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騎手同士の熾烈なライバル関係「めちゃくちゃ意地を張った」 ―7カ月の海外遠征を終えて【第3回】

  • 2018年11月25日(日) 18時01分
キャリアアップ

▲帰国インタビューの第3回、競馬先進国のプライドを肌で感じて…


今年の3月から10月までの7カ月間、アイルランドで武者修行をしてきた野中悠太郎騎手。その間の様子は当コラムで連載として、野中騎手自身に発信していただきました。大きな経験を経て、野中騎手にどんな変化が現れたのか。お話を聞かせてもらいに美浦トレセンを訪れると、そこにはたくさんの記者や関係者に囲まれながら笑顔いっぱいで話をする、野中騎手の姿がありました。ご本人を直撃インタビューします。

(取材・文:不破由妃子)


「日本人はものすごく働き者らしいです」


──技術面、精神面の成長のほかに、人脈という収穫もあったのではないですか?

野中 そうですね。なかでも(コルム)オドノヒューは、競馬場ごとに気を付けるべき点など常にアドバイスをくれましたし、僕が日本に帰ってきてからも、一緒に競馬に乗るなかでずっと声を掛けてくれています。今後もずっと大切にしていきたい繋がりですね。

──厩舎のスタッフさんとか、一緒に働いていた見習いジョッキーとも深い関係が築けたのでは?

野中 帰る直前になって、「次はいつ来るの?」ってみんなに聞かれました。「まだわからない」って答えていたんですけど。

──「早く戻ってこいよ」ということでは?

野中 そうかもしれませんが、だとしても僕がむちゃくちゃ働くからじゃないですかね(笑)。帰るとき、ムルタにも「お前はむちゃくちゃ働いたな」って何度も言われました。どうやらほかの国の人に比べて、日本人はものすごく働き者らしいです。

──野中騎手としては、普通に働いていただけなんですよね?

野中 はい。これくらいは普通だろうなぁと思っていました。あとは、次にアイルランドにくる日本人ジョッキーのためにも、日本人に対していいイメージを残しておきたいという思いもありましたね。

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1996年12月29日、福岡県出身。実家が小倉競馬場の近くだったことから騎手を目指す。同期は加藤祥太、鮫島克駿、三津谷隼人。2015年に美浦・根本康広厩舎からデビュー。兄弟子の丸山元気、妹弟子の藤田菜七子に囲まれながら腕を磨く。馬券穴派からの支持が厚い。

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