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【地方ノンフィクション】(2)廃止から13年 森泰斗騎手の証言「あのとき宇都宮競馬が続いてくれていたら」

  • 2018年06月05日(火) 18時02分
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▲南関東のトップとして活躍する森泰斗騎手が、北関東時代を語る (撮影:武田明彦)


現在、地方競馬はダービーシリーズの真っ只中。5/27の九州ダービーを皮切りに、明日6/6には東京ダービーが行われる。馬券のネット販売の力もあって、経営状況が軒並み上向きとなった地方競馬。しかし、その明るい日差しの陰に、つらい歴史をたどったいくつもの競馬場の存在がある。

2005年に廃止となった栃木県競馬。現在、南関東・金沢・笠松でレース実況を担当する大川充夫アナウンサーは、その地で始めての場内実況の職に携わり、以来、2005年3月の宇都宮競馬廃止まで、そのすべてを見届けてきた。

「廃止から13年が経過し、栃木県に競馬があったことや、地方競馬のトップで活躍する騎手や調教師が栃木県競馬出身である事実を知らない方も増えてきた」。廃止10年をきっかけに、大川アナが元関係者たちから聞き集めてきた真実。今回は森泰斗騎手(船橋)の証言。今なお北関東時代を懐かしむという、知られざる胸の内とは。

(取材・文=大川充夫)


※本企画は6/4〜6/6の3日間連続でお届けします。

「足利がなくなっても宇都宮がある」最初は悲観的ではなかった


 2014年のある日。騎手・森泰斗は、ある古い競馬新聞を捨てた。そのとき森は、自身初の南関東総合リーディングの座を目前にしていた。

 捨てた古い専門紙の日付は、2004年の春先。10年前、北関東で競馬がおこなわれた最終年度のものであった。

 森はその専門紙を10年間、大切に保存してきた。

 その紙面を見ると、リーディングジョッキー表の一番上に、森泰斗の名前がある。2004年当時24歳の森は、デビュー7年目にして初めて、並みいるベテランジョッキーをしのぎ、リーディングトップに躍り出たのだ。それは数日間しか保てなかった座ではあったが、森にとっては実に誇らしい記憶であり記録だった。

「自分は、あの先輩たちの中でトップに立ったことがある」

 森はそのことを決して忘れない。しかし今、自分は南関東リーディングとして1年を終わろうとしている。年間リーディングに輝こうとしている。

「これを持ってちゃダメな気がしたんですよね」

 森にとって、栄光は過去のモノではなく、現在、そして将来にわたって自分がつかみとっていくモノになったのだ。

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▲北関東時代の森泰斗騎手 (提供:M.N.様)


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▲デビュー7年目には、リーディングを獲得するほど活躍した (提供:M.N.様)


 森泰斗は1998年に足利競馬所属で騎手デビューした。初年度から28勝をあげる活躍を見せたが、2年目に突如騎手を辞める。

「親の反対を振り切って、家出同然で」なった騎手という職業をなげうったのだから、それなりに覚悟はあったはずだが、世間は甘くなかった。

 パチンコ店でのアルバイトなどを経験したが、

「ダメでした。自分は世間で全く通用しなかった。自分で生活していけると思っていたんですけど、ダメでした」

 森は当時19歳。競馬サークル外の厳しさを痛感し、また、競馬への思いを断ち切れず、あらためて足利競馬場へ戻ってきた。騎手を辞めていた期間は、1年間以上。全国リーディングジョッキー森泰斗の成績表に、2000年の欄は、ない。

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▲競馬学校時代から腕の良さが評判だった森泰斗騎手、2年目に突如騎手を辞めてしまう (提供:森泰斗騎手)


 復帰後の森は、年々勝ち星を増やしていったのだが、デビューから数えて5年目の2002年度末(2003年3月)を最後に、所属の足利競馬が廃止となってしまう。22歳のときである。

 所属場が廃止になった当時を思い出して、森はこう語る。

「あんまり悲観的には思っていなかったですね。足利がなくなってもまだ宇都宮があるし。元々、足利の開催は少なかったし」

 栃木県内の競馬事情は、宇都宮のほうが足利より比重が大きかった。森がデビューした1998年度の開催数は、宇都宮18開催に対して足利8開催。森たち足利所属騎手や足利所属馬の主戦場は、足利競馬廃止の前から宇都宮だった。この状況では、

「足利がなくなっても、宇都宮さえ存続すれば…」

 と考える者がいたのも無理はない。

 足利競馬廃止後の厩舎内では、「宇都宮競馬は廃止にならない」という意見が大勢を占めていたという。

「競馬場廃止で関係者に支払う補償金は莫大だ。そんなカネ払えっこないんだから、宇都宮廃止はありえない」

 そうした「周りの大人たちによる『宇都宮存続説』」を、当時の森は素直に聞いた。

「ボクも子どもだったし、ホントにバカだったんでしょうけど、そういう話を鵜呑みにしてました。

 選挙の時期になると、『宇都宮だけは絶対残します!』って、票が欲しいだけの候補者みたいなのが来て言うわけですよ。ああ、このひとについて行けば大丈夫なのかなあ、とかすぐ騙されて。結局、何の力にもならなかったですけどね」

 2004年度、宇都宮競馬最後のシーズン。森はデビュー7年目、24歳。

 宇都宮最後の1年を振り返って、森は言う。

「廃止になるっていう実感は全くなかったですね。廃止が正式に発表されても。本当です。3月14日の、廃止当日の最後のセレモニーのときに、『ホントにこれは終わるんだな』って、そのとき初めて思いました」

 実際には、森は2005年3月14日の宇都宮競馬開催最終日を待たずして、船橋への移籍が内定している。

 しかし、廃止を現実のものとして受け入れるのは難しい。それまで過ごしてきた生活の場が、生きる糧を得てきた場が、ある日をもって存在しなくなるという強烈な非日常。

「最後の日まで、ホントに終わるのかなっていうのは、現実としては全くわからなかった。何なんでしょうね? そういう感じは。自分でもわからないです」

 数多くの人間がそこで暮らしてきた。たくさんの家族がそこで生活してきた。彼らは大急ぎで、次の仕事場を、生活の糧を得るすべを、探さなくてはならない。

 このまま競馬界にとどまるか。だとすれば移籍先はどう探すか。

 競馬をあきらめるか。競馬だけをしてきた自分に職は見つかるか。

 競馬にたずさわった全ての人々が、一斉に同じ問題を、それぞれに解決しなくてはならなくなった。

 森は、廃止をキッカケに競馬を辞めようとは、全く思わなかった。

「いっぺん辞めたときに、ほかの仕事が何もできなかったので。ジョッキーをやることが、一番の、ちゃんと生きていける道だと思いました」

 もしもデビュー2年目に厩舎を飛び出さなければ、このとき騎手・森泰斗は引退していたかもしれない。

 森が辞めていれば、現在、南関東の騎手勢力図はまるで違うものとなり、全国リーディングあらそいも違う者が主役をつとめただろう。

 2017年、森がついに東京ダービーのタイトルをとるにいたったのは、若き日の彼がヤンチャ坊主であり、ガマンせずにあっさりドロップアウトしたからだと言える。

 森は初め、佐賀へ移籍しようと考えた。

 南関東で勝負したい気持ちはもちろんあるが、自信がない。レベルの高いところで苦労するくらいなら…と、南関東を敬遠するような気持ちでいたところ、親の大反対をうけた。森は千葉県出身で、親御さんにしてみれば、佐賀県は遠すぎる。

 騎手を辞めていた1年間、父親には騎手を辞めたことを隠し、生活援助までしてくれた母親に、森は頭が上がらない。

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▲騎手を辞めていた間もサポートを続けてくれたという母親(左)と (提供:森泰斗騎手)


 栃木の松代仁調教師の紹介を受け、船橋の松代眞厩舎への移籍が内定したのは1月。宇都宮最後の日の、わずか2か月前だった。

 10年後、森はそこでトップに上り詰めた。

 移籍にあたり、この日がくることを想像しただろうか?

「そんなわけないじゃないですか。北関東から出てきて、全く無名で。それを認めちゃダメだ、やっていけるハズだって自分に言い聞かせてたように思います。でも心の底では、難しいって思ってた」

 南関東トップジョッキーの毎日は忙しい。毎日休むことなくレースに騎乗し、レースのない日も牧場まわりや馬主との会食など、まさに「仕事しかしていない」状態だ。(※森騎手は5月25日の落馬負傷により、現在は休養中です)

 自分の勝ち取ったトップの座にすわりながら、今なお森は北関東時代を懐かしむ。森は今でも、あのとき宇都宮競馬が続いてくれていたら、と想像することがあるのだという。北関東競馬出身者で最も成功した森泰斗がである。

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▲活躍の場を南関東に変えて (提供:森泰斗騎手)


「北関東では、生活はやっぱり厳しかったですよ。お金は稼げなかったですね。でも小さい競馬場で、勝ったって負けたって、そんなに収入に差があるわけじゃないし、みんな仲は良かったですね。適当に時間があって、趣味で出かけたりもできた。幸せの基準をどこにおくかっていう話なんでしょうけど」

 2015年夏、森は、地方競馬の騎手学校にあたる地方競馬教養センターに特別講師として招聘された。

 騎手候補生たちへ贈る言葉を…と請われて、森はしみじみとした口調でこう語った。

「ファンは大切にしないとね。お客さんがこないと、競馬場ってつぶれるからね…」

 森泰斗にとって競馬場の廃止とは、そういうことなのだ。

(文中敬称略、次回へつづく)

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