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ステージ4の宣告「もう馬には乗れへんな」と覚悟した ――ガンと闘っている大下智元騎手インタビュー(第2回)【無料公開】

  • 2018年07月26日(木) 18時02分
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▲「競馬ファンだけでなく病気の人にも届いてほしい」全編無料の特別インタビュー


日本ダービー当日、京都競馬場でひっそりと引退レースを迎えた騎手がいる。大下智元騎手(32歳)。JRA通算17勝、11年間のうちJRA未勝利の年は4回を数えた。いっそのこと早々に引退してしまった方がラクだったかもしれない。それでも騎手でい続けることを選んだ彼を突然、ガンが襲った。ステージ4の甲状腺ガンは体を蝕み、手術により視力と声を失うかもしれないと宣告された。そんなどん底から「落ち込んでもしゃーない」と前を向き、レースに復帰、そして引退を迎えた。

「ネットでバッシングの嵐だった」という現役時代から闘病生活、そして騎手復帰を目指す過程をじっくり語っていただいた。「競馬ファンの方だけでなく、病気の人がちょっとでも元気が出たら」と本人たっての希望で全編無料でインタビューを公開します。(取材・構成:大恵陽子)


※インタビューは全3回、7/19、7/26、8/2に順次公開いたします(前回の記事はこちら)。

ガンはデビューの頃からあったかもしれない


──今年6月20日付で引退。それとほぼ同時にガンと闘っていたことが公表されました。お話できる範囲で結構ですので、教えていただけますか?

大下 去年の10月にガンが分かりました。最初はジョッキー健康診断の触診で「腫れている」って言われました。でも僕、以前から鼻炎やったり気管が弱くて咳も出たりするんで「その関係やろう」と思って放置していたんです。

 次の健康診断でも同じことを言われて「そういえば半年くらい前にも同じこと言われたな」と思って病院に行きました。組織を採って、検査の結果待ちをしていたら病院から電話があって「至急、お伝えしないといけないことがあります」と。その時点でなんとなく勘づきましたが、ステージ4の甲状腺ガンと宣告を受けました。

──ステージ4というとかなり進行してしまっていたのですね……。

大下 ステージ4ってもうアカンやん……って思いました。それまで自覚症状は特になかったんです。若い人はガンの進行が早いって聞きますが、甲状腺ガンは遅いみたいで、大きさと進行度合いから考えると10年くらい前に最初の小さいガンはあったんじゃないか、とお医者さんに言われました。いま32歳なので、デビューしてすぐになっていたかもしれないです。

 甲状腺内での転移は結構あったんですが、肺など他の臓器への転移がなかったことが一番良かったことだと思います。ただ、手術では神経も切らないといけないかもしれず、声がかすれて大声が出せないようになったり、目も見えづらくなる可能性があると言われました。特に目は、ほぼほぼ神経を切らないとダメだと言われたので、「もう馬には乗れへんな」って覚悟しました。

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▲「特に目は、ほぼほぼ神経を切らないとダメだと言われたので」


──健康診断がきっかけで突然ガンが発覚して、馬に乗れないかもしれないとなると、かなり驚かれたんじゃないですか?

大下 どこかしら冷静な自分がいて、「なったもんはしゃーない。落ち込んでいる場合じゃない」って思いました。母親や家族、友達、同期の方がショックを受けていました。病気のことは一部の人にしか言っていなかったんですが、みなさんのおかげでいろいろと支えてもらいました。人生において、そういう人たちとの繋がりが一番大事なんやなって思いました。

 でも、さすがに手術前日に「声と目は覚悟してください」と説明を聞くと、それまで検査のたびに何度も聞いていたことのはずなのに、「あ、やっぱそうなんや……」って夜は寝られなかったです。

──手術の結果はどうだったんですか?

大下 奇跡的にウルトラCで上手くいきました。お医者さんのおかげです。助けてもらった命なので、大事にしないとダメだなぁと思います。神経をかなり触ったので、まだ右目のまぶたは落ち気味ですが、幸い視力に大きな影響はありませんでした。声もだいぶ戻りました。

 お医者さんに「このまま回復したら馬も乗れると思いますよ」って言っていただいて、1度は諦めていたんですが頑張ろうかなって思いました。看護婦さんも僕の気持ちを察していたのか、部屋に来て「またがんばって馬に乗ってくださいね」って言ってくれる方もいて心強かったですね。

──手術後はまず何をしたいと思いましたか?

大下 美味しいご飯を食べたいなって思いましたね。食事制限もあったんで。馬よりもまずは普通の生活ができる喜びが大きかったです。手術の傷口が大きかったので半日くらい起き上がったらダメでしんどかったです。

 そこからちょっとずつ良くなって年末年始くらいに落ち着いてきました。「競馬に乗れるかも」と希望を抱いて、レースを見始めました。ジョッキーみんなそうなんですけど、特にお世話になっている先輩とか支えてくれた同期が活躍しているのを見ると、「ジョッキーっていい仕事なんやなぁ」って改めて感じました。

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▲「ジョッキーっていい仕事なんやなぁって改めて感じました」と大下元騎手


──そこから復帰までの道のりはどういったものだったのでしょうか?

大下 ヨード治療っていうのがあって、薬を飲んだり食事制限もあったので、復帰へ向けてはそれが終わってからやなって思いました。体力が落ちていたのでウォーキングから始めて、やっと4月はじめくらいから軽いジョギングをしました。すっごいデブにもなっていたんで(笑)。でも、体を動かしだすと自然と減ってきました。そのあたりから漠然と「このくらいの時期に乗れたら」って思うようになってきたんです。でもね、病気になったから引退ってわけではないんです。

(文中敬称略、次週へつづく)

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