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寺山修司と競馬を語り、前田長吉に思いを馳せ

  • 2018年09月27日(木) 12時00分


 9月22日、土曜日、青森県三沢市で行われた寺山修司アートカレッジ講演「寺山修司と競馬」で講師をつとめた。

 当日はあいにくの雨で、風も強かった。誰も来なかったらどうしようと心配していたのだが、複数の若い女性を含め、二十代から七十代とおぼしき人まで、けっこう集まってくれてほっとした。現在、青森県には競馬場がないこともあり、競馬場に行ったことがあるという人はごく一部だったが、なかには、拙著『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』を7回ぐらい読んだ、という人もいた。

 三沢のケーブルテレビ局と、地元紙「デーリー東北」三沢総局の総局長が取材に来てくれたので、それらしくなって、よかった。

 講演終了後、寺山修司記念館(https://www.terayamaworld.com/museum/)の企画展「寺山修司 不思議図書館」を見てきた。寺山の没後35周年を記念した特別企画の第2弾で、読書家だった寺山の膨大な蔵書を初めて一挙に公開する、というものだ。

 昔から、その人の本棚を見ればどういう人かわかる、と言われている。本棚に並べた蔵書を見せる展示なので、寺山がどんな作家のどんな作品に影響されて創作活動をつづけたのかに思いを巡らすことができる。

 ものすごい数の蔵書が展示されているなか、私の仕事場にもあるものは、カミュや太宰治、柳田国男の文庫数冊のほか、寺山の作品「馬染かつら」も所収されている『夢の蹄 馬をめぐるアンソロジー』だけだった。それでも、普段からインテリアの一部というか、日常のワンシーンに組み込まれている自分の本を、寺山修司の書棚のなかに見つけるというのは、企画展のタイトルではないが、とても不思議な感じがした。

 そのほかの競馬関連の書籍としては、かつてGIの直後、ターフビジョンに勝ち馬を讃える作品が映し出された詩人・志摩直人の『続・風はその背にたてがみに』、「優駿」にしばしば寄稿していた評論家・虫明亜呂無の『スポーツへの誘惑』『スポーツ人間学』などがあった。もし寺山が所蔵していた雑誌も展示されたとしたら、全体に占める「競馬率」はもっと高くなっていただろう。

 時間は前後するが、講演前日の朝、羽田から三沢に飛び、バスで八戸に移動した。

 そして、最年少ダービージョッキー・前田長吉(1923-1946)の兄の孫の前田貞直さんに会い、長吉の墓参りをした。

青森県八戸市是川の前田長吉の生家近くにある長吉の墓碑。


 これまで何度もここに来たことはあったが、彼岸に手を合わせることができたのは、今回が初めてだった。

 その後、貞直さんのお宅に伺い、長吉の遺品や、本家から貞直さんが見つけた新資料を見せてもらった。旧家に残された膨大な書類を丹念に整理し、長吉に関するものを見つけ出して大切に保管している貞直さんの努力には、いつも頭が下がる。

 今回初めて見せてもらった資料のなかに、貞直さんの父であり、長吉の甥にあたる前田長一(1928-2006)が、自分の父であり、長吉の長兄である前田長太郎(1902-1969)に宛てたハガキがあった。

長吉の甥の前田長一が、自分の父であり、長吉の兄である前田長太郎に宛てたハガキ2通。


 写真左のハガキ下部の「19.5.8」は「昭和19年5月8日」という意味だろう。

 この年、西暦でいうと1944年の4月、当時16歳だった前田長一は農兵隊入りし、天間林村(現在の七戸町北部)や上長苗代村(現在の八戸市北部)で軍隊と同じような集団生活をし、そこから是川の実家にこれらのハガキを送った。

 昨年8月19日にアップされた本稿「前田長吉の足跡を辿って」に、長吉が戦地に向けて出発した日付が記されているメモを写真付きで紹介した。そして、そのメモを書いたのは「長吉の長兄・長太郎か、甥の長一のどちらか」と記し、「このとき41歳で、長吉の親代わりのような存在だった長太郎が書いたものではないか」と推測したのだが、これらのハガキが見つかったことで、甥の長一が書いたものであることが明らかになった。

長一から長太郎へのハガキの文面。左のハガキに「長吉君の方から手紙がきましたか」とある。


 これらのハガキと照合することにより、昨年紹介したメモには、その日付の時点で長一しか知り得ないことが記されていることがわかった。また、筆跡も一致する。長一は3月生まれなので、現在なら高校2年生なのだが、しっかりした少年だったようだ。

 左のハガキの真ん中あたりに「長吉君の方から手紙がきましたか。又競馬は初まって居るのでせうかね(ママ)」とある。自身も農兵隊に駆り出されながら、長吉のことを案じている。叔父と甥とはいっても、長吉は長一より5歳しか上でなかった。

 太平洋戦争の戦況がかなり悪化していたこの年、競馬は能力検定競走として行われた。長吉が出場した春季東京能力検定競走は4月22日から6月18日まで、18日間実施された。

 長一が「競馬は始まっているか」と記したのは5月8日だった。その前日の5月7日、長吉はクリフジで横浜記念を6馬身差でレコード勝ちし、同馬の戦績を11戦11勝としていた。

 それがクリフジのラストランとなった。長吉にとっては、6月18日にヒメトリアで3着になったレースが最後の実戦となった――。

 都内は雨が降っている。

 これから日増しに寒くなる。北海道地震の被災地の人々には、一日も早く日常をとり戻してもらいたい。

 今週の火曜日、9月25日に、門別競馬場がデイ開催で競馬を再開させた。

 そして翌26日には、ホッカイドウ競馬などの馬券が買える「Aiba札幌駅前」がオープンした。

 大きな災害があるたびに競馬は存在意義を問われるが、レジャーから始まる復興というのも、特に馬産地の北海道では、あってもいいと思う。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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