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【函館記念】血統から長く脚を使える力馬に注目

  • 2019年07月13日(土) 12時00分

30年以上前のレコードホルダーから見えてくる傾向


 芝2000米の日本レコードは、トーセンジョーダンの1分56秒1。2011年の秋の天皇賞で記録している。タイムが速くなる要因はいくつか考えられるが、やはり、どんなペースになっていたかが大きい。

 この年はシルポートが前半1000米を56秒5で飛ばしていた。トーセンジョーダンはこの流れを中団からやや後ろに構えて差し切っていた。因みにシルポートは3年連続秋の天皇賞を逃げていたが、この年が一番速かった。こういう快速馬の存在は、確かにレースを面白くしてくれる。

 サマー2000シリーズの第2戦函館記念のレコードタイムは、1分57秒8。力を要する洋芝だから速いタイムは期待できないが、これがマークされたのが1988年というのだから驚きだ。この年の秋の天皇賞でタマモクロスがオグリキャップとの芦毛対決を制してマークしたタイムが1分58秒8だから、この時レコードを出したサッカーボーイがどんな馬であったか興味がわく。

 しかもこの函館記念の勝ちタイムは、2000米で初めて1分58秒を切る日本レコードでもあったのだった。このサッカーボーイは、父がフランス生まれのディクタス。現役時代ジャック・ル・マロワ賞を勝っていて、種牡馬になってから日本に輸入されファーストシーズンサイヤーチャンピオンになっていたので、記憶にしっかり残っている。

 サッカーボーイは快速馬ではなく、強烈な差し脚で圧倒する“弾丸シュート”が武器で、デビューの函館の新馬戦が9馬身差、秋の京都の特別戦が10馬身差、暮の阪神3歳Sが8馬身差のレコード勝ちと、尾花栗毛の馬体から“貴公子テンポイントの再来”と呼ばれていた。

 生まれつき爪がうすく割れやすいので苦労し、信楽から粘土を取り寄せて蹄底に詰めることをしていた。皐月賞は回避、トライアルを経てダービーは一番人気で出走したが15着と本来の力は発揮できなかった。ところが秘めたものはそれで終らず、7月にあった4歳Sで皐月賞馬ヤエノムテキを並ぶ間もなく差し切り、次走の函館記念では2頭のダービー馬など古馬の強豪を相手に5馬身差で日本レコードをマークしたのだった。その後はマイルCSで4馬身差の勝利と、名マイラーぶりを発揮していた。

 ところが種牡馬としては、ヒシミラクル、ナリタトップロードなどステイヤーを輩出、父系を流れる欧州伝統の血統が伝えられていた。函館の洋芝に強いのは、このタイプ。長く脚を使える力馬が多い。函館記念が荒れるのは、スピードや切れ味で優れるものが戦いにくいという事情が大きい。血統から、その母父まで注目したい。

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ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。

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