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陣営の苦闘にノンコノユメ自身が答えを出した/フェブラリーS

  • 2018年02月19日(月) 18時00分


◆種牡馬にはなれなくても、未来展望の幅が広がった

 6歳ノンコノユメ(父トワイニング)の強烈な末脚爆発。セン馬になったあとしばらく雌伏期間があったが、とうとう念願のビッグタイトル奪取に成功した。

 ノンコノユメは2016年の2着馬(スランプ期間だった昨年は7着)。2着した5歳ゴールドドリーム(父ゴールドアリュール)は、昨2017年の勝ち馬。あと一歩の3着だった8歳インカンテーション(父シニスターミニスター)は、2015年の2着馬(2度の骨折後で順調ではなかった2017年は13着)である。

「レベルの高い馬がそろった好カード」の前評判にふさわしいチャンピオンシップとなり、上位3頭はみんなすでにフェブラリーSで快走した実力馬ばかりだった。

重賞レース回顧

「レベルの高い馬がそろった好カード」はノンコノユメの勝利(撮影:下野雄規)


 4歳夏の帝王賞2着のあと去勢されてセン馬となったノンコノユメには、去勢したことに対してさまざまな見方や意見があったとされるが、オーナーも、調教師も、関わる人々みんなが、もっとも去勢という手段など取りたくない人々であり、それでも去勢に踏み切らざるをえなかった立場に置かれたみんなの苦闘に、ノンコノユメ自身が答えを出したのがこのフェブラリーSだったかもしれない。

 しだいに激しい気性を抑えられなくなったノンコノユメは、世話をし、手がけるスタッフに飛びかかりかねないほどだったといわれる。まともな状態で調教ができず、かつ、レースにも出走できないようになると、ノンコノユメに未来はなくなる。種牡馬への道はあるようでいて、実際にそんな道はない。生産界が、種牡馬入りを歓迎してくれるかどうかである。GIを勝っているとか、GIIを2勝だとか、そういうことは実は関係ない。

 仮に、多大な困難を承知で種牡馬としたところで、配合相手がいて、種牡馬として成功するのは「競走成績や、性格、血統背景…」から非常に可能性の少ない未来展望であり、3〜4年で種牡馬失格(交配なし)となったら、間違いなく悲しい用途変更である。

 なんとかなる、と種牡馬登録されていた幻に近い種牡馬が200頭前後もいた1990年当時(種牡馬登録数は800頭近くにも達していた)とは異なり、時代は変わって現在の日本の種牡馬数は、実働馬を中心に260〜270頭である。

 ノンコノユメは、去勢が成功だったのかどうかは別にして、手がけるスタッフでさえ手に余るような荒い気性が軽減された。ましてGI馬となったことで、種牡馬にはなれなくても、2年前よりは未来展望の幅が広がったと思いたい。

 後方に控えたのは、レース前からの作戦通り。ちょっと出負けした人気のゴールドドリーム(R.ムーア)が少し仕掛けて進出し、すぐ前方に位置してくれたのも、マークしていた印象が残ったくらい有利なポジションだった(結果的に)。道中、内田博幸騎手は前回の騎乗でノンコノユメの最大の長所を理解していたから、後方3〜4番手追走になってもまったく動じることなく、早めにスパートしたゴールドドリームに直線に向いたところでは5馬身近くも離されたが、本気で追い出したのはそこからだった。ゴール寸前の、勝利をアピールする大きな弧を描いたムチも前回と同じだった。

 1番人気のゴールドドリームは、このレースに関すれば、結果的に一気にスパートして先頭に立つのが早かったことになるが、欧州スタイルのトップジョッキーは、デットーリもそうだが、待って瞬発力を引き出す手法は取らない。ふだんがそういう芝ではない。

 今回のフェブラリーSは、予想以上に馬場の回復が進んだダートの良馬場。包まれるのを嫌った内枠の先行タイプが飛ばし、前後半の半マイルの差が4秒4もある「45秒8-50秒2」の厳しいハイペースになり、前半1000m通過は58秒3だった。追い込んだゴールドドリームでさえ推定「46秒3-48秒7」=1分36秒0の著しい前傾バランスになってしまったくらいだから、動いてゴール寸前に危なくなったのは仕方がないのである。決してマークしていたわけではないが、ゴールドドリームを見ながらレースのできたノンコノユメ向きの流れだった。

 それを考えると好位で厳しいペースに半分乗りながら一旦は2着もありそうな小差3着した8歳インカンテーションは立派。フェブラリーSではめったに好走できないベテラン8歳馬だが、骨折のため5〜6歳時にほとんどレースをしていない同馬は、まだまだ元気いっぱい。また、今季は絶好調に近かった。

 失速して12着に沈んだテイエムジンソク(父クロフネ)は、あふれるスピードを生かした強気な先行策でここまで駆けあがってきた馬だから、さすがに今回は仕方がない。競ったわけではなく、なんとかなだめつつ好位で我慢したが、それでも「58秒5-39秒4」=1分37秒9。モロに猛ペース追走の形になってしまった。今回は初コースの東京で、それも初めての1600mがこんなきつい流れになっては、「一転、差して快走」の形にでもならないかぎり、上位争いはムリだった。テイエムジンソクと、夏の札幌ダート1700mで1分40秒9〜1分41秒0の日本レコード争いを制したロンドンタウン(父カネヒキリ)も、テイエムジンソクとともに失速して凡走だった。

 良馬場のため、勝ち時計の1分36秒0は平凡だが、上位を過去のフェブラリーS好走馬が独占したあたり、東京1600mの厳しい流れに慣れていない馬には、あまりにもつらいレースになってしまった。

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1948年、長野県出身、早稲田大卒。1973年に日刊競馬に入社。UHFテレビ競馬中継解説者時代から、長年に渡って独自のスタンスと多様な角度からレースを推理し、競馬を語り続ける。netkeiba.com、競馬総合チャンネルでは、土曜メインレース展望(金曜18時)、日曜メインレース展望(土曜18時)、重賞レース回顧(月曜18時)の執筆を担当。

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