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【初来日から20年】「親日家ミルコ・デムーロ」の原点(1)『20歳の頃に“日本のジョッキーになりたい”』

  • 2019年02月17日(日) 18時02分
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▲初来日から20年、「ミルコ騎手と日本」の関係に迫る


2015年に外国人として初めてJRAの通年免許を取得したミルコ・デムーロ騎手。今やJRAジョッキーの中心的存在の1人となっています。そんなミルコ騎手が初来日したのは、20年前の1999年。スペシャルウィークのジャパンCを現地観戦し、その翌月には小倉で騎乗していたと言います。それ以来、毎年欠かさず日本での騎乗を続けてきたミルコ騎手。

今回のインタビューでは「ミルコ騎手と日本」の関係に、いま改めて迫ります(全4回予定)。初回は若かりしミルコ騎手が、初めて「日本」を意識した瞬間。知られざる、初来日のきっかけとは?

(取材・文=不破由妃子)


初めて日本に来たのは20歳の時


──早いもので、1999年の初来日から今年でちょうど20年ですね。

ミルコ そうですね。アッという間でした。昨日のことのよう(笑)。僕も今月(1月11日)で40歳になりました。初めて日本に来たとき20歳だったので、誕生日を迎えて「ああ、ちょうど20年だな」と思ったところです。

──ミルコ騎手が40歳とは、時の流れの早さを痛感しますが、年齢は意識されますか?

ミルコ もちろんです。ただ、一番年齢を気にしていたのは、JRAに移籍する少し前かな。いろんな国で乗っていた頃だけど、「若くないから、(結果を残すまでに)時間が掛かりそうだ」とみんなに思われていて。イギリス、フランス、ドバイ、香港と行ったけど、僕自身はすごく頑張ったし、結果も悪くなかったと思うんだけどね。

 でも、その頃はすごく苦しかったし、大変だった。今は落ち着いてますけどね。体も全然変わっていないし、気持ちも若い頃と一緒で、とにかくたくさん勝ちたいし、もっともっと巧くなりたい。体と頭は18歳です(笑)。

──わかりました(笑)。今回のインタビューでは、改めて「親日家ミルコ・デムーロ」の原点に迫りたいと思っているのですが、初めて日本にこられたのはジャパンCの日だったそうですね。

ミルコ そうです。スペシャルウィークが勝った年ですね。そのときはレースを観にきただけですが、来日のきっかけとなったのは、同じ年の凱旋門賞の日に(吉田)照哉社長に会ったこと。当時僕はフランスで乗っていて、「勉強のために日本に行きたい」と伝えたら、すぐに「ウェルカム!」ということになって。

──当時から日本の競馬に興味があったのですか?

ミルコ 前の年にタイキシャトルがジャック・ル・マロワ賞を勝ちましたよね。それで、「ああ、日本でも競馬をやってるんだな、行ってみたいな」と思っていたんです。それまでは競馬はもちろん、日本のことを全然知らなかったし、イメージもなかったんですけどね。とにかくいろんな国で乗って巧くなりたい、勉強したいと思っていたから、ぜひ日本でも乗ってみたいと。

 だから、照哉社長に「ウェルカム!」と言っていただけたときは、すごくうれしかった。実際にジャパンCを観たときはすごく感動したし、それまでに行った国と比べて、日本の競馬は世界一だと感じました。そこからもう日本の競馬が忘れられなくなって。

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▲初めて現地観戦した日本の競馬がスペシャルウィークのジャパンC (撮影:下野雄規)


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▲2008年にスクリーンヒーローで、思い出のジャパンCを制覇 (撮影:下野雄規)


日本人はあまりにも優しいから……


──日本の競馬のどのあたりが、当時のミルコ騎手の心を動かしたんですか?

ミルコ まず、あんなに大勢のお客さんを見たことがなかったし、そのお客さんたちがみんな温かかった。馬はキレイだし、競馬場もすごく広くて美しくて。勝負服もいろんな色でね(笑)。すごく幸せな時間だった。そのすぐあとに小倉で乗ったんですが(1999年12月)、その頃から“できれば日本のジョッキーになりたい”とずっと思っていました。

──20歳の頃から!? それは知りませんでした。

ミルコ ずっと夢だったんです。

──実際、99年に初めて短期免許を取得されてから、毎年欠かさず乗りにこられてましたものね。

ミルコ はい。初めて乗りにきたときに30勝以上することができて(99年12月4日〜00年2月27日で35勝)、チャンスをたくさんもらえたことがすごくうれしかった。当時、お金のことは全然考えていなかったので、最初は「えっ!? こんなにお金もらえるの!?」ってビックリしましたよ(笑)。

──ちなみに、初勝利となったレースは覚えていますか?

ミルコ もちろん! マツクニ先生(松田国英調教師)の厩舎のスタジアムブルーです(99年12月4日・小倉9R・姫島特別・10番人気1着)。でも、そのすぐあとに山元トレセンで火事があって(00年2月11日)、死んでしまったんですよね…。すごく残念な気持ちになったので、よく覚えています。

──ミルコ騎手には、早くから親日家のイメージが定着していたように思いますが、最初から日本に馴染めたんですか?

ミルコ 最初は日本語はもちろん、英語もあまり喋れなかったし、どんな国なのか全然わかっていなかったけど、僕は15歳で自立してからずっといろんな国で勉強をしてきたので、文化の違いには慣れていたところもあります。

 それに、当時は僕も若かったから、みんなが可愛い、可愛いって言ってくれて(笑)。スペシャルウィークのジャパンCのあと、パーティーに参加したんですけど、そこでもみんなが歓迎してくれて、本当に優しくて。素晴らしい国だと思いました。あまりにもみんなが優しすぎるから、最初は「この人たち、みんな泥棒なんじゃないか」と思ったくらい(笑)。

──そうだったんですね(笑)。好意を持って迎えられたのは、ひとえにミルコ騎手のお人柄だと思います。友達もすぐにできましたものね。

ミルコ (松田)大作とか四位さんとかね。とにかく最初からみんな優しかった。今は1年間ずっといるから、みんな「ミルコ、勝ちすぎ。ムカつく」って(笑)。

──完全に日本のジョッキーになった証拠ですね(笑)。

ミルコ 若い頃は、あんなに「可愛い、可愛い」って言ってくれてたのに、今はけっこう文句を言われます(笑)。でもやっぱり日本が大好きです。全部大好き!

(文中敬称略、次回へつづく)

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