◆長距離戦不用論を唱えるのは劣勢に置かれた側の人間の願望
菊花賞はもう良く知られているように「関西馬」の独占状態になっている。目下、関西所属馬の「16連勝」中であり、もう「13年連続」して関西馬のワン・ツーがつづいている。
関西も、関東もないではないか、といえばまったくその通りだが、実はこれこそ「真実のレベル差」をストレートに物語る一番の数字ではないのか、という面がある。
今週は凱旋門賞の前哨戦が行なわれるが、本番の凱旋門賞で日本馬はもう半世紀も前から挑戦しているが、あとちょっとで勝てない。
ゴール寸前で脚いろが鈍り交わされる形がつづいている。鍛え方の差、底力の違いをいわれるが、いわゆる強さの尺度を「スピード能力」に求め過ぎたからではないか、と考えることはできる。
菊花賞や、天皇賞(春)のシーズンになると長距離戦不用論や、もっと距離短縮方向に向かおうではないか、という声が出てくる。それには世界的な傾向ではないか、の理由が重なるが、その世界的な傾向というのは、「いかに巧みに商業ベースに乗るか」と、ほぼ同義である。2歳戦が早くなり、次つぎに回転が速まることが、より優れた高い能力のある馬を求める方向とは微妙に異なっているのと同じである。
サラブレッドは、その心肺機能や筋肉構成から、本質は「マイラーなのだ」とされるが、サラブレッドの歴史300余年。少なくとも最初はそうではなかった。レースが各国で発展するとともに、早めに世代が回転し、より効率良く進むように(生産の宿命)、徐々にそういうふうに変えてきたのは、実はわたしたち人間であることに気がつかなければならない。
戻って、菊花賞の関西馬を例に挙げたが、長距離戦不用論を唱えるのは、総じて劣勢に置かれた側の人間の願望(もっと短い距離なら差はないはずだ)に近いところがあり、サラブレッドがそう望んでいるわけではない。
勝っても菊花賞には向かわないような気がするところが、セントライト記念とするとちょっと切ないが、ここは断然人気でもレイエンダ(父キングカメハメハ)。前回の楽勝は最後の2ハロン推定「11秒2-11秒1」。まだ余力残しの状態で、余力十分の完勝だった。馬場も回復している。
相手本線は、距離はこなせるはずの西のギベオンと、相変わらず首の高い走法だが距離ベストと思える西のグレイル。タニノフランケルにはグングン飛ばして引っ張って欲しい。