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名馬の死が蘇らせた物語

  • 2019年03月21日(木) 12時00分
 既報のように、2000年の高松宮記念を制したキングヘイロー(牡、父ダンシングブレーヴ、母の父ヘイロー)が、3月19日、繋養先の北海道新冠町の優駿スタリオンステーションで老衰のため死亡した。24歳だった。

 同世代にスペシャルウィーク、セイウンスカイ、グラスワンダー、エルコンドルパサーなどがいる「最強世代」の1頭だった。

 1997年秋、デビュー2年目の福永祐一騎手を背に、新馬、黄菊賞、東京スポーツ杯3歳ステークス(馬齢は旧表記、以下同)と3連勝。次走のラジオたんぱ杯3歳ステークスこそ2着に敗れたが、翌1998年クラシックの有力候補とみなされた。

 前年、華やかなデビューを飾った福永騎手にとって、JRA重賞初制覇となったのが、この馬で勝った東京スポーツ杯3歳ステークスだった。武豊騎手にとってのスーパークリークのように、GI初制覇の相棒となって、強い馬とはどんな馬で、大舞台を勝つにはどんなことが求められるのかを教えてくれる存在になるかと思われたが――。

 1998年のクラシックでは、皐月賞2着、ダービー14着、菊花賞5着と結果を出せずに終わった。

 福永騎手は当時21歳。掛かり気味にハナを切り、直線で失速して惨敗したダービーでは、「初めて緊張に呑み込まれる経験をした」という。

 言ってもせんない「タラレバ」だが、今の自分なら違った結果を出せていた――という思いが、福永騎手にはあるのではないか。

 強い馬だった。やや首の高い走法ながら、1200メートルから3000メートルまで、どんな距離でもトップレベルのパフォーマンスを発揮した。

 1999年のマイルチャンピオンシップでエアジハードの2着となり、次走のスプリンターズステークスで初めて1200メートル戦に出走し、3着と健闘。そして、翌春の高松宮記念で、柴田善臣騎手を背にGI初制覇を遂げた。

 2000年の有馬記念で4着となったのを最後に現役を退き、翌2001年、優駿スタリオンステーションで種牡馬となった。

 代表産駒に、2006年に無敗でオークスと秋華賞を制したカワカミプリンセス、2009年のスプリンターズステークスと高松宮記念を勝ったローレルゲレイロ、2011年に無敗の兵庫ダービー馬となったオオエライジン、2013年にJBCレディスクラシックを勝ったメーデイア、昨年のNAR年度代表馬キタサンミカヅキなどがいる。

 自身唯一のGI勝ちとなった高松宮記念でローレルゲレイロとの父仔制覇を果たし、それからちょうど10年後の高松宮記念の週に世を去った。しかも、そのレースに産駒のダイメイプリンセス(牝6歳)が出走するのだから、因縁めいている。

 いかに死ぬかは生きざまを示すとも言われるが、このタイミングで、自身の物語を呼び覚ましながら、週末のGIの見どころを増やすあたりは、さすが名馬である。

 個人的には、1943年に前田長吉を背にダービー、オークス、菊花賞の変則三冠を制したクリフジを7代母に持つオオエライジンが、産駒のなかでも、特に思い出深い馬だった。2014年の帝王賞で故障し予後不良となったが、大柄な栗毛で四白流星の姿形はクリフジに似て、首の高い走りはキングヘイロー譲りだった。

 さて、私が北海道にいる間に、関東地方で春一番が吹いたようだ。きっと、大量の杉花粉を撒き散らしたことだろう。

「花鳥風月」は風情あるものとして万葉集でも詠まれるなど愛されているが、この季節だけは、「花」と「風」という文字を見るだけで背中がむずかゆくなる。

 今年はドバイ諸競走ではなく大阪杯を取材する予定だ。そのころには花粉の飛散が下火になっているだろうか。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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