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競馬の祭典「ダービー」の魅力

  • 2019年05月25日(土) 12時00分

騎手にとっても別格の存在


 おだやかな人といると、何だかほっとした気持ちになるもの。競馬も似たようなところがあり、その中に何を見るかでその付き合い方が違ってくる。ダービーはその最たるもので、競馬の魅力に溢れている。当然、馬が主役だから、そこに関心がいくが、終わって時が流れると、そこで戦った騎手たちの思いが強く残っているもの。誰しもがそうではないだろうか。それだけ、騎手にとってダービーの存在は別格と言っていい。

 そのダービーを5度も勝っている武豊騎手の、その時々の感慨に寄り添うだけでも、十分にその魅力に近づける。初騎乗がデビュー2年目、19歳の時。初勝利は10回目で1998年のスペシャルウィーク。皐月賞は大外枠のハンデを負い3着に敗れたが、弥生賞を勝ったときに「この馬の良さはいろいろあるけれど、ひと言で言うとセンスが抜群だということ」と述べ、この時点ですでに東京の2400米を頭に描いているように感じた。

 そしてダービーでは「馬の力を信じ、自信を持って乗った。仕掛けてからの反応も期待通り、本当に強い競馬だった」と、子供の頃からの夢をかなえたうれしさを語っていた。一連の取材から、その自信と思いが伝わっていたので、こちらも自信を持ってレース実況にのぞんでいた思い出がある。

 その武豊騎手は翌年アドマイヤベガで勝ち、続く年皐月賞馬エアシャカールで前人未到のダービー三連覇に挑んでいた。そしてこれに立ちはだかったのが、兄弟子河内洋騎手のアグネスフライトだった。デビュー27年目、ダービー17回目の騎乗で悲願を達成し、「全身の力が抜けたみたいだった。勝ったかどうか微妙だったので、ユタカに勝ったかなと聞いたら、おめでとうございますと言われたんで」と、右手を高々と挙げたときのことを述べていた。

 ラスト50米、早めに先頭に立ったエアシャカールに、ゴール寸前アグネスフライトが外から馬体を併せ、僅か7センチのハナ差、16万大観衆から湧き起こった”河内コール”が思い出される。

 その7年前、ウイニングチケットの柴田政人騎手が19回目でダービーを勝ったシーンも忘れられないが、この中で唯一の現役武豊騎手は、令和元年は芦毛のメイショウテンゲンに乗る。そう言えば、平成元年は芦毛のウィナーズサークルが勝っていた。無敗の皐月賞馬サートゥルナーリアなど、その上位組が順調に来ているが、騎手たちの思いに気持ちを向けておきたい。

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ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。

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