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歴史を塗り替えた藤田菜七子騎手 最大の要因と来年直面するひとつの壁

  • 2018年10月01日(月) 18時01分
教えてノモケン

▲JRA女性最多勝記録を塗り替えた藤田菜七子騎手 (撮影:下野雄規)


 今年夏以降の競馬界は、騎手の記録に大きな関心が集まった。「大井の帝王」的場文男騎手(62)の地方最多勝記録更新を巡るニュースは、カウントダウンに入った7月後半以降、全国紙や全国ネットのテレビでも大きく扱われた。次いで中央唯一の現役女性騎手である藤田菜七子騎手(21、美浦・根本康広厩舎)のJRA女性最多勝記録が注目を浴び、9月29日には武豊騎手(49、栗東・フリー)が前人未踏のJRA通算4000勝を達成した。

 的場騎手も武豊騎手も、既に日本の競馬史に残る存在で、騎手生活の晩年を名誉に上乗せしているのだが、藤田騎手の場合は異なる。勝つこと自体が「ニュース」から「日常」に移っていく過程を、関係者とファンはリアルタイムで目撃しているのだ。他の騎手(=男性)なら全く注目されない「34勝」という数字への関心自体が、中央で女性騎手が味わってきた困難の結果と言える。

 しかし、藤田は思ったより早く、こうした段階を乗り越え、いち騎手として評価される地点に立とうとしている。8月25日に新潟で女性最多勝記録を更新した後、早々に4勝を重ね、記録の印象が早々に薄れつつあることの方が、意義深いとも言える。

安定感増し、芝中距離や新馬でも勝利


 2016年3月、中央では16年ぶりの女性騎手としてデビューした藤田は、初年度の10カ月で6勝し昨年が14勝。今年は3カ月を残した時点で19勝。数字だけ見ても、着実にステップアップしている。初年度の場合、5月末に東京で4勝目をあげた後、10月の東京開幕週まで勝てなかった。結局、年末の中山で1勝を加えて年を終えた。

 2年目の昨年も、振幅の多さは変わらなかったが、大きかったのは新潟が得意コースとして浮上した点だろう。5月のローカル開催で2勝し、8月の本場開催で4勝。秋にも2勝し、年間14勝中8勝を稼いだ。昨年を前後半に分けると、14勝中9勝は後半にあげており、今年の成績は昨年後半からの流れの延長線上にあると言える。

教えてノモケン

▲記録達成の舞台は8月25日、得意の新潟競馬場だった (撮影:下野雄規)


 今年の成績で目立つのは、勝てない週が短くなっている点だ。最も長くて5週で、3月1週から4月1週まで勝ち星が止まったが、6月以降は3週以上、止まったことがない。逆に、1日2勝も新潟で8月19日に記録したのに続き、9月15日には中山でも1日2勝。16、17年は9月の中山開催で1度も勝てなかった点を考慮すると、非常に価値は高い。

 勝ち星の内容を見ても、当初の2年はなかったアイテムが含まれていて目を引く。4月8日に福島芝2000mの未勝利戦をマルーンエンブレムで勝ったのが芝中距離での初勝利。同馬とのコンビで8月26日にも新潟芝2000mの500万条件一般戦を鮮やかに差し切った。

 また、9月15日の2勝のうち1勝は2歳新馬戦(ダート1200m)のハルサカエ(美浦・大竹正博厩舎)で、新馬戦初勝利だった。9月の中山開催は2場開催で有力騎手が集まる一方、頭数は少なめで、若手の騎乗機会が少ない傾向にある。こうした厳しい条件下で勝ち星をあげたことも、成長を裏付けている。

成長支える騎乗回数


 女性最多勝記録を更新した後、師匠の根本康広調教師(62)は、「2年半で1000レース以上も経験している点は大きい」と、騎乗回数の多さを成長の要因に挙げた。

 従来の女性騎手最多勝記録を持っていた増沢由貴子・現調教助手(40、旧姓牧原)は、1996年に中央で福永祐一(41)、和田竜二(41)や、既に引退した田村真来(41)、細江純子(43)の女性騎手2人と共にデビュー。34勝到達に8年余を要したが、騎乗回数は772回。藤田は2年半足らずの間に1036回騎乗してたどり着いた。

 勝率なら増沢元騎手の方が上だが、当初の3年の騎乗回数が、146→177→144と推移しており、機会には恵まれなかった。藤田は294→382→439(今年は9月末現在)と順調に増えている。今年は特に、6月の時点で地方交流戦での勝ち星を合算した数値が31に達し、一般競走での減量特典が2kgに縮小したが、その後も乗り馬の確保は順調で、勝ち星を伸ばしている効果が現れている。

 根本調教師は騎手時代の87年にメリーナイスで日本ダービーを優勝した人だが、20年の騎手生活で騎乗回数は2633回。当時は1レース当たりの出走頭数自体が少ない一方、騎手の数は多かった。

 現在は逆で、一定の技量のある減量騎手なら、機会を得られる環境にあるが、それを生かすも殺すも本人次第。勝率で言えば今の藤田は牧原元騎手より低いが、機会を生かし、負けを薬に成長しているのは確かだ。同期デビューの6人の中でも、勝ち星は菊沢一樹(21、美浦)を上回り、騎乗回数も1100回を超えて6人中4位に浮上した。少し前までは騎乗回数も勝利数も6人で最も少なかった点を思えば、勢いは明らかだ。

「1kg減の壁」どう超える?


 今後の課題としては、少し先の話になると思われるが、減量が現在の2kgから1kgに圧縮される時期だろう。6月に減量幅が3kgから2kgに縮小した際は、問題なくクリアした感があるが、根本調教師も「2kg減と1kg減では、勝負どころでの馬の動きが違う」と話す。

 藤田の同期でも、初年度に45勝をあげてJRA賞最多勝利新人騎手賞を受賞した木幡巧也(22、美浦)は、2年目に18勝と失速した。少なからぬ若手騎手が同様のパターンをたどっていて、この壁を越えられるかどうかが、藤田の今後を左右する試金石となる。藤田は現在、中央39勝に加え、地方交流競走で4勝しており計43勝。あと8勝で減量幅が1kgとなる。年内の到達は容易ではないが、来年前半にはこの壁に直面することになる。

 栗東所属の騎手の場合、「減量の切れ目が縁の切れ目」となる一方、3kg減を始め、減量特典のある騎手なら積極的に乗せる傾向が強い。この点に着目して、美浦所属でデビューしながら、後に栗東に拠点を移した人もいるほど。美浦の場合、数年前までは主力の壁が厚かったが、騎手界をリードしていた有力騎手が既にベテランの域に入り、9月には蛯名正義騎手(49)が、調教師試験を受験するなど、世代交代の足音が聞こえてきた。

 実際、今年の関東リーディング上位10人の年齢構成を見ると、38勝で9位の横山典弘(50)が最年長。40代は56勝で4位の内田博幸(48)1人で、あとは30代が6人、20代2人となっている。しかも、首位の戸崎圭太(38)は、過去2年に比べてペースを落としており、全体的に混戦の様相といえる。

 こうした状況は若手騎手全体にとって、大きなチャンスと言える。関東上位20人に範囲を広げると、見習騎手(減量特典がある)でランキング入りしているのは、2年目の武藤雅(20)と横山武史(19)と藤田だけだ。地位を固める条件としては悪くない。

興行的価値はあるが、壁は高く


 藤田のデビュー当時は、切迫感めいたものを個人的に感じていた。16年ぶりにやっと現れた人が成績を伸ばせないと、「次」はもっと難しくなる――。結果的には、競馬界の枠を超えて関心の対象となり、ある程度の成績(本人は不満だろうが)をあげたことで、さらに注目度が上がるという循環になりつつある。

 既に中央でGIに騎乗する条件を満たしており、実際に乗ることになれば、露出度はさらに増すだろう。GII、GIIIで勝負圏内の馬に乗ることの方が、ハードルが高いかも知れない。ハンデ戦も賞金別定戦も強い馬ほど斤量が重く、陣営は当然、成績上位で経験値の高い騎手を選好するからだ。ともかく、次の「節目」と言えるGI騎乗や重賞制覇に向けても、メディアの関心は続くだろう。

 一般競走でも、ゴール前で藤田の騎乗馬が先頭争いに絡んだだけで大歓声が起き、勝てば大拍手という光景は、デビュー時も今も変わらない。「成功した女性騎手」が興行的にもいかにプラスかを、JRAも実感しているだろう。

 競馬学校騎手課程には現在、2年次と1年次に各1人の女子候補生が在籍しており、単発ではなく、流れが生まれる可能性はある。ただ、デビュー後の成否はもちろん、本人の才能と努力にかかっており、人為的につくれるものでない点は言うまでもない。

 地方競馬でも、現役の平地女性騎手はわずか4人。うち、岩永千明(36、佐賀)は故障で長く戦列を離れているため、実働3人である。96年に中央に初登場した以前から、地方で女性騎手が活躍し、招待レースも行われていた(現在は「レディスヴィクトリーラウンド」が行われているが)歴史を思うと、厳しい現状と言える。

 現在、地方競馬教養センター(栃木県那須塩原市)には6人の女性騎手候補が在籍中で、ここから何人が騎手への道を踏み出せるかが、当面の関心事となる。

 女性騎手が少ない背景には、結婚や出産、育児といったライフイベントの存在もある。地方で女性最多勝記録を今も更新している宮下瞳騎手(41、名古屋)は、妊娠を機に1度はムチを置き、16年8月に現役復帰した。筆者も直接、取材する機会があったが、男児2人を育てながら実践騎乗と調教に取り組む多忙さは並大抵ではない。

 藤田が「目標とする騎手」を聞かれると名前を挙げるリサ・オールプレス(43、ニュージーランド)も、騎手活動と育児を両立させていたが、日本は普通の会社員でも両立が容易でない。第二、第三の宮下が現れるには、周囲のサポートに加えて、様々なシステムを改める必要もある。

 騎手だけでなく、競馬界全体が「男社会」といわれて久しい。中央には女性調教師がゼロで、厩務員や調教助手も少数派。施行体やメディアでも、女性というだけで目立つのが現状。様々な領域に参入することが、女性ファンへの敷居を低くし、長期的に女性騎手を増やしていくために必要なのではないか。

※次回の更新は10/29(月)18時を予定しています。
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1964年1月19日、東京都出身。87年4月、毎日新聞に入社。長野支局を経て、91年から東京本社運動部に移り、競馬のほか一般スポーツ、プロ野球、サッカーなどを担当。96年から日本経済新聞東京本社運動部に移り、関東の競馬担当記者として現在に至る。ラジオNIKKEIの中央競馬実況中継(土曜日)解説。著書に「競馬よ」(日本経済新聞出版)。

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