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【木村哲也調教師×大塚海渡騎手】「競馬学校期間中は…怒鳴り倒しましたね…」前編 / シリーズ師弟対談

  • 2019年05月05日(日) 18時02分
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▲大塚海渡騎手と木村哲也調教師の師弟対談(C)netkeiba.com


師弟コンビの絆や普段の姿に迫っていく「シリーズ師弟対談」(不定期)。第2弾となる今回は、美浦から木村哲也調教師と大塚海渡騎手。厩務員、調教助手を経て2011年に厩舎を開業し2018年にはJRA賞最高勝率調教師、JRA賞優秀技術調教師を受賞した木村師。開業9年目、弟子を受け入れることになった経緯とは?

大塚騎手は自厩舎の馬で4月7日に待望の初勝利。これは木村師にとっても通算200勝目の区切りの勝利となりました。ダブルメモリアルを飾った師弟コンビですが、厩舎実習時代は色々とあったようで…?!

(取材・文=佐々木祥恵)

木村厩舎に決まった時、最初は衝撃が…


――まずは大塚騎手の初勝利おめでとうございます。初勝利の時のお気持ちをお聞かせください。

大塚騎手 初勝利が木村厩舎の馬でできて良かったという気持ちです。ゴールした瞬間、すごく嬉しかったです。

木村師 嬉しかったですよ。ホッとしました。3月にデビューしてあの日までウチの厩舎の馬を1頭も乗せていなかったので、申し訳なかったというのもあります。ただ彼がデビューする前から、あの馬に乗せてあの日レースに向かうというのは決まっていたんです。

――そうだったのですね。

木村師 どの馬も気を遣っていますけど、あのレースに彼が乗ると決まっていたので、口には出さなくても管理するにあたって厩舎スタッフは相当力が入っていたと思います。

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▲自厩舎のリモンディで待望の初勝利!(C)netkeiba.com


――ジョッキーはもちろん、先生もスタッフも皆嬉しい勝利となったわけですね。ところで大塚騎手が木村厩舎所属に決まった経緯は何かあったのですか?

木村師 まず競馬学校から生徒を預かってもらえないかという打診があったというのが1つですね。あとは私は勢司厩舎で働いていた時期があって、彼(大塚騎手)のお父さんも勢司厩舎で助手をしていたんです。私がペーペーの頃にとてもお世話になったこともあって、それで彼が子供の頃から知っていたんです。引き受けたのは、それが大きいと思います。

――大塚騎手は木村先生の記憶はありますか?

大塚騎手 僕が本当に小さい頃だったので、あまり記憶にはないのですけど、先生の息子さんは美浦の乗馬苑のスポーツ少年団で一緒に乗馬をしていたので知っていました。

木村師 私の子供の面倒を3つ年上の彼に当時は見てもらっていたという感じですね。

――その乗馬苑に通ったきっかけは何だったのですか?

大塚騎手 小学校5年生の時に、当時仲の良かった友達から一緒にやらないかと誘われたのがきっかけでした。始めてからは、友達より自分の方が夢中になっちゃって。誘ってくれた友達は途中で辞めてしまったのですけど。 

――ジョッキーを目指すことにしたのは何か理由があったのですか? 

大塚騎手 馬に乗り始めてから騎手という仕事を理解するようになって、ジョッキーに憧れたからです。自分も身長が低かったですし…。

木村師 トレセンの乗馬苑のスポーツ少年団では最初は広く団員を募るのですけど、その中からジョッキーになりたいという子をJRAがテストをして選ぶエリートプログラム、競馬学校ジュニアチーム(競馬学校受験を目指す方に向けた特別指導クラス)が近年スタートしていて、中学2年の春に彼はそのプログラムに選ばれました。選ばれるのは一世代、1人か2人ですね。石川裕紀人君が最初で、菜七子ちゃんもそうだったよね?

大塚騎手 はい、そうです。

――そこから競馬学校の騎手課程に合格して、先ほどお聞きしたような経緯で木村厩舎所属になったわけですが、所属が決まった時の感想を教えてください。

大塚騎手 自分がどこの厩舎に入るのは気になっていましたけど、全く想像していませんでしたし、どんな厩舎か知らなかったので、知らされた時に厩舎について調べてみると、当時リーディングで確か3位あたりだった時期で、こんなに良い厩舎に入れるということに最初は衝撃がありました。嬉しい気持ちもやはりありましたね。

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▲とにかく衝撃があったと大塚騎手(C)netkeiba.com


――所属が決まるのは競馬学校の何年目からなんですか?

大塚騎手 1年生の冬頃にトレセンで1週間だけお世話になる時期があるんですけど、確定ではないのですけど、だいたいその時の厩舎に所属になることが多いです。その研修をさせて頂く少し前に競馬学校の先生を介して、木村厩舎でお世話になると教えて頂きました。

――1週間の研修はどんな感じでした?

大塚騎手 僕は美浦に住んでいたと言っても、トレセンの門から先は未知の世界だったんです。それでトレセンに入ってみると知らない世界だったので、衝撃じゃないですけど、新しいことが多すぎて、すごく戸惑っていました。

――お父さんは家では仕事の話をしなかったんですか?

大塚騎手 はい。競馬学校に入ってからは教えてくれたのですが、それまでは馬の話はあんまりしたことがなくて、トレセンの中に連れて行ってもらったことも一切なかったので、トレセンの門から先は、本当に未知の世界でした。競馬も全然見ていなかったです。さすがに乗馬を始めてからは、大きいレースは見たりしていましたけど。

1番になる人だけが評価される世界だから…


――子供の時の印象と、研修で来た時の印象は変わっていましたか?

木村師 幼稚園くらいの時と変わらなかったですね。ちょっと弱いところがあると言いますか…。例えば公園にみんなで遊びに行って、帰りは木村さん家の車に乗って帰る、ということになった時に「よその家の車に僕は乗れない」と彼が言ったとウチの家内から聞いたのを覚えています。なので、幼稚園生がそのまま大きくなったという印象がスタートで、こういう仕事をする子じゃないと思いました。

大塚騎手 (先生の言うような)そういう記憶とかはないんですけど、ただ自分が小さい頃は、親とずっと一緒にいたがっていたと親から聞きました。

――人見知りもありましたか?

大塚騎手 多分、人見知りはあったと思います。

――大塚騎手の木村先生の第一印象は?

大塚騎手 僕が小さい頃でその頃の記憶が曖昧なので、トレセンに来た時が第一印象でした。その時はすごくハキハキしていて、僕が足りないところを持っている方だなと思いました。

――どこが足りないところだと思ったのですか?

大塚騎手 自分の意志をしっかり持たれているところです。うまく自分を表現できないところがあるので、自分を強く持っていけたらいいのかなと思いました。

――そんな第一印象の大塚騎手ですが、競馬学校の間に変化はありましたか?

木村師 なかなか変わらなかったですよね。特に競馬学校の間は。だから競馬学校期間中に本当にね、今思うとやり方を間違ったなという部分はいっぱいあるのですけど、競馬学校期間中は怒鳴り倒しましたね。彼は泣いていたでしょうね。

大塚騎手 そんなに泣いたりはしない方ですけど…。

――怒鳴り倒した理由は?

木村師 今は多分わかるとは思うのですが、調教師もそうですけど、騎手は責任の重い仕事です。当然命もかかっているし、人の期待もかかる。そういういろんなプレッシャーが1分半とか2分、3分に凝縮されます。その中でどこかしらアドレナリンを爆発させなきゃいけない瞬間があると私は思っているんですよね。人の命や馬の命もかかっていますし、あとは勝つか負けるか、白か黒かで、1番になる人だけが評価される世界です。ほんの少しの差で天国か地獄かになるのに、当時の彼はそういう気持ちの部分が物足りなかったというか、そのメンタリティじゃ私自身が納得できなかったというのがありましたね。

(つづく)

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