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早すぎた“シンボリ” 今日の「外厩」を巡る論議

  • 2019年05月27日(月) 18時01分
教えてノモケン

▲サートゥルナーリアの騎手スイッチ劇と「外厩」の関係性とは (撮影:下野雄規)


 5月5日のNHKマイルC。圧倒的1番人気に推されたグランアレグリアは直線で馬群に包まれ、強引に進路を確保しようとしたクリストフ・ルメール(40)は外に斜行してダノンチェイサーの走行を妨害。両馬の入線順位は4、5位だったが、審議後に入れ替わった。

 3月にも4日間の騎乗停止処分を受けていたルメールは、今回の降着により加重制裁で開催日6日間の騎乗停止となり、日本ダービー(サートゥルナーリア=皐月賞優勝)の騎乗が不可能になった。

 同馬の陣営(生産者ノーザンファーム=以下NF、馬主キャロットファーム)は直ちに、短期免許で来日中のダミアン・レーン(25、豪州)に白羽の矢を立てた。レーンが勝てば、1985年のシリウスシンボリ以来34年ぶりに、乗り替わり騎手が日本ダービー優勝という状況に立ち至った。

85年の乗り替わり劇と外厩問題


 今回のスイッチ劇は、これから触れようとする問題と一見、無関係に見える。だが、実はシリウスシンボリの騎手交代は、当時の競馬マスコミを騒がせた大事件で、今思えば、今日の外厩を巡る論議の発火点でもあった。

 シリウスシンボリは、馬名でわかる通り「シンボリ」の和田共弘氏(故人)が、84年の4冠馬シンボリルドルフに続いて送り出した傑作だった。美浦・二本柳俊夫調教師(故人)が管理し、主戦は弟子の加藤和宏騎手(現調教師)だった。

 2歳時に4戦2勝だが、負けたのが1位入線後失格の芙蓉特別と、不利を受けて2着のいちょう特別。不満を抱いた和田氏は岡部幸雄騎手(当時)への交代を主張し、二本柳調教師と対立。同馬はいったん、畠山重則厩舎に移籍したが、担当厩務員が有力馬を奪われる形になったため、厩務員労組の反発で騒ぎが大きくなり、10日で元のさやに戻った。

 同馬は85年3月末に岡部騎乗で若葉賞を勝ったが皐月賞は断念。加藤に戻ったダービーで、1番人気に応えて優勝した。

 和田氏はシンボリルドルフで、今日に至る外厩運用の先鞭をつけた。千葉の牧場で関係馬を調教し、レース直前に美浦に戻す。今日のNF関係馬を始め、生産者系クラブ法人所有馬の定番スタイルの創始者と言える。

 ワンマンぶりでも知られ、86年のシンボリルドルフの米国遠征を巡り、管理する「ミスター競馬」野平祐二調教師(故人)と対立。野平氏は遠征中、傍観者の立場に追いやられた。

 だが、当時のトレセン側の反発力は今日と比較にならないほど強烈だった。厩務員労組に加え、調教師の間でも関係馬への関与を嫌う人が増え、四面楚歌となった。

 社台グループ中興の祖・吉田善哉氏と和田氏は、同じオーナーブリーダーとしてライバル関係で、吉田氏は93年、和田氏は94年に物故した。双方の足取りの明暗を思うと、目立つのが早すぎた点と、物量戦を勝ち抜くには資源が足りなかったことが、和田氏の敗因と言えよう。

教えてノモケン

▲2010年に東京競馬場でお披露目されたシンボリルドルフ (撮影:下野雄規)


皐月賞、桜花賞 年明け初戦でV


 調教からレースの選択、騎手のブッキングに至る競走馬の臨戦過程の全般を、馬主が主導する。和田氏が指向しながら未完に終わったプロジェクトが、完成型に達したことが、2019年春の競馬の歴史的意味である。

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1964年1月19日、東京都出身。87年4月、毎日新聞に入社。長野支局を経て、91年から東京本社運動部に移り、競馬のほか一般スポーツ、プロ野球、サッカーなどを担当。96年から日本経済新聞東京本社運動部に移り、関東の競馬担当記者として現在に至る。ラジオNIKKEIの中央競馬実況中継(土曜日)解説。著書に「競馬よ」(日本経済新聞出版)。

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