イクノディクタスが天国に。美形の「鉄の女」と彼女に惚れた王者
既報のように、「鉄の女」イクノディクタスが、2月7日、繋養先の五丸農場で老衰のため死亡した。32歳だった。
そのニックネームがよく似合う、タフな牝馬だった。旧3歳だった1989年7月にデビューしてから旧7歳の93年秋まで51戦して9勝、2着8回、3着5回。9勝のうち4勝が重賞で、91年に京阪杯、92年には金鯱賞、小倉記念、オールカマーを制覇。92年は実に16戦も走り、前述の重賞3勝のほか、トウカイテイオーが復帰戦を勝利で飾った大阪杯では4着、マイルチャンピオンシップを連覇するダイタクヘリオスが勝った毎日王冠では2着となるなど、超一流の牡馬相手に一歩も引かず、最優秀5歳以上牝馬(旧馬齢)に選出された。そして、旧7歳だった93年には安田記念と宝塚記念で2着になるなど、キャリアの晩年まで強さを発揮した。
同様にタフな印象のある近年の女傑たちでは、スマートレイアーが35戦9勝、メイショウマンボが31戦6勝、ストレイトガールが31戦11勝、ジェンティルドンナが19戦10勝、ホエールキャプチャが30戦7勝、ブエナビスタが23戦9勝、ウオッカが26戦10勝。もちろん、単純な比較はできないが、それでも、牡馬の一線級相手に足かけ5年にわたって戦いつづけたイクノディクタスの心身がいかに強靱だったか、よくわかる。5億3112万4000円を稼ぎ出し、当時の歴代賞金女王となった。
イクノディクタスは、アスリートとしてのイメージこそ「鉄の女」だが、ビジュアルは対照的だった。細い流星が特徴的な顔は愛らしく、栗毛の馬体はしなやかで、身のこなしは優雅な美女だった。
そんなイクノディクタスに、同い年のメジロマックイーンは恋をしていた、と言われた。
イクノディクタスとメジロマックイーンは93年に3度、同じレースで走っている。
大阪杯 イクノディクタス6着 メジロマックイーン1着
天皇賞・春 イクノディクタス9着 メジロマックイーン2着
宝塚記念 イクノディクタス2着 メジロマックイーン1着
思いを寄せる女性に先着されては男の沽券にかかわるところだったが、マックイーンとしては、いいところを見せることができてよかったのではないか。
イクノディクタスもメジロマックイーンも、この93年限りで現役を退いた。
そして翌94年、この2頭が繁殖牝馬と種牡馬として配合され、95年、牝馬のキソジクイーンが生まれた。
のちにオルフェーヴルやゴールドシップが活躍して、その需要が一気に高まった「マックイーンの肌」である。
しかし、時代が少しだけ早すぎたのか。
そのキソジクイーンも、イクノディクタス自身も、繁殖牝馬として活躍馬を出すことは、残念ながら、できなかった。
それでも、競走馬引退後も、繁殖牝馬を引退してからも、ずっと五丸農場で静かに過ごし、32年の馬生をまっとうすることがきたイクノディクタスは、間違いなく幸せだった。
メジロマックイーンは、2006年4月3日、自身の誕生日に天に召された。
あれから13年。2頭が配合されてからは25年の月日が流れた。また天国で、仲よくしてほしいと思う。
別れの報せは切ないが、少し遅れて、嬉しいニュースが舞い込んできた。
オーストラリアなどで活躍していた藤井勘一郎騎手が、6度目のチャレンジでJRAの騎手免許試験に合格。横山賀一・元騎手(現競馬学校教官)以来、27年ぶり2例目の「逆輸入ジョッキー」となった。
藤井騎手を知る人々は、みな心から祝福している。他人の成功をこれほど喜ぶ人がこんなにいるのか、と驚かされるほどだ。6年間の努力を知っていることに加えて、彼の人柄に惹かれているのだろう。
35歳。騎手としてもっとも脂の乗った時期を迎えている。
彼がコメントしているように、ここはゴールではなくスタート地点だ。人々の支えを力に、頑張ってほしい。