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馬も「死亡」するのか

  • 2019年07月04日(木) 12時00分
 すい臓がんと胃がんを患った父を入院させるため、札幌の生家に来ている。

 すい臓がんが見つかったのは昨春のことだった。悪性リンパ腫の予後を診てもらったとき、血液内科の担当医がCT画像を見て気づいてくれた。そのとき同じ病院で腎臓がんの術後のケアもしていたので、ここ数年で、都合4カ所にがんが見つかったことになる。

 寿命を左右する疾患がすい臓がんだったので、初期の胃がんはとりあえず放置し、昨年の今ごろから抗がん剤の服用を始めた。昨春の時点で、当時の担当医に、「あと1年ということはないが、2年は保証できない」と言われた。がんそのものは2センチ弱なので大きくないのだが、動脈にかかっているのでステージ4aということだった。

 父は今年83歳になった。

 54歳の私より先に死ぬことは確かだろうが、抗がん剤がやけに効いて、すい臓がんが小さくなった。普通は、もっと短いスパンで薬を強くしていくのに、これほど長期間この薬(抗がん剤のなかではもっとも弱いらしい)を飲みつづける患者は珍しいという。

「これなら血管の処理をして、すい臓がんを切除できるかもしれません。夢を見ちゃいますね」と今の主治医が言った。3、4年前にすい臓がんをやったのにお元気ですね、と言っている患者はみな手術をした人なのだという。

 夢を見ちゃうということは、これまで主治医が見ていた現実的な筋書きは、進行を遅らせてもあと1年ぐらいで死亡、というものだったのだろう。

 前置きが長くなったが、毎日新聞の校閲記者の手による「毎日ことば」という、私の好きなサイトがある。

 そこにある、6月29日付の「ブロイラーが死亡」と題した記事を読んで「うーん」と考えてしまった。

<ブロイラー900羽が死亡した>に赤字を入れ、<ブロイラー900羽が死んだ>と修正したゲラの下に、次のように記されている。

<「死亡」は「人が死ぬこと」(大辞泉)。基本的に動物には使いません。ただ最近はペットなど人が親しみを感じる動物については人と同じような言葉を使いたいという意識が強くなり、単純に割り切りにくい場合もあります。>

 これまで私は、馬が死んだとき、何度も「死亡した」と書いてきた。「死んだ」では、冷たく突き放すようだし、いかにも雑というか、ぞんざいに響くように思ったからだ。

 本稿より4回前、シルクジャスティスについて書いたときも、<今月3日、老衰のため死亡した>と記した。今、JRA公式サイトのニュースを見てみたら、そこでも「死亡」と表現している。

 単に、擬人化しているから、本来人間にあてる表現を用いるわけではない。「競馬」においては、馬が人を食わせる。それも、背中に人を乗せて時速70キロで競走するという、人間にはできないやり方で。

 そして、私は、馬たちの個性や日常、仕事ぶり、業績、社会的地位、積み重ねてきた歴史などを描いている。

 そうすると、自然に「死亡」と書くようになる。さすがに「逝去」や「死去」は使わないが、場合によっては、これも本来は人間にしか使わないとされる「亡くなる」でもいいと思う。

 校閲から「死亡」はおかしいと指摘されたことはないように記憶しているし、されたとしても、事情を説明してママ(変更せず)にしてもらう。

 この「毎日ことば」はとても勉強になる。

 文筆を生業にしている人はもちろん、ブログやSNSにしばしば投稿する人も、ご覧になってみてはどうか。

 上に紹介した「死亡」に関する記事の前日にアップされた<「高い注目を集める」どこが変?>も興味深い。競馬の文章でよく使う表現もあってドキッとする。

 北海道は梅雨がないということになっているのだが、近年は「蝦夷梅雨」という言葉がしばしば使われるほど、この時期は雨の日が多い。その「近年」に関する記事も「毎日ことば」にあって面白い。

 キリがないので、このあたりで。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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