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中野省吾の、いま

  • 2018年05月22日(火) 18時00分


◆「騎手をやめた翌日から、ずっと楽しい」

 昨年のスーパージョッキーズトライアルでは、初出場ながら全4戦で3勝2着1回という圧倒的な成績で優勝、JRA札幌のワールドオールスタージョッキーズに地方代表として出場した中野省吾。その名は、一躍全国に知られることとなった。しかし制裁が多かったことで騎手免許は更新されず、この3月限りで一旦ムチを置いた。2009年にデビューして騎手として9年。いま26歳。まさにこれからというときに騎手をやめざるをえなかった中野省吾がいま思うこと、そしてこれからを聞いた。

喜怒哀楽

「お久しぶりです!」

 インタビューの場所に指定したワイン居酒屋に現れた中野省吾に、騎手免許が更新されずに落ち込んでいるという様子は微塵も感じられなかった。

「騎手をやめた翌日から、ずっと楽しい。日々成長できていますし、前に進んでます。日々、起こることが衝撃的すぎて、毎日が刺激的で怖いくらいです」

 ともすれば天国から地獄という状況だが、むしろ中野は、それを楽しんでいるようでもある。なぜそれほどポジティブになれるのか。騎手免許が更新されないと聞いたとき、ショックではなかったのだろうか。それとも制裁が多かったことは自覚していたはずで、ある程度は覚悟していたのだろうか。

「両方ですね。『(免許更新の面接で)暴言を吐いたんだろう』って言う人もいますけど、そんなことはないです。荒れたのは1回だけです。レース中に(自分の腕を噛みつきにきた)馬の顔面をムチで叩いて呼ばれたときだけ。それ以外にはないです。ぼくはそんなにキレるほうでもないし」

 あらためて、初出場で優勝したスーパージョッキーズトライアル(SJT)と、ワールドオールスタージョッキーズ(WASJ)を振り返ってもらった。

「(SJTでの)4戦3勝は、理由があってそうなってるんで、今乗ってない自分でも再現できるような気がして、ゾクゾクしますね。(第1ステージの)盛岡から(第2ステージの)園田の間、(南関東でも)ずっと調子がよかったのは数字にも出ています。(WASJの)札幌は、燃え尽き症候群じゃないですけど、常に波はあって、一番いいときとは何か違うなというのはありました。何か違うと思って、それを直そうとすると、違う方向に行ってしまう、そういうときがあるんです。

 ただ、完璧にできないのも自分だと思ってるし、それも自分らしいなと思いますね。SJTとWASJの経験は、今のぼくすらもつくってると思います。騎手をやめることになってもこうして注目してもらえるのは、それがあったからというのはあると思います」

 騎手免許が更新されなかったのは、1年間に制裁が15回あったことがその原因として報道された。競馬で“制裁”というと、レース中の進路妨害による騎乗停止などがまず思い浮かぶが、中野の場合はレース以外での制裁が多かったようだ。

「後輩が、ある出来事で主催者から責められてる場面に遭遇したんです。でもそういうことはほかにもやってる人がいて、責めるヤツはほかにもいるだろうと、それを指摘したんです。そうしたらぼくが吊るし上げられちゃって。実際、ヘンな正義感を振りかざしちゃったこともあるんで、それはしょうがないです。ただ後輩を助けられたということはあるんで、納得はしてます。何なんでしょうね。小さい頃、ウルトラマンの見過ぎで、ヘンな正義感はあったんですよ」

 そして騎手免許が更新されないことが決まったあと、開催中に調整ルームから外出して10日間の騎乗停止を受けるという出来事もあった。

「調整ルームのことにしても、厳しくなった携帯電話のことにしても、グレーゾーンが多すぎたんです。どこまでよくて、どこからダメというのがよくわからない。人によっては全てにおいて見て見ぬフリ。もういいかなって心境もあったし、他にルームにいない人もいるしと思い部屋掃除に行ったらそうなった」

 ただ一般社会にもそうしたグレーゾーンというのはたくさんあり、その中でうまくやっていくのが普通だ。まして南関東で上位を争うようになり、全国に名を知られる存在にもなればなおさらだと思うのだが。

「そうですよね、普通の人なら。でも、それができないんですよ。それでも最後に(大井で)1日だけ乗れたぼくがカッコイイと思っています(笑)」

(つづく。次回は後半、中野省吾のこれからを聞いた)

1964年生まれ。グリーンチャンネル『地・中・海ケイバモード』解説。NAR公式サイト『ウェブハロン』、『優駿』、『週刊競馬ブック』等で記事を執筆。ドバイ、ブリーダーズC、シンガポール、香港などの国際レースにも毎年足を運ぶ。

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