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うらかわ優駿ビレッジAERU 今なお元気一杯の28歳のダービー馬(1)

  • 2018年07月10日(火) 18時00分
第二のストーリー

▲2007年、東京競馬場グランドオープン記念で北海道からやってきたウイニングチケット(撮影:下野雄規)


世代の主役、第60代ダービー馬


 ヒシマサル、ダイユウサク、ニッポーテイオー。うらかわ優駿ビレッジAERUで余生を過ごして天寿を全うした名馬たちの素顔を3週に渡って紹介してきた。3頭亡きあと、現在は1993年の日本ダービー(G1)に優勝したウイニングチケット(セン28)と2007年の高松宮記念(G1)を制したスズカフェニックス(セン16)が功労馬として暮らしている。
 
 ウイニングチケットは1990年3月21日に生まれ、生産は北海道静内町(現・新ひだか町)の藤原牧場。父はトニービン、母パワフルレディ、母父はマルゼンスキーという血統で、1960年のオークス、有馬記念に優勝した名牝スターロッチが3代母にあたる。皐月賞馬ハードバージ、秋の天皇賞馬サクラユタカオー、皐月賞、菊花賞に優勝したサクラスターオーほかターフを賑わせた名馬を多数輩出した名門の牝系でもある。

 京都府で太田医院を開業していた故・太田美實氏の所有馬となったウイニングチケットは、栗東の伊藤雄二厩舎から1992年9月6日の函館で柴田政人騎手騎乗でデビュー。初戦は5着と敗れるも、連闘で臨んだ新馬戦で横山典弘騎手が乗って初勝利を挙げた。3か月の休みを挟んで12月6日に中山競馬場の葉牡丹賞(500万下・田中勝春騎手)、12月27日の中山のホープフルS(OP・以降、翌年の有馬記念まで柴田政人騎手)と連勝。明け4歳初戦となった中山の弥生賞(G2)でも優勝して1番人気で皐月賞(G1)を迎えたが、ナリタタイシンの4着と敗れる。日本ダービーでは再び1番人気に推されたウイニングチケットは、19回目の挑戦でダービー制覇を狙う鞍上の気迫と相まって、粘るビワハヤヒデ、追いすがるナリタタイシンを抑えて先頭でゴール。柴田政人騎手は悲願ともいえるダービージョッキーとなり、レース後のインタビューで「私が第60回日本ダービーに勝った柴田政人だと世界中のホースマンに伝えたい」という名言を残している。

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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