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【(無料)あの外国人騎手は今?】ペリエ、デザーモ、スミヨン、ムルタ、デットーリ…名手たちのその後

  • 2019年04月21日(日) 18時01分
海外競馬通信

▲ペリエ、デザーモ、スミヨン、ムルタ、デットーリ…名手たちのその後


今ではミルコ・デムーロ、クリストフ・ルメールという2人の外国人騎手がJRA所属となっているが、その礎を築いたと言っていい外国人ジョッキーたちがいる。先人たちの活躍がなければ日本での免許という時代はまだ来ていなかったのかもしれないし、日本競馬の発展に一役買ったと言っても過言ではない。今回はかつての日本競馬を沸かせた外国人ジョッキーたちのその後を追跡する。

(文=斎藤修)


オリビエ・ペリエ「短期免許で挙げた勝利数は歴代1位」



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▲短期騎手免許の制度が始まった1994年から来日していたペリエ騎手 (撮影:下野雄規)


 オリビエ・ペリエ騎手はJRAで短期騎手免許の制度が始まった1994年から2009年まで毎年のように来日。今ではミルコ・デムーロ、クリストフ・ルメールという2人の外国人騎手がJRA所属となっているが、ペリエ騎手は最初に日本に馴染んだ外国人騎手といっていいだろう。短期免許で挙げた367勝(JRAのみ)は歴代1位。ちなみに2015年3月からJRA所属騎手となったM.デムーロ騎手の短期免許時の351勝(1999年〜2014年、JRAのみ)は2位となっている。

 2004年、ゼンノロブロイでの天皇賞・秋、ジャパンC、有馬記念という秋のGI・3連勝、同時に02、03年のシンボリクリスエスから有馬記念3連覇ということでは日本の競馬に強い印象を残した。

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▲シンボリクリスエスで勝利した2002年の有馬記念 (撮影:下野雄規)


 フランスでは、1996、97、99、2000年と4度の勝利数リーディングを獲得。当時はフランスのトップトレーナー、アンドレ・ファーブル厩舎の主戦として活躍。97年にはパントルセレブルで、98年にはサガミックスで凱旋門賞を連覇(ともにA.ファーブル厩舎)。96年のエリシオ(エリー・ルルーシュ厩舎)から凱旋門賞3連覇を達成した。

 その後、2004年からは高級ブランド・シャネルの経営者としても知られるヴェルテメール兄弟と優先騎乗契約。ゴルディコヴァでは08〜10年にブリーダーズCマイル3連覇をはじめ、仏・英・米でGIを13勝。12年の凱旋門賞では、GIIタイトルしかなかった伏兵ソレミアで、直線抜け出していた日本のオルフェーヴルをゴール前で差し切ったのもペリエ騎手だった。また13年にはアンテロでジョッキークラブ賞(仏ダービー)も制している。

 近年ではカタール王家とも関係が深く、2月下旬にカタールのアルライヤン競馬場で行われている国際レースには08年からほぼ毎年のように参戦。今年は同フェスティバルのメイン、H.H.ジ・エミール・トロフィー(カタール・ローカルGI)をフレンチキングで勝利。また18年にはタペルでプールデッセデプーリッシュ(仏2000ギニー)も制している。

 近年は自国フランスでも騎乗数を制限する傾向にあるようで、2014年以降は年間30〜50勝台だが、勝率では毎年1割前後をキープしている。

ケント・デザーモ「ジャパンCでゴール誤認のハプニング」



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▲北米騎手としてJRA短期免許2人目の来日となったデザーモ騎手 (撮影:下野雄規)


 北米所属騎手として初めてJRAの短期免許で騎乗したのはホセ・サントス騎手(1998年12月〜)だが、日本の競馬が合わなかったのか生活習慣になじめなかったのか、わずか35戦0勝という成績で帰国している。

 北米騎手としてJRA短期免許2人目の来日となったのがケント・デザーモ騎手。短期免許での初来日は2001年。レディパステルに騎乗し、フローラSは2着だったが、本番のオークスを制し、外国人騎手として初のJRAクラシック制覇を果たした。また同年6月には地方競馬でも短期免許を取得(所属は船橋)。船橋のマキバスナイパーに騎乗して帝王賞(大井)を制した。

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▲レディパステルでオークスを制し、外国人騎手として初のJRAクラシック制覇 (撮影:下野雄規)


 日本でGI級の勝利はこの2つだけだが、JRAでは2001〜03、05、12年に(同一年に複数回の短期免許もあり)、地方競馬では2001、05年に短期免許で騎乗している。

 時間は前後するが、デザーモ騎手はクォーターホースの騎手としてキャリアをスタートし、サラブレッドの騎手としてのデビューは1986年、16歳のとき。4年目の1989年には年間597勝という世界記録を達成した。ちなみにそれまでの世界記録は佐々木竹見さんが1966年にマークした505勝だった。

 デザーモ騎手といえば1993年ジャパンCでのゴール誤認もあった。デザーモ騎手のコタシャーンは1番人気。直線半ばでレガシーワールドが先頭に立ち、大外からこれを差し切るような勢いで伸びてきたのがコタシャーン。ところがデザーモ騎手は残り100mのハロン棒のところで腰を上げて追うのをやめてしまった。すぐに気づいてもう一度追い出し、ウイニングチケットはなんとかとらえて2着を確保。ゴールまで追い続けていれば差し切れたかどうかは微妙だが、勝ったレガシーワールドとは1馬身1/4馬身差。制裁は、「順位に明らかに影響があったとは思われない」として過怠金5万円(当時は最高額)のみで騎乗停止とはならなかった。

 日本との関係では、日本人オーナーの関口房朗氏がアメリカで所有していたフサイチペガサスの主戦として2000年のケンタッキーダービーを制している。

“事件”で話題になることもあった。2011年8月にはサラトガ競馬場内で車を運転中、故意に女性警備員をはねようとしたとして警察に逮捕された。また2012年にはベルモントパーク競馬場での騎乗後にアルコール反応があり、翌日のプリークネスSの騎乗予定馬が乗替りなるということもあった。この頃がデザーモ騎手がどん底だった時代で、その2012年は年間37勝にまで落ち込んだ。

 しかしその後に持ち直し、2016年には2010年以来6年ぶりに年間100勝超となる109勝をマーク。エグザジャレーターでプリークネスSを制した。さらに2017年にはロイエイチでブリーダーズCスプリントを勝利。前年と同じ109勝を挙げた。ただアルコール依存症を引きずっていたようで、2016年には依存症のリハビリを受けたという記事がBLOOD HORSE誌のウェブサイトにあった。

 今年1月27日、サンタアニタ競馬場で北米史上19人目となる通算6000勝を達成している。

クリストフ・スミヨン「オルフェーヴルで凱旋門賞連続2着」



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▲1997年にフランスでデビューしたスミヨン騎手 (撮影:下野雄規)


 クリストフ・スミヨン騎手といえば、まずオルフェーヴルだろう。オルフェーヴルの日本でのレースはすべて池添謙一騎手が手綱をとったが、2012、13年の凱旋門賞挑戦はスミヨン騎手が鞍上となった。2年連続で、前哨戦のフォワ賞は制したが、凱旋門賞は2着だった。

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▲オルフェーヴルで挑んだ2012年の凱旋門賞 (撮影:高橋正和)


 JRAでは、2001、09、10、12年に短期免許で騎乗。日本でのGI初勝利は、2010年天皇賞・秋のブエナビスタ。続くジャパンCでも1位入線したが、斜行による進路妨害でローズキングダムの2着に降着となった。2014年にはエピファネイアでジャパンCを制したが、このときは短期免許ではなく、その週末に東京競馬場で開催されたワールドスパージョッキーズシリーズ出場での来日だった。

 1997年にフランスでデビューしたスミヨン騎手は見習騎手の時代から頭角を現した。2000年代にはアガ・ ハーン4世と優先騎乗契約を結び、ダラカニでは2003年に仏ダービーや凱旋門賞を勝利。デビューから7戦全勝で引退したザルカヴァでは2008年の仏牝馬二冠に凱旋門賞を制した。またアンドレ・ファーブル厩舎の主戦騎手としても、2005年のブリーダーズCターフをシロッコで、2006年のパリ大賞をレールリンクで制するなど活躍した。

 ただその確かな騎乗技術とは裏腹に、言動が問題になることもたびたび。ファーブル調教師とは考え方の違いから悪口なども表沙汰となり2007年には主戦騎手としての契約を解除されている。前述したジャパンCでの降着では、後日、JRAの裁決委員に対する批判が問題になった。

 とはいえフランスでは常にリーディングのトップを争い、2003、05、06、11〜14、17、18年と、これまで勝利数リーディングを9回獲得。2017年には305勝を挙げフランスの年間最多勝記録を更新している。

 近年ではドバイのゴドルフィンの有力馬への騎乗も多く、サンダースノーでは昨年、今年と、ドバイワールドCで史上初の連覇を果たした。

ジョン・ムルタ「競馬先進国ではめずらしい、騎手と調教師の兼業」



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▲ヤングジョッキーズワールドチャンピオンシップの第1回に出場したムルタ騎手 (C)netkeiba.com


 かつてJRAではヤングジョッキーズワールドチャンピオンシップというシリーズが行われていた。文字通り、ワールドオールスタージョッキーズ(WASJ)の若手騎手版で、1992年から1996年まで、3月の中山開催で5回実施された。

 その第1回に出場していたのがジョン・ムルタ騎手。WASJと同じように土日で2戦ずつ計4レースのポイント制で争われるのだが、その初戦、ムルタ騎手は斤量55kgの牝馬に体重超過で騎乗できず、出場予定ではなかった(もしかしたら補欠とかだったのかもしれない)江田照男騎手に乗替るということがあった。しかし翌日の第3戦、なんとか体重を落として同じ斤量55kgの馬に騎乗し、11番人気ながら勝利。総合でも3位の表彰台に立った。

 このシリーズでの3戦が、ムルタ騎手の日本での初騎乗。その後、ワールドスーパージョッキーズシリーズ(現・WASJ)には1997、98、2000、08、10〜13年と8回出場し、2011年には総合優勝を果たしている。

 短期免許での騎乗も1度だけあり、1999年12月から翌2000年の2月までで4勝を挙げたが、重賞では結果を残せなかった。

 1992年から2003年まではジョン・オックス厩舎の主戦騎手として活躍。厩舎のメインオーナーだったアガ・ハーン4世のシンダーでは2000年に英・愛ダービーと凱旋門賞を制した。

 2008年から2010年には、エイダン・オブライエン厩舎(=クールモアグループ)の主戦騎手をつとめた。それまで主戦だったキアラン・ファロン騎手が薬物問題で長期の騎乗停止処分を受けたのに替わっての起用。

 この間、同厩舎では、ヘンリーザナヴィゲーター(08年英・愛2000ギニーなどGI・4勝)、デュークオブマーマレード(08年キングジョージ6世&クイーンエリザベスS、英インターナショナルSなどGI・5勝)、イエーツ(08・09年アスコット・ゴールドC、08年ロイヤルオーク賞など)、マスタークラフツマン(09年愛2000ギニー、セントジェームスパレスSなどGI・4勝)、フェームアンドグローリー(09年愛ダービーなどGI・4勝)などで数々の大レースを制した。

 2013年にはアイルランドで調教師免許を取得、現代の競馬先進国ではめずらしい騎手との兼業となった。同年の愛2000ギニーには調教師&騎手としてフォートノックスで出走(10頭立て9着)したほか、この年、英・愛で重賞を3勝。しかし翌2014年2月には騎手免許を返上。調教師専業となって以降、2018年までにアイルランドで重賞3勝を挙げている。

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▲調教師として野中悠太郎騎手の海外修行を受け入れた (提供:野中悠太郎騎手)


ランフランコ・デットーリ「シングスピール、ファルブラヴ、アルカセットでJCを3勝」



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▲デットーリ騎手の日本での初騎乗は弱冠20歳 (撮影:高橋正和)


 日本での初騎乗は弱冠20歳だった1991年11月23日(土)。'91インターナショナルジョッキーズという、翌日の第11回ジャパンCに騎乗する外国人騎手との騎手交流戦で8着。ドラムタップス(イギリス)に騎乗したジャパンCは11着だった。

 中山で行われていたヤングジョッキーズワールドチャンピオンシップでは、第1回(92年)が4戦1勝2着2回で優勝、第2回(93年)では、なんと4戦3勝で2年連続優勝を果たしている。その騎乗ぶりは日本の競馬ファンにも強烈に印象づけられた。

 ジャパンCはシングスピール(96年)、ファルブラヴ(02年)、アルカセット(05年)で3勝。ジャパンCダートもイーグルカフェ(02年)で制し、この年はファルブラヴのジャパンCと土日続けての勝利だった。

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▲アルカセットで勝利した2005年のジャパンC (撮影:下野雄規)


 日本での短期免許での騎乗はない……と思ったら、一度だけあった。2011年5月28・29日、2日間の短期免許が発行されているが、騎乗したのは29日だけ。JRAでは2009年から日本非居住者が馬主になることが認められたが、その第1号となたシェイク・モハメドが日本で所有するデボネア(中竹和也厩舎)に日本ダービーで騎乗(12着)するため。

 ちなみにこの日は、その日本ダービーを含め8レースに騎乗し、第2レースの未勝利戦でアルベルティに騎乗して勝利。これもシェイク・モハメドの所有馬だった。

 デットリー騎手といえば、そのシェイク・モハメド率いるゴドルフィンが始動した1994年から主戦をつとめ数多くの大レースを制した。世界的なレースだけでも、ドバイワールドCのドバイミレニアム(00年)、エレクトロキューショニスト(06年)、凱旋門賞のサキー(01年)、マリエンバード(02年)、ブリーダーズCターフのデイラミ(99年)、ファンタスティックライト(01年)などなど。

 それだけに、2012年限りでのゴドルフィンとの契約解除は突然のことで驚かされた。その年末、デットーリは禁止薬物の陽性反応があり半年間の騎乗停止。のちにコカインを使用していたことを認めた。

 騎乗停止が明けた2013年6月末には、カタールのシェイク・ジョアン(アル・シャカブ・レーシング)との騎乗契約を結んだ。その年、トレヴでヴェルメイユ賞を制し、オリンピックグローリーでは2014年にロッキンジS、フォレ賞を勝利。シャラーでは2015年にモルニ賞とミドルパークSを連勝。ガリレオゴールドでは2016年に英2000ギニー、セントジェームスパレスSを制している。

 アル・シャカブ・レーシングとの関係は2018年まで続いたが、同時にイギリスのジョン・ゴスデン厩舎での活躍が顕著になった。ゴールデンホーンで英ダービー、英エクリプスS、愛チャンピオンS、そして凱旋門賞を制したのが2015年のこと。2017年の英チャンピオンSでGI初制覇を果たしたクラックスマンでは、2018年にガネー賞、コロネーションCを制し、英チャンピオンS連覇を果たして引退。

 そしてエネイブルでは、デットーリ騎手が騎乗するようになった2017年の3歳5月以降、昨年まで9戦全勝。英・愛オークスに、キングジョージ6世&クイーンエリザベスS、ヨークシャーオークス、凱旋門賞連覇、そして昨年のブリーダーズCターフと、ここまでGIを7勝。今年の凱旋門賞には史上初の3連覇がかかる。

(文中敬称略)

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