の軌跡

  • 2017年09月05日(火) 18時00分
雑賀正光調教師

通算勝利数日本記録を達成した雑賀正光調教師にインタビューしてきました




「オーナーの皆さんには本当に感謝しています」


赤見:少し時間が経ってしまいましたが、5月に通算勝利数の日本記録更新(3016勝)を達成されました。おめでとうございます!

雑賀:ありがとうございます。自分ではあまり意識していなかったんですけど、記録が近づいて来た頃から、うちの乗り役たちがそわそわしだして、いつも以上に力が入っていましたね。記録よりも、弟子が一生懸命がんばってくれたことが嬉しかったです。

赤見:今年はすでに142勝(2017/9/4現在)。何でこんなに勝てるんですか?

雑賀:とにかくいい馬を預けてもらっているので、オーナーの皆さんには本当に感謝しています。それに、弟子たちも一生懸命がんばってくれますし、スタッフのみんなも真面目にやってくれますから。そのお陰でこうしてたくさん勝たせてもらっているんです。わたしよりすごい先生がまだまだたくさんおられますし、自分は普通のことをしているだけだと思います。

赤見:雑賀先生はもともと紀三井寺出身ですよね?

雑賀:そうです。父親が調教師をしていて、わたしは1年半ほど騎手をしてました。この体ですから、まぁ減量に苦しみましたね。すごく辛かったですし、全然ご飯が食べられなかったんでいつもフラフラしてました(笑)。騎手を辞めてからは厩務員として働いていて、調教師試験は8回目でやっと受かったんですよ(笑)。合格するまで時間が掛かってしまったんですけど、その頃には厩務員として経験を積んでいたので、オーナーさんたちともパイプができていました。だから、調教師になって最初からリーディングを獲ることができたんですよ。

雑賀正光調教師

厩務員としての経験を活かすことができました。


赤見:え?最初からですか?

雑賀:そうなんです。1985年の10月から走らせて、次の年からリーディングでした。厩務員時代からわたしの繋がりで18頭くらいは入っていたので、開業してすぐにフル回転できたんです。

赤見:何が違うんですか?

雑賀:それは…よくわからないですけど。厩務員時代に親父の代わりにあっちこっち馬を買いに行っていたんですよ。腹巻にお金を入れて(笑)。馬の仕入れに関しては、若い頃からやらせてもらっていたんで、そういう経験が調教師になってすぐに活きたんだと思いますね。

赤見:残念ながら紀三井寺は1988年に廃止になってしまいました。

雑賀:調教師を2年3ヵ月やって、廃止になりました。その時は本当に寂しかったですね。あの時は騎手学校の同期だった高崎の畠中正孝調教師を頼って、高崎に行こうということになったんです。畠中は赤見さんの師匠ですよね。いろいろ手配してくれて、入る厩舎も決まったんですよ。紀三井寺は3月に終わったんですけど、その前の2月に境町トレセンを見に行ったら、まあ寒くて寒くて…。嫁さん連れて行ったんですけど、調教スタンドに座って調教見たらとにかく寒いし、玄関のところで風が巻き上がっていて。嫁さんが、「(暖かい)高知いこ!」って言いだしたんです。関東で競馬したいっていう気持ちもあったのですけど、嫁さんが高知出身だったもんでね。

赤見:暖かさで決めたんですね(笑)。確かに高崎の風は寒いですから。でも、結果的によかったですね。

雑賀:そうですね。でも高知も危ないところだったんですよ。廃止寸前までいって。ちょうどたまたまその時に調教師会長をやってたもんで、テレビのニュースで検討委員会ができるというのをやっているのを見て、「これはいかん」と、すぐ署名活動をしたんです。全国に署名用紙を送って、たくさんの方々に協力していただきました。

赤見:動きが速かったですよね。

雑賀:1回目の検討委員会の前に動いたんです。その時、高知は話のわかる橋本大二郎さんが知事で。こんなに関係者が多いのか、って。それで、第一回の検討委員会から、廃止ではなく存続でいこうという方針になったんです。流れが変わったんですよね。

赤見:存続したことは本当に良かったですし、ここまで盛り返すとは…。今は売上も多いですし、賞金も上がりましたね。

雑賀:やっぱりナイターですよ。早くから言ってたんですけどお金がなかったから。でもたまたまチャンスがあったんです。NARの方針でお金を出してもらえることになって、その時高知には6000万円しかなかったんですけど、その倍を出してもらってナイターができたんです。

赤見:それまでは結構な資金がないとナイターはできないと言われていた中で、高知は低予算でもできるということを証明してくれました。

雑賀:そうですね。乗り役もいろいろ意見を出してくれて、低予算の中でも安全面を考えた施設になりました。あとは、開催日もいろいろ変えて、一番売れる日を模索したり。主催者が恥もなにも考えず、本当にがむしゃらになってくれたお陰です。関係者も我慢しましたけど、でも主催者がなりふり構わず動いてくれた。そこが他所とは違ったと思いますね。

赤見:好景気に沸く高知競馬場で、雑賀先生は勝ち星もすごいですが、ジョッキーも育てていますよね。現在所属は4人です。

雑賀:なんでかわからないですけど、4人いますね(笑)。最初は永森大智で。今はトップになりましたけど、あいつは這い上がって来たんですよ。わたしは初めはあんまり助けないんです。自分で考えて、ある程度のところまで育ってこないと。勝つっていう意識を強く持てとは言うんですけど、それ以外は言わないです。永森も、認めるまではいい馬には他の乗り役を乗せていました。でも、3年くらい前かな?たまたまチャンスがあって乗せた馬で、わたしの想像以上の勝ち方をして。「お、だいぶ乗れるようになったな」と。そこから少し手を差し伸べたら、リーディングになってくれました。

赤見:永森騎手は、「雑賀先生に褒められるとすごく嬉しい」と仰っていましたし、師匠と弟子のいい関係ですね。

雑賀:まぁ今の時代は環境的に育てるというのは難しいですけどね。わたしは這い上がってきたら手を差し伸べますけど、そこまではほっときますから。下の3人(岡村卓弥騎手、松木大地騎手、塚本雄大騎手)も含め、みんなで一緒にご飯を食べる時があるんですけど、「永森がもし乗れない時には、次は岡村、お前だぞ」って。「いつでも永森の替わりになれるよう努力しとけ」って言ってます。岡村が乗れない時には次は松木、塚本、と。ただ、さっきも言いましたけど、自分で這い上がってこない限りは手を差し伸べるつもりはありません。

赤見:管理馬の中で特に期待しているのはどの馬ですか?

雑賀:そうですね、今はカッサイかな。前走の建依別賞で重賞2勝目を挙げてくれたんですけど、園田FCスプリントも2年連続で2着に来てくれて。スピードがあるし、何より大人しいんです。兄弟は気性が難しいらしいけど、本当に性格が大人しいので、遠征でもしっかり結果を出せるんじゃないかと思います。また秋以降が楽しみですね。

カッサイ

重賞2勝目を挙げたカッサイ(写真は2017年6月29日・園田FCスプリント出走時)


赤見:地方競馬の勝利数日本記録を更新し、数々の重賞を勝ち、リーディングジョッキーも育てました。これからの目標は何ですか?

雑賀:わたしの後を継げる人間をもう一人作りたいですね。兵庫で息子(伸一郎氏)が調教師をしているので、高知でももう一人調教師にしたいです。自分自身の目標は、死ぬまで現役でやりたいです!

常石勝義
1977年8月2日生まれ、大阪府出身。96年3月にJRAで騎手デビュー。「花の12期生」福永祐一、和田竜二らが同期。同月10日タニノレセプションで初勝利を挙げ、デビュー5か月で12勝をマーク。しかし同年8月の落馬事故で意識不明に。その後奇跡的な回復で復帰し、03年には中山GJでGI制覇(ビッグテースト)。 04年8月28日の豊国JS(小倉)で再び落馬。復帰を目指してリハビリを行っていたが、07年2月28日付で引退。現在は栗東トレセンを中心に取材活動を行っているほか、えふえむ草津(785MHz)の『常石勝義のお馬塾』(毎週金曜日17:30〜)に出演中。

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