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セラピーホースのエース・プレストシンボリ(1)競走馬として過ごした茨城県で送る第三の馬生

  • 2019年06月25日(火) 18時00分
第二のストーリー

▲1995年にラジオたんぱ賞を勝ったプレストシンボリ(撮影:佐々木祥恵)


「ぷーちゃん」と親しまれるベテランセラピーホースに


 3歳馬限定のハンデ重賞のラジオNIKKEI賞(GIII)が、6月30日(日)に福島競馬場で行われる。1952年に皐月賞の前哨戦として「中山4歳S」(1952年〜1958年)という名称で創設されたが、1954年から春のクラシックシーズン終了後の6月下旬から7月上旬に行われるようになった。その後、日本短波賞中山4歳S(1959年〜1960年)、日本短波賞(1961年〜1978年)、ラジオたんぱ賞(1979年〜2005年)と幾度かの名称の変遷と、1979年からそれまでの中山競馬場ではなく福島競馬場に開催場を変更、現在ラジオNIKKEI賞に落ち着いている。またラジオNIKKEI賞へと名称が変わった2006年からは、ハンデキャップ重賞となった。

 ラジオたんぱ賞時代の1995年、優勝したのは1番人気に推された岡部幸雄騎手騎乗のプレストシンボリ。2着には同じ藤沢和雄厩舎のサイレントキラーが入り、藤沢厩舎のワンツーフィニッシュとなったレースだった。

 あれから24年の時を経て、プレストシンボリは今、かつて競走馬時代に過ごした美浦トレーニングセンターのほど近く、牛久市奥原町にある一般財団法人ヒポトピアで余生を送っている。今年27歳。年齢の割には体に張りがあり、元気にそして日々穏やかに暮らしている。現在のオーナー・小泉弓子さんは、獣医師でありホースセラピーのインストラクターでもあり、ヒポトピアの代表理事でもある。プレストシンボリは競走馬引退後は乗馬として時を過ごしたのちに、縁あって小泉さんのもとへとやって来て、やがてセラピーホースとして主に知的障害を持つ子供たちの癒しの存在となってきた。いくつもの顔を持つ多忙な小泉さんにとってもまた、プレストシンボリは癒しの存在になっていることだろう。

第二のストーリー

▲馬房でコミュニケーションをとるプレストシンボリと小泉さん(撮影:佐々木祥恵)


 プレストシンボリは1992年3月6日に、アイルランドで生まれた。父はWaajib(ワージブ)、母Trail(母父Thatch)という血統だ。シンボリ牧場の所有馬として、藤沢和雄厩舎から1995年の1月7日に中山競馬場の芝1600mの新馬戦でデビュー。初戦は6着だったが、連闘で臨んだ新馬戦では逃げて初勝利を収める。2月18日には東京競馬場の春菜賞(500万下)で先行して優勝。5月には同じく東京の菖蒲S(OP)で、今度は一転して追い込みを決めて3連勝を飾った。6月に出走したニュージーランド4歳S(GII)では、牝馬のシェイクハンドにクビ差敗れたが、7月のラジオたんぱ賞では3、4番手からレースを進めて、僚馬サイレントキラーに2馬身半差つけて完勝している。

 だがその年の秋シーズンは、2番人気のセントウルS(GIII)で15着、スワンS(GII)で10着と大敗し、その後も気ムラな面を覗かせては凡走していた。1997年に中山金杯(GIII)で11着と2桁着順に敗れたのを契機に、陣営は去勢手術を決断した。セン馬になって以降は、97年の京王杯AH(GIII)2着、GIのマイルCSで5着と好走し、クリスマスS(OP)で久々の勝利を挙げ、98年シーズンは東京新聞杯(GIII)、富士S(GIII)で2着に入るなど重賞勝ち鞍はないものの、まずまず安定した走りを見せていた。

 2000年には新たな活路を求めて障害レースに転向したが、障害2戦目の2着を最後に2011年11月11日付けで競走馬登録を抹消。乗馬の道を歩むこととなった。

「ぷーちゃん(プレストシンボリの愛称)が来て8年、9年目くらいになるでしょうかね。最初はわりとヤンチャな部分があって、私もよく落とされたんですよ」

 と、小泉さんはプレストシンボリと出会った頃を振り返った。その頃小泉さんは千葉県のとある乗馬クラブを拠点に活動していた。実は5年ほど前にも1度、千葉時代のプレストシンボリを取材している。

「はじめは物見もありましたし、強い調教をしたり、押さえつけるということに関して、すごく抵抗のある子でした。ハミも嫌いでしたし、跳ねたりもしていました」

 と、プレストシンボリについて小泉さんは語っていた。だがプレストシンボリとの時間を積み重ねていくうちに、信頼関係が徐々に築かれ、半年を過ぎたあたりから難しい一面もなくなっていったという。そして小泉さんが行っていたホースセラピーの活動にも参加するようになるのだが、元々プレストシンボリにはセラピーホースとしての素質があったのだろう。小さい子供にはイラついた面は見せず、ガラガラと大きな音がする車が通っても、子供たちと触れ合っている最中は全く動じることはなかった。

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▲子供と触れ合っているときは大きな音にも動じないという(提供:一般社団法人ヒポトピア)


 小泉さんが活動拠点を千葉から茨城に移したのは2017年8月19日だった。それにともなってプレストシンボリも茨城県へと引っ越しをした。

「セラピーを普及したいというのがありまして、馬の聖地とも言える美浦の馬がたくさんいる環境の方が活動が賑やかになるのではないかというのと、手助けをしてくださる方も集まりやすいのではないかと誘って下さる方がいまして、こちらに移動してきました」

 競走馬の育成施設の一角を借りて始まった茨城でのホースセラピー活動。ここでもプレストシンボリはセラピーホースのエースとして、小泉さんに頼りにされていた。

「ぷーちゃんには本当に助けられています。先ほども話をしたように最初はヤンチャな面があったのですけど、今は本当に安心して小さなお子様から成人の方まで触れ合ったり乗ったりして頂いています」

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▲どんな人でも安心して触れ合えるセラピーホースのエース的存在(提供:一般社団法人ヒポトピア)


 だがプレストシンボリも今年で27歳。一見すると元気だが、やはり無理はさせられない。昨年夏にプレストシンボリはセラピーホースから引退という形を取り、時々常歩で外乗を楽しむ以外は、馬場で小泉さんが乗ることもほとんどなくなり、運動はウォーキングマシンか調馬索がメインとなっている。だがセラピーホースとして経験の浅い馬もおり、プレストシンボリがピンチヒッターとして登場する機会もたびたびあるという。

 またセラピーの一環で、何頭かで連れ立って外乗にも出ているのだが、その外乗コースの下見に小泉さんとともに向かうのも、プレストシンボリの役目だ。

「車がブンブン通る場所まで行って慣らしていますけど、ぷーちゃんは大丈夫ですね」

 それもそのはず。千葉時代からプレストシンボリと小泉さんは、普通に道を歩いて、ある場所に立ち寄っていたのだった。

(つづく)


※プレストシンボリは見学可能です。
見学希望の方は下記をご参照ください。

引退名馬 プレストシンボリの頁 
https://www.meiba.jp/horses/view/1992110313

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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