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オーストラリアで記録的な熱波、馬16頭が輸送中に亡くなる事故

  • 2018年02月14日(水) 12時00分


◆猛暑が予想される東京オリンピックの対策が気になる

 オーストラリアで1月末に発生した、ポロ競技用の馬16頭が輸送中に亡くなるという痛ましい事故に、捜査当局の手が入ったことが明らかになった。2月8日付けで地元メディアが一斉に報じたものだ。

 オーストラリア南東部に位置するタスマニア島の、ブリッドポートにあるバーンブーグル・ポロクラブで、1月20日に開催されたポロ・トーナメントに出場した、ニューサウスウェールズ州にあるウィロ・ポロ・クラブに所属する16頭は、1月28日にフェリーの「スピリッツ・オヴ・タスマニア号」に乗船。翌日に目的地のメルボルンに到着した段階で、馬運車に積まれたまま乗船していた16頭全てが死んでいることが確認されたものだ。16頭の死因や、行程のどの段階で死んだのかなど、詳細は現段階で不明である。

 30日の段階で、一報を受けたオーストラリア沿岸安全局(AMSA)が、船の実況見分を行ったが、「スピリッツ・オヴ・タスマニア号」の装備が、動物の輸送を行う際に求められている基準を満たしたものであり、なおかつ、同フェリーの運営会社であるTTライン社による運航手順にも、問題はなかったことが確認されている。現在では、タスマニアの水産環境庁(DPIPWE)が主導して捜査が進められており、AMSAがこれに協力する体制が出来上がっている他、ヴィクトリア州とニューサウスウェールズ州の獣医師会が全面的にサポートすることになっている。

 TTライン社によると、安全および警備上の観点から、事前に申請があり認可されていた場合を除いて、航行中に旅客が動物たちのいるエリアに入り込むことは禁じられているという。この日は事前申請がなく、したがって航行中には人の出入りがなかったことが、死因や死亡時期の特定を難しくしている模様だ。関係者によると、16頭が積まれた馬運車が、タスマニアで開催されるポロ・トーナメントに出場する馬の輸送に使用されたのは、これが11回目のことで、これまでは大きな問題は起きていなかったという。ウィロ・ポロ・クラブの関係者は、捜査中ゆえ詳細についてはコメントできないとしながらも、いったい何が起きたのか、詳細が一刻も早く判明して欲しいと語っている。

 事件は、オーストラリアの馬術界全体に、大きな波紋を投げかけている。ポロのオーストラリア代表チームの元キャプテンで、現在はコーチをしているアンドリュー・ウィリアムス氏は、メディアの取材に答え、「ニュースを聞いて心が震え、ひどい衝撃を受けています。何とコメントしたらよいものか、いまだに言葉を探している状態です」とコメント。また、ウィリアム氏の補佐役を務めるポール・バンクス氏は、詳しい情報を得ているわけではないと前置きした上で、地元紙のインタビューにこう答えている。「あの馬運車は非常に優れたデザインがなされており、車内の換気が充分になされるように設計されています。馬運車が積載された後の、船の換気がどうだったか、その点を私は危惧しています」

 また、別の関係者によれば、フェリーがメルボルンに到着した際には、馬たちは生きていたとの証言もあり、到着から1時間が経過した辺りで、馬たちの様子が急変したとの情報も流れている。何頭かの遺体が保存されているヤラグレンのワッガ動物病院では、死因を特定するため、遺体の解剖が行われたとの報道もあるが、当局からの公式な発表はなされていない。

 タスマニアを含めたオーストラリア南部はこの夏、130年ぶりという記録的な熱波に襲われており、1月7日にはシドニーで47.3度という、1939年以来となる最高気温をマークしている。野生動物の生態にも大きな影響が出ており、シドニー近くのキャンベルタウンでは、「フライングフォックス(空飛ぶキツネ)」と称されるオオコウモリ3000匹あまりが死んだという報告もなされている。動物保護団体では、コアラの保護対策にも乗り出している。そんな中、ザ・オーストラリアン紙の報道によれば、馬たちを乗せたフェリーが運航された1月29日の前夜、タスマニアでもこの夏最高の気温を記録したとされており、熱波が馬たちの体力を奪っていた可能性が指摘されている。 

 きわめて悲惨な事件だけに、真相の解明が待たれるところだ。それと同時に、猛暑の中での開催が予想される、東京オリンピックに出場する馬たちに、どのような熱さ対策が用意されているのか、おおいに気になるところである。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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