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【追悼】94年天皇賞馬・ネーハイシーザー 代表と迎えた最期の時間

  • 2018年03月06日(火) 18時00分
第二のストーリー

▲たくさんの花で囲まれたネーハイシーザーの馬房(提供:荒木牧場)


好物をあげながら「よく頑張ったね」


 2月26日、1994年の秋の天皇賞馬・ネーハイシーザーが天に召された。享年28歳(満年齢では27歳)だった。

 ネーハイシーザーを当コラムで取り上げたのは、昨年の12月。執筆にあたり血統や成績、エピソードなど改めて調べ直し、菊花賞では心房細動を起こして大差の殿でゴールしたこと、5歳秋、毎日王冠で自身が4歳時に中日スポーツ賞4歳Sで記録した日本レコードを更新し、続く秋の天皇賞ではセキテイリュウオーとの接戦を制して優勝と、この時期が1番充実していたこと、1997年に北海道浦河町の日高スタリオンステーションで種牡馬になり、初年度種付け料無料で人気を呼んで、その年83頭の繁殖牝馬を集めて話題になったことなど、当時の報道や記憶が甦ってきて、勝手に身近な存在に感じるようになっていた。

 ネーハイシーザーの終の棲家となったのは、北海道新ひだか町にある荒木牧場だが、そこに至るまでは紆余曲折があった。初年度こそ種付け料無料が功を奏して多くの牝馬と交配したが、翌年に50万円の種付け料が設定されると種付け申し込みは激減。一時的に盛り返したが、2004年にはとうとう種付け頭数が0頭となり、種牡馬引退を余儀なくされた。種牡馬引退後は、BTCの功労馬助成金(現ジャパン・スタッドブック・インターナショナルの引退名馬繋養展示事業)を受けて余生を過ごしていたが、2012年から月額3万円から2万円に助成金が減額されることが発表され、それまでの繋養先での飼養が困難となり、2011年11月に荒木牧場に移動している。

 荒木牧場代表の荒木貴宏さんによると、次の預託先がみつかるまでの緊急避難的な受け入れだったという。だが荒木牧場には既に、ブライアンズロマンやエスケープハッチ、トーシンブリザードが暮らしており、その馬たちに会いにくるファンの間からネーハイシーザーをこのまま繋養してほしいという声が挙がった。荒木さんはその声に後押しされるように、荒木牧場功労馬サポーターズを設立。月額1口2000円でネーハイシーザーを支援する会員を募ることとなった。

第二のストーリー

▲ファンの声、荒木さんの行動がネーハイシーザーを荒木牧場に留まらせた(提供:荒木牧場)


 こうして新天地での生活が始まったわけだが

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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