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皐月賞を勝ってダービーで乗り替わった7頭は、いかに

  • 2019年05月23日(木) 12時00分
 令和最初の競馬の祭典、第86回日本ダービーが近づいてきた。

 1番人気に支持されるのは、無敗で皐月賞を制したサートゥルナーリアだろう。主戦のクリストフ・ルメールが騎乗停止中のため、実戦では初騎乗となるダミアン・レーンに乗り替わる。

「皐月賞馬がダービーで、テン乗りの騎手に乗り替わり」という形では、これまで一度も勝利に結びついていない。が、「ダービーで、その馬に騎乗経験のある騎手に乗り替わり」なら、勝った例がある。

 ということで、サートゥルナーリア同様、皐月賞を勝ったのに、別の騎手に乗り替わってダービーに出走した馬たちがどれだけいたのか、調べてみた。

 サートゥルナーリアは79代目の皐月賞馬である。過去78頭の皐月賞馬で、乗り替わりでダービーに出走した馬は7頭いる。

 1頭目は、戦時中の1944年の皐月賞を境勝太郎の手綱で勝ったクリヤマトだ。ダービーでは新屋幸吉が騎乗し、4着となっている。

 この馬の場合、通算8戦のうち皐月賞以外の7戦では新屋が乗っている。この年の競馬は戦争激化のため能力検定競走として行なわれたので、記録がすべて残っているわけではないのだが、最年少ダービージョッキーの前田長吉同様、新屋の名前の横には「※」印がついている。おそらく、若い見習騎手だったと思われる。そのため、皐月賞だけ境に乗り替わり、また新屋の手に戻ったのだろう。怪我などで乗り替わったわけではない証拠に、皐月賞の次のレースで、新屋は牝馬のクリホマレに乗り2着になっている。

 2頭目は、渡辺正人が乗って1960年の皐月賞を6馬身差で圧勝したコダマである。栗田勝に乗り替わったダービーをレコードで勝って、史上2頭目の「無敗の二冠馬」となった。このときは、主戦の栗田が負傷のため騎乗できなくなった皐月賞で渡辺が代打をつとめた、という形だった。

 3頭目は、福永洋一の手綱で1977年の皐月賞を2馬身半差で完勝したハードバージ。武邦彦に乗り替わったダービーでは頭差の2着に惜敗した。陣営はダービーでも福永に騎乗を依頼したのだが、福永には先約のホリタエンジェル(28頭中15着)がいたため断り、テン乗りの武が騎乗することになった。このダービーを制したのは、福永と馬事公苑騎手課程で同期だった伊藤正徳のラッキールーラであった。

 4頭目は中島啓之が乗って1982年の皐月賞馬となったアズマハンター。次走のNHK杯から小島太に乗り替わり、ダービーでは3着だった。中島が自厩舎のトウショウペガサス(8着)に乗ることになったための乗り替わりであった。

 5頭目は、南井克巳が乗って1990年の皐月賞を勝ったハクタイセイ。テン乗りの武豊に乗り替わったダービーでは5着だった。このときも、南井が自厩舎のロングアーチ(6着)に乗ったためだった。

 6頭目は、ブレット・ドイルが乗って2002年の皐月賞を勝ったノーリーズン。テン乗りの蛯名正義に乗り替わったダービーでは8着だった。これは、ドイルが騎乗をキャンセルしたための乗り替わりだった。

 そして直近の7頭目は、ミルコ・デムーロの手綱で2013年の皐月賞を勝ったロゴタイプ。スプリングステークスでも乗っていた弟のクリスチャン・デムーロに乗り替わったダービーでは5着だった。このときは、もともとダービーではクリスチャンが乗ることになっており、ミルコはフランスに行っていた。

 といったように、それぞれ「なるほど」という事情があって興味深い。

 オーストラリアの若き天才、ダミアン・レーンがサートゥルナーリアをどう操るか。スタートが待ち遠しい。(本文中敬称略)

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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