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「JRAは途方もない機会損失を負った」モレイラ騎手“不合格”の波紋とは

  • 2018年10月29日(月) 18時01分
教えてノモケン

▲「世界の名手に紙やペンと格闘させることに何の意味があるのか」と野元記者 (撮影:高橋正和)


 6月の当コラムで取り上げたジョアン・モレイラ騎手(35)のJRA騎手免許試験挑戦は、ひとまず不合格に終わった。10月2日に行われた一次(筆記)の結果は11日に発表され、受験者7人中、藤井勘一郎騎手(34)だけが合格した。藤井騎手は中学卒業後にオーストラリアに渡って騎手として出発し、シンガポールや韓国でも活動。JRAの試験は受験6度目にして初めての1次突破だった。

 今回の結果を受けて、モレイラ騎手は17日に香港復帰の意向を明らかにした。同地のジョン・サイズ調教師(64)が専属契約騎手として受け入れる姿勢を示しており、近く香港ジョッキークラブ(HKJC)に免許を申請するという。

 今年6月に香港を去ることを決意し、今季の免許申請をしなかったモレイラに対し、HKJCがどんな姿勢で臨むかは、競馬施行者のあり方を測る試金石として興味深い。ともかく、JRAが今回の一件で、途方もない機会損失を負ったことは確かだ。

悲喜が交差した11日の大井


 1次試験の結果が発表されたのは11日午前10時。明暗の分かれた藤井とモレイラはともに、同日の大井で騎乗予定だった。藤井は8日から3カ月の短期免許で大井に参戦。モレイラは11日のレディスプレリュード(JpnIII)にプリンシアコメータで参戦していた。

 午後5時50分頃、試験結果について取材に応えるために、モレイラが大井の会議室に通訳とともに姿を見せた。硬い表情で「大きなパンチを受けたようだ。心が張り裂ける」と感想を述べ、「失敗した場合のことは考えていなかった。次のプランを立てるにはもう少し時間が必要」と、この時点では進路についての言及を避けた。

教えてノモケン

▲10月11日、大井競馬場で報道陣の質問に答えるモレイラ騎手 (撮影:高橋正和)


 聞いていて、心に刺さったのは、再挑戦の意思や日本への思いを質問された場面。「日本の美しさ、人の優しさ、施設や競馬全体のレベルは感動的だ。その点についての考えは変わらない」と話すうちに感情があふれ出た。「暖かい応援をして下さった皆さんの期待に応えられず、申し訳ない」と言った後は声を詰まらせ、長身の通訳の背中に隠れて涙をぬぐい、その場を去った。

 それから20分後。8レースで当日の騎乗を終えた藤井が、取材陣に囲まれた。20代半ばから受験を始めた藤井は、負傷などで受験しなかった年もあり、今回が6回目。「これはワンステップ。次もあるので、気を引き締めていきたい」と話した。

教えてノモケン

▲同日、6回目の受験で1次突破した藤井勘一郎騎手 (撮影:高橋正和)


 ここ数年は機会あるごとに美浦、栗東やノーザンファームで研修し、藤沢和雄、矢作芳人両厩舎の調教にも参加。「藤沢先生や矢作先生から、『続けることが大事』と言われていた。中央で騎手になった時、今までやってきたことが問われる」とも。

 中央、地方問わず、国内で騎手経験のない人がJRA入りすれば、横山賀一氏(51=現競馬学校教官)以来27年ぶりとなる。横山氏は現役の横山典弘騎手(50)の実兄で、身内に厩舎関係者がいない人は初めてだ。

広いコースでも着実に勝ち星


 傷心のモレイラは、試験結果発表に先立つ6日、東京で騎乗停止処分を受けていた。9レースをヘリファルテで勝った際、「他馬の進路に影響を与えた」と判定されたが、接触もなく、被害馬も完全に進路を失ってはいなかった。厳しすぎる処分に見えたが、ともかく騎乗停止前の最後のレースの直前で、こんな経緯があったのだ。

 ところが、レディスプレリュードでは先行策から直線の競り合いを制し優勝。改めて手腕の確かさを示した。

 中央でも28日現在で56勝をあげ、勝利数ランク19位に浮上した。今年は乗り慣れた札幌で31勝(うち重賞はキーンランドCで1勝)をあげ、9月末からの短期免許期間には、中山が2日で7勝、東京は5日で12勝、京都も2日で6勝とコンスタントに勝ち星を伸ばしている。

 9月以降、重賞勝ちはアエロリットで逃げ切った毎日王冠の1つ。10月だけで3つのGIを含む重賞6勝のルメールの前に霞んだ形だが、通年免許者の方が騎乗馬の質が上がる点は考慮する必要がある。小回りに最適化した乗り方が目立った分、当初は東京で勢いが鈍ったように見えたが、これとて慣れの問題だろう。

 今年はルメールが昨年より足早に勝ち星を量産し、200勝の大台を伺う勢いだが、モレイラが通年騎乗すれば、今のルメールを上回るペースで勝っても不思議ない。

「JRAは来年は受からせる」?


 だが、モレイラが来年、中央で通年騎乗する道は閉ざされた。これを受けて、モレイラは17日、6月まで活動していた香港に戻る意向を示した。17-18シーズンは小差で最多勝を逸したとは言え、これほどの腕利きを関係者が放っておくはずはない。

 ただ、あくまでも一般論だが、世界のどの国であれ、「円満(?)退社」しなかった人の“出戻り”を、誰もが歓迎するか、という問題はある。香港事情に明るいある生産者によれば、日本馬で香港GIを3勝した(それ以外にドバイターフをヴィブロスで優勝)モレイラを、快く思わない雰囲気はあったという。

 しかも、会社で言えば「自己都合退職」からわずか4カ月余りで戻るという流れが、HKJCの判断にどう影響するかはフタを開けてみなければわからない。ともかく、6月の時点では退路を断ってJRA挑戦を選択したモレイラだが、結果を受けて、状況が変わったのは確かだ。来年の再受験についても、明言を避けた。

 一連の過程を経て、JRAに対してモレイラ自身が本音の部分でいかなる感情を持ち、再受験の負担感をどの程度に感じているか。11日に大井で今後について「家族との話し合いも重要」と述べており、この辺も今後の進路選択の大きな判断材料となるのだろう。

 個人的に気になるのは、結果発表後、業界のそこかしこで「(JRAは)来年は受からせるのでは」との声が聞こえることだ。確かに前例はある。「現役地方騎手のJRA免許試験受験」という、当時としては驚きの選択をした安藤勝己氏(58)は、01年秋の初回受験には失敗した。事実上、外国人に初めて受験の道が開かれた13年には、ミルコ・デムーロ(39)が挑んだが失敗。2人とも、翌年に突破した経緯がある。

 こうした見方をする人は、試験を一種の通過儀礼にして、JRAへの忠誠の誓いの場と捉え、合否は政治判断に左右されると考えていることになる。正直、筆者にはそこまで言い切る自信はない。しかし、過去にも様々な場で述べてきたが、「そう見られても仕方ない」部分は相当あり、JRAは疑念を払拭する努力を怠ってきた。

努力重ね夢へ前進した藤井


 こうした見方は、試験に真剣に取り組んできた人にすれば失礼な話である。筆者は13年6月、韓国・釜山で活動中の藤井を初めて取材し、その後も折に触れて試験への取り組み方を聞いていた。今年は試験直前まで豪州で騎乗していたが、広大な国で各地の競馬場を自家用車で移動する際、自ら音読して録音したJRA競馬施行規程の条文を車中で再生して聞いていたという。

 研修で美浦や栗東に入った際は、JRAの審判系職員が勤務している公正室に足しげく通い、対話を重ねた。しかも、馬術などの実技試験もあり、行く先々で馬術のレッスンを続ける必要があった。

 実は個人的に、JRAは国内で騎手活動歴のない人を受け入れる意思があるのか、疑問を持っていた。中学3年時点の体重超過などで、最初から競馬学校騎手課程受験を諦める人は少なくない。騎手課程の時点で「取らなかった」人が、後に入って来て成功したら、自らの騎手育成システムの盲点を立証することになるからだ。

 藤井の一次合格で、とりあえずこうした疑念は払拭された形で、同時に「試験は試験」というメッセージにもなる。ただ、この結果に対しても、政治的含意を読み取ろうとする人がいるのは事実だが…。

紙とペンの“希望拷問”?


 希薄な可能性をちらつかせて、人を努力に追い立てる状況を、韓国では「希望拷問」と呼ぶ。藤井とJRAを巡る状況が、希望拷問でなかったと証明されつつあることは、筆者としても胸のつかえが下りたような思いだ。地方騎手が筆記試験経由でJRAの門をたたいた例は過去にもあり、多くの人が重ねた努力には、間違いなく意味があった。

 ただ、それでもぬぐえない違和感がある。ペーパーテストで騎手の運命が左右される現実に対してである。モレイラは28日時点での勝率が37.3%。ルメールでも200勝に迫った昨年で24.6%、今年が27.1%である。これほどの騎手にムチではなく、紙やペンと格闘させることに何の意味があるのか。考えざるを得ない。

 現在のような試験を行う大義名分は「競馬の公正確保」であろう。だが、その背後に騎手という狭いマーケットの秩序、露骨に言えば既得権の維持という本音が隠れていることを、疑う人は多い。半面、外国人騎手や地方出身組の台頭は、フリー化の進展と重なり、騎手数の急減を招いた。

 19年度の競馬学校騎手課程合格者9人が26日に発表されたが、応募者は115人で、過去2番目に少なかった。単一の施行体制の下で、真のトップを競わせつつ若手も育てるのは不可能で、矛盾は深まる一方だ。かく言う筆者も悩ましいが、今のようなあり方のままで良いとも思えない。

 今回の問題は詰まるところ、競馬という競技のプレーヤーの選び方の問題である。賭けを背景にしている点を考慮しても、基準は技量と、「人として問題がないか」、英語圏でintegrityと表現される部分の2点に尽きよう。こうした点に立ち返るような形でのルールの再構築、さらに、どの母語を使用するかでの不公平がないような配慮を求めたい。

(文中敬称略)


※次回はジャパンCにまつわるテーマで、11/18(日)18時の公開を予定しています。
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1964年1月19日、東京都出身。87年4月、毎日新聞に入社。長野支局を経て、91年から東京本社運動部に移り、競馬のほか一般スポーツ、プロ野球、サッカーなどを担当。96年から日本経済新聞東京本社運動部に移り、関東の競馬担当記者として現在に至る。ラジオNIKKEIの中央競馬実況中継(土曜日)解説。著書に「競馬よ」(日本経済新聞出版)。

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